第10話

Althoughの3/16のbloodへ


 (敢えてめちゃくちゃ読みづらく書きます)、リスカにニコチンガム的な子供だましの治療法は通用するのだろうか?

 思うにあの状況は、恐怖というよりも、忘我による錯乱なのだろうな、と思う。だからなるべく当人の孤独感を抑えるために誰かが側にいることが良さそうに思う。


 もちろん、どこかのコメントに書いた通り、私達は各人の現実世界を侵犯してはならない。そのため物理的介入が効かない。しかも、介入するということを当人が了解(これはインフォームド・コンセントではなく、知覚するも含む)すると、構えてしまって効果が出ない。


 やはり、僕の手には負えないのだろう……。結局、適当な手段は戦略的撤退なのだろうか? 当人は僕が見放した、そう解釈するのだろうか?


 リスカが人間のなす行為ではない、と頭ごなしに非難する訳ではないが、一つの苦境であることは間違いないと踏んでいる。なるべく行為を直接禁止するよりも原因を断ち切らねば……。


 なんか案はございますか?

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