アナスタシアとダンジョン

 先ほど、村の食事処でアナスタシアに誘われた。今から一緒にダンジョン行こっかとの事らしい。正直何が「行こっか」なのかがわかりかねるし、僕がそれを受ける理由は無いように思えた。


「いやあ、一緒にダンジョン久しぶりだねー! 頑張ろうねライト!」


「そうだな」


 アナスタシアがクエスト受注したダンジョンへと、彼女と一緒に歩を進める。冒険者による日々のダンジョン攻略がきちんと回っているらしく、森の奥のダンジョンの数は現実的に制御できる範囲に収まっていた。


 僕が彼女の提案を受ける積極的理由は無いのだが、村で何もせず一日を終えるよりは気が楽だという消去法的な魅力はあった。マリアから逃げ続ける以上は診療所にも行けず村への貢献もできない訳で、そのせめてもの言い訳として冒険者稼業を挙げられるのは実際悪くない。アナスタシアが何を考えているのかはわからないが、少なくとも利害は一致していたのである。


「あったあった、726_571番。はい、今回攻略するのはここね!」


 アナスタシアはメモの番号に合致するのを確認すると、目の前のダンジョンを指さした。ギルドによって立てられた看板にはダンジョン番号とともに『オーク級』と併記されている。


「Dか」


 アナスタシアがAで僕が元Bである事を考えればC級ダンジョンに挑んでも良さそうだが、久しぶりに組む事、魔法戦士と魔法使いという偏ったパーティである事を考えれば慎重にDランクを選ぶのは正解と言える。言えるが……まあ、やはり侮られているようで少しもやっとした気持ちも湧く。


「ほんとはCに行こうかとも思ったんだけどねー! でも私もダンジョン久しぶりだしDから行っとこっかなって!」


 僕の不満に先回りするようにアナスタシアがダンジョンランクを決めた経緯について触れる。だが僕ではなく自身のブランクを引き合いに出す小さな気配りにさえ、今は心がささくれ立ってしまう。ほんの数日前まではそんな事なんてどうでもよくなるほどの全能感に包まれていたはずなのに。


 とにかくアナスタシアと僕はオーク級のダンジョンに入り、適当に魔物を排除していった。アナスタシアは炎と氷の魔法で、僕は剣で適当にオークをなぎ倒していく。久しぶりのダンジョンクエストに心が沸き立ったかと言えば、別にそんな事は無い。パスタの味が解らなかったのと一緒だ。


「いてて、怪我しちゃった! ほらここ!」


 どちらか一人だけでも余裕だろうと思われたダンジョン進行だったが、アナスタシアがオークの反撃を受けたようだ。彼女が見せてきた右腕には確かに切り傷がある。相手は既に消し炭にされているので大した被害でもないが。


 そんな事をぼーっと考えていた僕だが、アナスタシアはそのこちらの顔をただじっと見ている。あれそういえば怪我は僕が治すのか? というかアナスタシアの前でヒール使っていいんだっけ? 


「ヒール」


「おおー!」


 自分の腕の傷がみるみる塞がっていくのを見てアナスタシアは感心したように声を出す。まあ診療所に勤めている事なんてとっくに知れ渡っているんだから使わない方が不自然だろう。


「凄いねー! ほんとにヒール使えるようになったんだ! ライトめちゃくちゃ優秀じゃん!」


「そういえばアナスタシアは診療所に来たことが無かったな」


「そうそう、私達ずっとダンジョンの難易度調査だけやってたからね! てかAランクだし!」


 そうだ、考えてみればAランクである太陽の絆の面々は基本的にヒール系サービスを自重する立場だ。あれは下位冒険者の魔力を回復するのが主な仕事だから、ヒーラーがよっぽど充実している施設でもせいぜいBランクまでしか受け入れてもらえないのである。


 そう考えると、僕を追放した彼らが昇格してAになったのは僕からすると不幸中の幸いだった……と一瞬思ったが、来るとしても魔法使いのアナスタシアだけなのでやはり別にどっちでもよかった。どうせ孤児院で顔を合わせるし、今はジョシュアでもなければそう気まずさも無い。


