第16話 初日 大事なことを失念してました。

先ほどまであんなに大きな顔を見せていた太陽が今は山の陰に徐々に隠れていく。それに伴い、周囲の景色も夕焼け色に染まっていく。


午後四時にハラーサドッゴを出発してからすでに一時間半近くが経過していた。目的地のガチギッザは寂れている漁村とのことだったが、それが正しいということが馬車から見える外の景色を見て分かった。


今まで進んできた街道の中では断トツに鄙びた風景が続き、道を行き交う人々の姿もほとんど見かけなかった。


「この様子じゃ、ガチギッザはだいぶ田舎の村と思ったほうがいいかもしれないな」


耀太は隣に座る慧真に声を掛けた。


「まあ、村があるだけマシだと思えばいいさ。この景色からして、町や村がない場所は本当に未開の地だろうからな。そんな所で馬車から降ろされでもしたら、行く当てもなく彷徨うことになるぜ、絶対に!」


いつもと変わらず前向きな慧真の言葉を聞いて、少しだけ気持ちに余裕が生まれる。


「そうだよな。村があるっていうことは、そこに住んでいる人たちがいるっていうことだもんな!」


「でもヨータ、今さらながらに文明のありがたさを感じないか? 外を見てみろよ。街灯の一本すらないんだぜ? これじゃ日が沈んだら、完全に真っ暗闇になるぞ」


「言われてみれば、たしかに街道を進んでいるのに、街灯を一切見かけないよな。イーストパレスには街灯があったと思うけど」


「あれは多分、ガス灯だったと思うよ」


二人の話を聞いていたのか、アリアが会話に加わってきた。


「ガス灯っていうことは、オレたちの文明レベルで言うと明治時代といったところかな?」


「さすがケーマ。歴史のテストでは常に80点以上を取っているだけのことはあるな。それじゃ、この国の文明レベルもそのぐらいと考えるのが妥当ってことでいいんだよな?」


頭の中で教科書で見たことがある、文明開化の時代風景を思い出してみる。


「チッチッチッ。きみたちは本当に『異世界文明』を理解していないみたいだな!」


菜呂がお土産用の魔法の杖を左右に大きく振ってみせた。お土産用なので、その様子はどう贔屓目に見ても子供が遊んでいるようにしか見えない。


「いいかい、諸君! 『異世界転移』作品における『異世界文明』というのは、ぼくらの世界と比較しても仕方がないんだよ! なぜならば異世界に転移してきた主人公に都合がいいように世界は作られているんだから!」 


説明になっているようにみえて、全然説明になっていない説明を菜呂が熱弁する。


「分かったよ! 分かったから、その杖を振るのは止めてくれ! おまえが振る度に他の乗客が憐憫のこもった白い目で見つめてくるんだから!」


「なに言ってんだ! これは魔法の杖なんだぞ! この杖の持ち手にもしっかり呪文が書かれているんだから!」


菜呂は耀太たちに杖を見せ付けるようにする。


「せっかくだから、みんなに魔法を披露してあげよう! 『カロヒ・アマチャ・ドセ!』」


いきなり意味不明な言葉を叫ぶ。そして、悲しいくらいの沈黙の時が流れる。


耀太たちはもちろんのこと、他の乗客たちも菜呂のことを見て見ぬ振りをしている。


「ちょっとみんな、修学旅行中のバスじゃないんだから、静かにしてなきゃダメでしょ!」


珍しく教師らしいことを言ったのは本物の教師だった。しかし次の言葉を聞いて、やっぱりクミッキー先生は変わらないなあと思わざるを得なかった。


「周りがうるさいと眠れないんだから、わたしは!」



自分が寝たい為なのかーい!



心の中で全力でツッコむ。もっとも、この程度のことは想像の範囲内だったし、もう慣れてきてしまっている感もあるが。


「クミッキー先生、もう馬車が終点に着きますから、寝ないで起きていていください!」


ガチギッザも近いというのにまた眠りの王国に旅立とうとしている担任教諭に注意する。


「ねえねえ、今気がついたんだけど、旅行をするうえで一番大事なことは考えてあるの?」


唐突に史華がなぞなぞみたいな質問を投げかけてきた。


「えっ、一番大事なことって、乗り継ぎのことですか? それならば次のガチギッザで聞き込みをするつもりですけど」


その点については一度痛い目にあっているので、耀太もちゃんと考えてある。


「ううん、そうじゃなくて、もっと大事なことがあるでしょ? あたしもさっき気が付いたところなんだけどね」


「もっと大事なことって……」


「ほら、あたしたち日帰り旅行をしているわけじゃないでしょ?」


「そうですよ。おれたちは100日間という途方もない旅行をしていますけど、それが何か?」


「あっ、そうだよね! わたしもすっかり失念していたかも!」


いつもは冷静なアリアが珍しく焦ったような声を上げた。


「ねえ、フーミンさん、もしかして『宿泊先』のことを言ってるんですか?」


「はい、ピンポーン! アリアちゃん、正解! うん、そのこと! あたしたち、今夜どこに泊まるのかなって思って」


「そっか! それをすっかり忘れていたよ!」


アリアと史華の言葉を聞いて、耀太も一番重要なことをすっかり失念していたことに気付いた。



前に進むことばかり考えて、案内所でも御者さんにも、乗り継ぎのことしか聞いてこなかったからな……。



自分の不手際を呪いたくなる。


「あたし、浴槽に全身を浸からないと、夜はぐっすり眠れないんだよね。なんかシャワーだけだと、一日の疲れがとれないというか、気持ちがすっきりしないというか。これもバスガイドならではの職業病かもね!」


