大日本球状教

チェシャ猫亭

第1話 私たちの望むものは


 ♪ 迫る戦争 恐怖の軍隊

 我らを狙う白い星 日本の平和を守るため

 ゴーゴー隣組 磨けよ竹槍

 ゲートルジャンプ もんぺキック

 大日本球状 大日本球状 球状 球状


 2025年8月15日。

 80回目の終戦記念日の午後、都心の一画で街宣車が派手な音楽を流していた。

「ヘンな歌だなあ」

 高田孝一が首を傾げた。

「隣組に竹槍、ゲートル、もんぺ。まるで戦時中だよ、今時、分る人がどれだけいるかね」 

 山村寛太郎が苦々しい顔になり、孝一は頷いた。

「バケツリレーが加われば完璧だ」

 この歌詞がすらすらわかるのだから、二人ともかなりの高齢だ。先の大戦を経験した、数少ない生き残りなのだろう。


 野次馬が街宣車を遠巻きにする中、ダブルの紺スーツに身を包んだ恰幅のいい中年男が、車上に立った。大きな顔、垂れさがる福耳、げじげじ眉。目も鼻も口もダイナミックな、癖のある顔立ちである。

 マイクを手にすると、

「みなさん、こんにちは。私たちは『大日本球状教』であります。私は、代表の平静満福へいぜいまんぷくです。

 我が国は戦後80年、戦争のない国として奇跡の平和を保ってきました。しかし、地球上では紛争が絶えず、また、平和な我が国を狙う不穏な動きも絶えません。なんとかして、この平和を守っていかなくてはならない。

 私たちに出来ることは何か。それは平和を祈ることです。誰にでも簡単にできることで戦争のない平和な国を保ち続けることができます。

 私たちの教えは、きわめてシンプルです。『球状、球状』と唱える、それだけです。

 球は丸い、地球も丸い。丸く収めるとか円満とか、安定安心の言葉には必ず球や円、丸に関する言葉が使われます。平和のカギは球状なのです。

 日本の平和を未来永劫、続けていくために、『球状、球状』と唱えてください。そうすれば戦争は起こらず、日本は永遠に平和を保つことができるのです。

 さあ皆さんもご一緒に」

 球状 球状、と満福が拳を上げたが、唱和する野次馬はほとんどおらず、教団員が配るチラシも受け取る者は少なかった。

「胡散臭い奴らだ」

 吐き捨てるように孝一が言うと、貫太郎も、

「お祈りで平和が保てるなら苦労はないわ」

 と呆れ声だ。


 しかし、秋が過ぎ冬に向かう頃。「大日本球状教」は、じわじわと支持者を増やしていった。

 平穏無事が大好きで、そのくせ平和を守るための努力など考えたこともない国民性にマッチする教えなのは確かだ。世界各地で頻発する紛争にはまるで関心がなく、ナニやってるのあの人たち、といった反応しかできない。

 それでいて、日々、名状しがたい不安を誰もが抱えている。

 簡単に自分たちの平和を守りたい。小さな幸せを手放すのは嫌だ。

 そういった一般市民は、「球状、球状」と唱えるだけでいいという人畜無害な教えに、次第に惹かれていったのである。

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