「ていうかさっきから思ってたけど、なんかライト剣の方も上達してる? 一撃の重さが段違いに強くなってるんだけど」


 僕のヒールに感心していたアナスタシアが、続けてそんな事を言い出す。一撃の重さ? 力9999はとっくに引き下げたはずだが……いや、よくよく考えてみればたしか今の強さはかつての僕の二倍程度に設定されていたな。それは他から見たら段違いに強くなったように見えるのも当然か。


「流石にジョシュアやガンドムの方が強いけど、でもなんか感心しちゃったなあ。ライトもちゃんと頑張ってるんだね! 診療所勤めの合間に特訓してたの?」


「いや……」


 二倍になってまだあの二人に敵わないというのなら、それは要するに僕の剣士としての実力が彼らの1/2以下だったという事に他ならない。別に頑張ったから強くなった訳でもないし、なんだかアナスタシアの何気ない発言が妙に癪に障る。


「やっぱり回復役と一緒にいると心強いね! 最近は一人で調査の方ばっかりしてたから、ライトといると安心だなあ!」


 聞き流そうと思うのに、彼女のその一言一言が僕の心を苛立たせる。実情とそぐわない褒め言葉が気持ち悪いほどの違和感で鼓膜を震わせてくる。アナスタシアが嬉しそうな笑顔になる度に今すぐその顔をめちゃくちゃに歪ませてやりたくなる。


「なんで安心だって思えるんだよ」


「ん?」


 何が? とでも言いたげな表情でこちらを見る仕草に更なる苛立ちが募っていく。


「二人きりでダンジョンなんて、何かされるかもって思わないのか」


「え、まさか男の人と二人だからって事? いやそんな心配してないよー!」


 おかしな事をとでも言わんばかりに、あっけらかんと笑うアナスタシア。


「だって孤児院の悪ガキなんてしょっちゅうスカートめくりとかしようとしてたけど、でもライトは一度もそんなのしなかったしね! 大丈夫だよ! ライトはそんな事しないもん!」


 自分が太鼓判を押すとでも言いたげな様子のアナスタシアに、僕の苛立ちはピークに達し始めていた。


 じゃあなんでステラは殺されたんだよ。僕がそんな善人ならステラは今もここにいるはずじゃないか。僕がどうしようもない根っからの人でなしだからステラは死んだし、マリアだって心を傷つけられて悲しんでるんだろうが。お前みたいなやつが無警戒に僕に近付いてくるから悲劇が繰り返されるんだろうが。僕はもう誰も傷付けたくないのに、それなのに馬鹿みたいに無警戒に僕のそばで笑いやがって。


「ライトどうしたの……? もしかして体調悪い?」


 アナスタシアは無防備に僕の顔を覗き込み、僕の額に手を当てた。少し冷たくて気持ちのいい感触が皮膚を刺激する。


「もしそうなら無理しなくてもいいから、一旦村に……」


 後から考えればその一言の何がそんなに気に入らなかったのかがわからない。だがこの時の僕の頭は、いまだ馬鹿みたいに人殺しを労わるその気遣いを無残になぎ倒して踏みつけてバラバラにしてやらねばと、そんな思考ばかりで埋め尽くされていた。この癪に障る優しさを今すぐ台無しにしてやりたいと。


「ひゃっ!」


 彼女は軽く声を上げ、バランスを崩す。魔物が排除されたはずの一帯でドタドタと慌ただしい音が響き、服や装備がこすれもつれ合う。


 僕は野蛮な衝動に任せてアナスタシアを押し倒していた。思い通りに彼女は床へと倒れ込み、その気遣いを遂げられぬままに身体を固い地面へと打ち付ける事となる。


「いたた……。え、どうしたの? あれ……えっ?」


 突如凶暴化した同行者に押し倒されてなお、間抜けにも状況を伺うような視線を向けてくるアナスタシア。


 彼女はまだ様子が無い。このままではいけない。

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