「いや、フーミンさん、お風呂の心配をする前に、泊まれる宿泊施設があるかどうかの心配をしましょうよ!」


年上の女性にツッコむ。


「だって小さな漁村っていっても、さすがに『ア〇ホテル』とか『東〇イン』とかはあるんじゃないの?」


「そんなものあるわけないでしょ! ていうかフーミンさん、絶対に分かっていてボケているでしょ!」


「まあまあ、ヨータ。そう興奮するなって。フーミンさんも雰囲気を明るくするためにわざとボケたんだからさ」


「えっ、本当に『ア〇ホテル』も『東〇イン』もないの? それじゃ『ル〇トイン』はあるよね? だって『ル〇トイン』は全国どこにでもあるんだから! ていうか、こうなったら最悪、漫画喫茶でもいいんだけど?」



いや、どう見てもボケて言っているとようには見えないぞ。この様子じゃ、本気であると思っているよな……。



耀太は頭が痛くなるのを感じた。


「とにかく宿泊場所をどうしようか?」


誰にともなくつぶやく。


「ねえ、宿泊先も心配だけど、もうひとつ心配なことがあるんだけど」


アリアが外の様子を心配げに見つめている。


「えっ、まだ問題があるの?」


「うん、外の様子を見ると、日が落ちたら馬車は走らないと思うんだよね」


「たしかに暗い中をライトが付いていない馬車が走るとは思えないけど」


「現代日本の大都市を走っている一般的な路線バスならば、9時を過ぎていても便があるけど、さすがにこの世界では暗くなったら、もう馬車は走っていないと思うんだよね」


アリアの顔色がさらに曇る。


「ああ、それは十二分にありうることだよな」


「ねえ耀太くん、私、御者さんに聞いてくるね。だって、ガチギッザに着く前に聞いておかないと、取り返しの付かないことになるでしょ?」


「そうだよな。ここで情報収集しておかないと、ガチギッザで彷徨うことになるからな。そういうことならばおれも一緒に聞きに行くよ」


幸い馬車の速度は体感として10数キロぐらいで、加えて、現代の日本みたいに車で道が混んでいるということもないので、走行中でも御者さんと会話は出来そうである。


最後尾に座っていた耀太はアリアと通路をゆっくりと進み、御者のおじさんの真後ろについた。


「すみません、走っている途中に申し訳ないんですが、緊急で聞きたいことがあるので、質問をしてもいいですが?」


「ああ、この街道なら馬車の通行量が少ないから事故になる心配はないし、質問くらいならしてもらって構わないよ」


人の良い御者さんで助かった。


「これから向かうガチギッザのことなんですが、宿屋のような宿泊施設はありますか?」


「いや、宿屋はないよ。あそこは本当に小さな漁村だからね」


「それでは食事を取るところはありますか?」


せめて夕食は取らないと体力がもたない。


「うーん、この時間じゃ、食事処も閉まっていると思うなあ。なにせ漁村だから朝が早いんだ。逆に朝なら朝市をやっているから、新鮮な魚を食べられるんだけどね」


「なんだか日本の港町と同じような感じみたいだね」


アリアが耀太にだけ聞こえる小さな声でつぶやく。


「それじゃ、ハラーサドッゴには宿泊施設はありますか?」


ここはいったん戻ることも視野に入れて考えないといけないことになりそうだ。


「ああ、ハラーサドッゴなら設備にこだわりさえなければ、安い宿屋が幾つかあるよ」



やったー! ビンゴ!



心の中で歓喜の声をあげる。


「それじゃ、ガチギッザからハラーサドッゴに戻る馬車の最終は何時になりますか?」


「いや、この時間じゃ、もう最終は出てしまっているよ。暗くなると危険だから、馬車の運行は明るいうちで終わってしまうんだ。もしもガチギッザに戻るとなると翌朝になるかな」


