第18話 初日 海に山姥はいません

「いやー、本当に驚きましたよ! 一瞬、心臓が止まるかと思いましたから!」


暗い外の世界から一変、明るい部屋の中へと耀太たちはやってきた。ランプの明かりにこれほど感謝したのは人生で初めてのことである。


「暗がりの方から声が聞こえたから、てっきり泥棒どもがよからぬことをしでかしているんじゃないかと思ってね」


耀太の前に立つ高齢の女性はミカオ・シューミンクといい、この宿屋の主だとさきほど教えてもらった。


ミカオは暗闇で騒いでいた耀太たちのことを泥棒と勘違いしたらしいが、耀太たちも手に持ったランプで顔を照らし出されたミカオの姿を見て、異世界に現れたモンスターだと勘違いしてしまった。


「無理やりドアをこじ開けようとしていたんだから、泥棒に間違われても反論は出来ないです。本当にすみませんでした」


慧真が馬鹿丁寧に頭を深く下げる。


「うちの生徒が迷惑を掛けてしまい、本当に申し訳ございませんでした」


組木も同じように頭を下げる。



率先して建物の中に無断で入り込もうとしたのはクミッキー先生の方でしょうが!



教師然として調子良く答える組木の臨機応変さには呆れを通り越して、むしろ清々しさすら覚えてしまう。


耀太たち一行は現在、宿屋の食堂にいた。といってもミカオに案内されたのは三階立ての立派な建物の方ではなく、少し離れた場所に立っていた掘っ立て小屋の方だ。耀太たちの目には掘っ立て小屋にしか見えなかったが、実はそこはミカオの宿屋だった。


「あっちの豪華な建物は王族やお金持ちが夏場に利用する高級ホテルなんだよ。こっちは庶民向けのちっぽけな宿屋なんで、そこのところは我慢してちょうだいね」


ミカオはそんな謙虚なことを言うが、質素な内装で統一された室内はしっかり掃除が行き届いており、宿屋として文句の付け所は一切なかった。


「そんな我慢だなんてとんでもない! こうして泊めて頂けるだけでも感謝しきれないほどなんですから!」


それは心の底から出た耀太の本音だった。なにせこの宿がなかったら、今ごろ暗闇の中を延々と彷徨うことになっていただろうから。


「ミカオさんもあちらのホテルのように、シーズンオフでこの宿を休館されていたんですか?」


「いや、私のほうはちょっとした理由があってね……」


耀太がした質問は答えにくいものだったのか、ミカオは最後の方は言葉を濁した。


「私のことはいいから……。そうだ、あんたたちはもう食事は済ませたのかい?」


ミカオは明らかにわざとらしく急に話を切り替えた。


「実はガチギッザで夕食を取ろうと考えていたんですが、時間的に間に合わなくて、まだ何も食べていないんです」


耀太は自分たちの事情を説明した。


「わたし、もうお腹ペコペコ……。教師人生で一番お腹が空いているかも……」


組木が子供のようにお腹を手で擦る。


「漁師料理でよかったら、すぐに用意するよ」


「やったー! なんだかんだいって、実はこういう地元の料理が一番美味しかったりするんだよね!」


耀葉がカバンからスマホを取り出してさっそく撮影の準備を始める。食事と撮影が出来るので機嫌も良さそうだ。


「ねえねえ、お母さん、もしも美味しい地酒があったら――」


「フーミンさん! 明日の日程に影響が出ますから、お酒は絶対にダメです!」


史華にお酒を飲ませたら、十中八九、ひとり大宴会が始まる恐れがあったので、先に危険な芽は刈り取っておくことにする。


「それじゃ、この部屋で待っていておくれ」


ミカオが料理の準備をすべく食堂を出て行こうとする。


「あっ、すいません。あの、トイレを借りたいんですが……」


菜呂は股間に手をやり、内股でモジモジしている。


「トイレなら、この部屋を出て、廊下を真っ直ぐいった突き当たりにあるから、好きに使ってくれて構わないよ」


「ありがとうございます!」


菜呂がすぐに食堂を飛び出していく。よほど溜まっていたらしい。


「それじゃ、私も久しぶりに腕によりをかけて夕食を準備しないとね!」


服の袖を捲り上げて腕を露にすると、ミカオは食堂から出て行った。


「あれ? 今ミカオさん、『久しぶり』って言ったけど、それってどういうことなんだろう?」


ミカオの発した言葉に少しだけ違和感を持った。


「ヨータ、細かいところは気にするなって。久しぶりっていうことは、しばらくお客がいなかっただけのことだろう? そもそも今はシーズンオフみたいだからな」


「そういう意味だったのかな……? それならいいけど……」


なんだかすっきりとしない気分だったが、これ以上議論してもしょうがないので、気持ちを食事に切り替える。


「でも、この宿に『宿泊しゅくはく』が出来なかったら、きっとオレたちはまだ宿探しに『しゅくはっく』していただろうな!」


「はいはい、『四苦八苦』ということね」


お腹が空いているので、慧真のダジャレに対してのツッコミも投げやりなものになってしまう。


「ねえねえ、それよりもここって、テレビがないんだけど、どこかにしまってあるのかな? 食事が終わったら、みんなで『大人のチャンネル』を楽しもうと思ったのに!」


「フーミンさん、この世界にテレビがあるわけないでしょ! ていうか、そういうキワドイ冗談はいいですから!」


言いながらも、思わずアリアの反応をそっと窺ってしまう。アリアは苦笑いを浮かべるでもなく、いつもと同じ超然な表情をしている。


「だって修学旅行っていったら、夜中にみんなでエッチい話をするのが基本でしょ? あたしがとっておきのエッチい話を披露して――」


「どこの男子校の話をしているんですか! そんな話はしなくていいいですから! だいたい、おれたちは今、修学旅行をしているわけじゃないでしょ!」


やっと宿屋が見付かり、さらに食事にもありつけてほっと出来たと思ったら、この有様である。これでは心の休まるときがない。


さらに新たな問題が発生した。トイレに行ったはずの菜呂がドタバタと廊下を走って戻ってきたのだ。


「どうしたんだよ? そんなにお腹が空いていたのか? まだ料理は出てきてないぞ。それよりも廊下を走るのは異世界でもマナー違反だからな!」


ここは委員長らしく、ちゃんと注意をする。


「いや、違うんだ……。そうじゃなくて……」


いつも酔狂なことばかり言っている菜呂が、今はなぜかブルブルと体を震わせている。


「どうしたっていうんだよ? なんだか顔色が悪いけど、まさか間に合わなくて漏らしたんじゃ――」


「も、も、漏らしてなんかないよ! それよりも『出た』んだよ!」


「『出た』? それは良かったな。我慢していたのが出たのは良いことだ。でも、そんなデカイ声でわざわざ報告しなくても――」


「違うよ! その『出た』じゃないよ! もっととんでもないのが『出た』んだよ!」


「とんでもないものって――ああ、『大きい方』が出たのか?」


「違うって! なんで今、大便の話をしなくちゃならないんだよ!」


「おしっこでも大便でもなければ、何が出たっていうんだよ?」


「ちょっとそこの二人! さっきからなにデカイ声でウンコだのウンチだの騒いでんの! 小学生じゃないんだからね!」


姉の雷が二人に落ちた。



おれはウンチとかウンコとか言った覚えはないけど……。



しかし、姉には絶対に反論出来ないので、黙ってやり過ごすことにする。


「まったく、これからせっかく楽しい夕食だっていうのに、ウンコやウンチの話を聞かされたら食事がマズくなるでしょうが!」


「ほらみろ、ヨーハに怒られちゃったじゃないか! ナーロのせいだからな!」


「だって、本当に『出た』んだからしょうがないだろ!」


「だから何が出たっていうんだよ!」


「か、か、怪物だよ! いや、モ、モ、モンスターだよ! モンスター!」


「怪物もモンスターも同じだろう! ていうか、オシッコを我慢したせいで、とうとう幻覚でも見たんじゃ――」


「ぼくはちゃんとこの目でモンスターを見たんだよ!」


「ねえ菜呂くん、どういうことなの? 何を見たっていうの?」


こんなときでもアリアは誰に対しても優しい。


「さっきトイレから帰ってくる途中で調理場を覗いたら、ミカオさんが鉈のようなでっかい包丁を手に持って、『さて、どの子から切ろうか』ってつぶやいていたんだ! きっとオレたちのことを切り刻むつもりなんだ!」