「えー、翌朝ですか!」


天国から地獄とはまさにこのことだろう。


「そもそも、この路線はガチギッザで朝一で取れた新鮮な魚をハラーサゴッドで売る行商人が乗る為のものだから、馬車の便数自体が少ないんだよ」


「えーと、おじさんはどこで寝るんですか?」


アリアが当然の疑問を口にする。


「わたしはこの馬車の座席部分をベッド代わりにして寝ているんだ」


御者のおじさんは手綱を掴んでいた右手を外すと、器用に後方を指差して教えてくれた。


「あの、困っているみたいだけど、もしかして宿屋を探しているのかい?」


前の方の座席に座っていた見るからに親切そうな年配の女性から声を掛けられた。


「はい、そうなんです。もしかしてガチギッザに住んでいる方ですか?」


耀太は女性に助言を求めることにした。


「そうだよ。今朝採れた魚をハラーサドッゴまで売りに行って、今はその帰りなんだけどね」


「ガチギッザには本当に宿屋はないんですか?」


「ああ、御者さんが言うとおり小さな漁村だから、観光客が泊まれるような宿泊施設はないよ」


「そうなんですか……」


「うちは広いから、あなたちを泊める部屋もあるんだけど――」


そこで女性はなぜか気の毒そうな視線を菜呂の方に向ける。そして――。


「ただ、あの子をうちに泊めるのはちょっと……」


菜呂は他の乗客の冷たい視線を物ともせずにまだ呪文を叫んでいる。


「カロヒ・アマチャ・ドセ! あれ、おかしいな? お店の人は炎が出るって言っていたのに! カロヒ・アマチャ・ドセ! カロヒ・アマチャ・ドセ!」


「あの、あれって本当に魔法の呪文なんでしょうか?」


一応、女性に訊いてみた。


「あれは今はあまり使われていない昔の方言だよ」


「ちなみになんという意味なんですか?」


「『これは・おもちゃ・です』っていう意味だよ」


「…………」


さすがにこの事実を菜呂に伝えるのはあまりにも可哀想すぎるので、言うのはやめておくことにする。


「ガチギッザではなくて、その周辺に宿泊施設とかはありませんか?」


アリアが諦めずに御者のおじさんに聞き込みを続けている。


「そうだね……少し距離があるけど、ないことはないかな」


おじさんは首を傾げながら、思い出すように言葉を続けた。


「それでも構わないので教えてくれませんか?」


「海沿いにしばらく真っ直ぐ進んでいくと、海が望める観光客相手の宿があったと思うがね。ただ今の時期、やっているかどうかまでは分からないけど……」


「その宿泊施設って、西に向かう違う路線馬車の停留所よりも手前にあるんですか?」


耀太は確認の質問をした。


「その停留所ならば、宿泊施設のもっともっと先になるよ。まあ、今の時間じゃ、もう最終も行ってしまっていると思うけど」


「分かりました。いろいろありがとうございました!」


耀太は御者のおじさんと女性に丁寧にお礼を言って、一度、後部座席まで戻ることにした。そこで作戦会議を始める。


「新しい情報を仕入れてきたよ。とりあえずガチギッザに到着したら、近くの宿泊施設までダメ元で歩いていくしかないみたいだ」


「我が弟くん、まさかわたしたちに夕食もとらずに歩けって言うの? それだとガチギッザのご当地料理を写真で撮れないじゃん!」


耀葉がさっそくクレームを入れてくる。


「今夜、野宿でも良いのならば食事を優先させるけど? 夕食と宿泊、どちらを優先させる?」


「――分かったわよ!」


珍しく姉に口で勝つことが出来た。


「ねえねえ耀太くん、野宿ってどういうこと? 新卒は危険だから野宿はしないようにって決まっているんだよ」


組木は食事よりも宿泊先が心配らしい。


「新卒じゃなくても、異世界に来た日本人が旅行一日目に野宿するなんて無謀もいいところですから! ていうか野宿するくらいなら、夜通し歩いた方がはるかに安全ですよ!」


そんな風に耀太たちが非建設的な会議をしていると、馬車がガチギッザに着いた。


「ガチギッザに着きましたよ! もう暗くなっているので、降りるときは足元に気をつけてくださいね!」


乗客が順番に降りていく。


「いろいろと本当にありがとうございました! まだこの世界――いや、この国での旅に慣れていないので助かりました!」


耀太は御者のおじさんに最後にもう一度お礼を言って降りることにした。


「もしも何か聞きたいことがあったら、この馬車に戻ってくればいいよ。わたしは明日の朝の発車時刻まではここにいるから」


最後までこちらのことを気に掛けてくれる優しいおじさんだった。


「はい、そのときはお世話になります」


頭を下げて、馬車を後にする。


「たしかに田舎の漁村って感じね。これじゃ、夕食にもありつけそうにないか」


馬車を降りた耀葉は手にしていたスマホをすぐに服のポケットにしまいこんでしまう。さすがにこの場所でのご当地料理の撮影は断念したみたいだ。


「先ほど教えていただいた宿泊施設というのは、こっちでいいんですか?」


アリアが同乗していた女性に尋ねている。


「そうだよ。この細い道をまっすぐに歩いて行けば着くはずだから。わたしの家は高台の方にあるからここでお別れだね。それじゃ、気をつけて旅を続けるんだよ」


こちらの女性も最初から最後まで優しかった。



もしかしたら、じょじょにこの世界の人たちにも慣れてきたのかもしれないな。



そんな風な気がしてきた。


「あれ、なんでだろう? おかしいな? カロヒ・アマチャ・ドセ! どうして炎が出ないんだろう? 不良品なのかな? カロヒ・アマチャ・ドセ!」


約一名、今だにこの世界に慣れない人物がいたが――。


「さあ、完全に日が落ちる前に宿泊施設にたどり着かないと大変なことになるから、先を急ごう!」


耀太たち一行は宿泊施設を目指してガチギッザを後にした。

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