「そんなわけないだろ! どうすればそんな突飛な考えに行き着くんだよ!」


ここまでくると、呆れて物も言えないといった心境だった。


「きっとあの人の正体は旅人を襲う山姥なんだよ! みんなも昔話で聞いたことがあるだろう? ぼくたちのことを鉈で切り刻んで、食べるつもりなんだ!」


「山姥って、ここは海だよ? 山姥は海にいないんじゃないの?」


史華が的外れなことをつぶやく。


「それじゃ、海姥うみんばだ!」


「なんだよ、海姥って!」


思わず大声で菜呂に言い返してしまう。


二人がくだらない言い合いをしていると、廊下の先から歩いてくる足音が聞こえてきた。食事の準備が整ったのだろう。


「ヤバい! 完全に逃げるのが遅れた! こうなったら海姥に食われる前に、ぼくの魔法の力で――」


菜呂がベルトに差した魔法の杖を取ろうとするが、焦っているのかなかなか手に付かない。


「お待たせして悪いね――」


食堂のドアを開けて入ってきたのは、真っ赤な血で染まったエプロンを身に付けたミカオだった。


「出たああああああーーーーーーーっ! 海姥だあああああああーーーーーーっ!」


「きゃああああああーーーーーーーーーっ! 食べられるーーーーーーーーっ! 教師じゃなくて生徒を食べてーーーーーーっ!」


菜呂と組木の絶叫が食堂に木霊した。




――――――――――――――――――――――――




「すみません。二人とも、まだこの世界――じゃなくて、この国に慣れていなくて」


耀太はミカオに説明した。


「こっちこそ、驚かせたみたいで悪かったね。久しぶりの料理だったから、あたりに血が飛び散るのも構わずに、夢中になっていろいろ作っちゃって!」


ミカオの言葉通り、テーブルの上には数多くの大小の皿が並び、どの料理から手を付けたらいいのか迷うほどだった。耀葉はさっそくスマホで写真を撮りまくっているし、史華は口を一杯にして美味しそうに料理を頬張っている。


「ここには生け簀があるんですか?」


耀太も食事を始めた。舌平目のムニエルに似た魚料理を口に運んだところ、絶品の味だった。これは素材が新鮮だからこそ出せる味に違いない。


「お客さんになるべく新鮮な魚を出したいから、大きな生け簀を作ってあるんだよ」


「す、す、すいません……あの、暗がりだったので……み、み、見間違えてしまって……」


菜呂は食事に手を付けずに反省しきりだった。生け簀を泳ぐ魚の中からどの魚を捌くか迷っていたミカオのことをたまたま菜呂が見かけて、山姥と勘違いしてしまったというのが事の真相だった。エプロンに付いていた真っ赤な血は、魚を捌くときに付いたのだろう。


「ほら、いいから、ちゃんとご飯を食べて疲れを癒さないと」


ミカオが菜呂の前に豪勢に料理が盛り付けられた大皿を差し出す。


「は、は、はい……それじゃ、い、い、いただきます……」


菜呂もようやく料理を口に運ぶ。


「どうだい? 美味しいだろう?」


「はい! こんなに美味しい魚料理を食べるのは初めてです!」


菜呂が美味しそうに食べる姿を見て、ミカオも笑顔を浮かべる。


「ねえ、耀太くん。なんだかこうしてみんなで食事をしていると、本物の修学旅行と変わらない気がするよね」


「たしかにそんな感じがするかも」


隣で礼儀正しく料理を口に運ぶアリアの言葉に、耀太も素直に同意した。こんな楽しい気持ちになれたのも、ミカオの気さくな性格と振る舞いのお陰だ。



本当は大事な旅の途中なんだけど、まあ今日は初日だし、これくらい楽しんでも誰も文句は言わないよな。



胸の中で自分自身に対して言い訳をする耀太だったが、その顔は修学旅行を満喫する高校生の顔にしっかりとなっていた。


大満足の夕食を食べ終えると、一行は男女に別れて、それぞれの部屋に移動した。史華の言うところの『夜のおしゃべりタイム』は結局実施されなかった。みんな疲れており、さらに美味しい食事をお腹一杯食べたので、すぐに全員眠りについてしまった。

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