第25話「罪と罰」
「──さあ、理解できたなら覚悟を決めろ」
ローリー・ヴォールト公爵子息が冷たく光る金の瞳でそう告げる。
何の感情も浮かんでいないその視線に、シャーロットは自然と背筋が寒くなり、言葉を失った。
先ほどクルトが言ったように、親や先祖の威光を傘に着て無闇矢鱈と威張り散らす貴族は確かにいる。
ピンクブロンドの髪という王国貴族における正統性の証とも言える特徴と恵まれた容姿を持つシャーロットは、以前からその手の貴族や子息たちには色々な意味で悩まされてきた。
彼女はその美しさと慈悲深さから、クラヴィス男爵領の近隣では王都の聖女エヴァンジェリンに
しかしこのローリーに限っては、それらの貴族たちとは全く違う性質を持っているように感じられた。
臆面もなく「我が父の領地」と言い切るあたり、他の貴族たちよりむしろ親の威光をアピールしているとも取れるが、これはそういう事ではない。
おそらくだが、ローリーにとってはヴォールト領程度の土地など、大した意味を持っていないのだ。
その気になればいつでも手に入れることが出来る。公爵家が擁する土地などその程度の物でしかない。
そんな絶対的な自信。
だからこそ、単に真実を告げているだけなのだ。その真実が、ローリーにとって何の足枷にもならないから。
しかしシャーロットはそれをクルトたちに告げることが出来なかった。なぜそう感じたのか、うまく説明できる自信がなかったからだ。
生まれた時からシャーロットの中に息づいている、癒やしの魔法の力。その源泉のようなナニカが、強く、シャーロットに訴えかけているような気がした。
この男には決して敵わないと。
それは、ローリーの金の瞳に睨まれた時、特にはっきりと強く感じられた。
静止すべきだった。
猟師でありながら幼馴染の誼みで他領にまで付き合ってくれたクルトと、幼い頃からずっとシャーロットを守ってくれていた、騎士ヴィルヘルムを。
だが出来なかった。
金の瞳に魅入られたシャーロットはもはや指一本さえ動かすことが出来ず、ただ冷や汗をかくだけの人形に成り果ててしまっていた。
「覚悟だと!? 覚悟なら──お嬢に付いていくと誓った時からずっと決まってらあ!」
クルトが素早く矢をつがえ、ローリー目掛けて射た。
素早くと言ってもシャーロットの目には全く見えなかったのだが、先ほどまで弓を構えていただけだったのにいつの間にか矢が飛んでいるので、おそらくそう動いたのだろう。
さらにその矢を追うようにしてヴィルヘルムが駆け出す。
矢に対してローリーがどう対処するかを見極め、それに応じて即座に斬りかかるつもりなのだ。
これはこの2人が強敵を相手にする時の必勝パターンだった。先手さえ取れれば、この戦法でこれまで負けた事はない。
シャーロットとしては、決まれば間違いなく相手の生命を奪うこのやり方はあまり好きではなかった。対話の機会を与えない一方的な攻撃だからだ。
野生の獣や蠻獣といった話の通じない相手ならともかく、人が相手なら対話によって争いを避ける事も出来るはずである。
獣や蠻獣は人を喰うため、つまり生きるために人を襲わざるを得ないが、人が人と争うのは多くの場合は生きるためではなく、争うに足る何らかの理由が存在しているせいだからだ。
その理由さえ解決してしまえば、人同士の争いは避けることが出来る。
ならばそのための努力は惜しむべきではない。
とはいえ、幼馴染たちが敵に対し苛烈に行動する理由もわかっている。シャーロットを危険な目に遭わせないためだ。
それがわかっているからこそ、相手の生命を奪う事に忌避感を覚えつつも、これまでシャーロットはヴィルヘルムたちの行動を強く咎める事はしてこなかった。
しかし、そのお互いを思いやる心が。
おそらくは、この悲劇を生んでしまったのだろう。
幼馴染の優しさを感じるがゆえにシャーロットは止める事をせず、その結果磨き抜かれてきた必勝のパターン。
それはしかし、ローリーには通じなかった。
「馬鹿な! 素手で掴んで止めただと!? 俺の矢を!?
っ! やべえ! 逃げろヴィル! こいつは──」
「──!?」
「ふむ。どうやら、お前たちはこれまで自分たちより弱い相手としか戦ったことがないようだな。ならば教えてやる。攻撃が通用しなかった時、相手の方が強かった時、判断を誤るとどうなるのかをな。今日はせめてそれだけでも覚えて帰れ。猟師の男よ」
「な、なんで俺に……!?」
「騎士の男は、今さら覚えても無駄だからだ」
ローリーはクルトの矢を放り捨てると、今度はその矢に合わせてすぐ近くまで来ていたヴィルヘルムの腕を掴んだ。
ヴィルヘルムも本来ならばそんな事は容易にはさせない実力を持っているはずだが、ローリーには全く対応出来ていなかった。
「……がっぁ!?」
「ヴィル!」
「これも今さら忠告してやっても無駄だが、もう少し丈夫な防具を身に着けた方が良いぞ。それに金属は柔らかいから、このように握り潰されてしまうと後で脱ぐのが面倒になる」
ローリーが手を離すと、ヴィルヘルムの手甲は握った指の形に成形されてしまっていた。当然、中の腕がどうなっているかは──
「……うぶっ! おえっ」
ヴィルヘルムの腕を見たシャーロットは、こみ上げてくる物をこらえきれず、その場に粗相をしてしまった。
癒やしの魔法を得意とし、小聖女などと呼ばれ、領内ではこれより酷い状態の患者を診たことももちろんあった。しかしどんな酷い患者であっても、これまでシャーロットが気分を悪くしたことは無かった。
この時シャーロットが吐いてしまったのは、酷い状態になってしまったのが自分のよく知る幼馴染であったからか、それともその幼馴染のこの後の運命を無意識に想像してしまったからか。
「まあいい。どうせもう、お前が鎧を脱ぐことはない。ついでのサービスだ。猟師の男が持って帰りやすいように、コンパクトにまとめておいてやろう──」
そこから先の事は、シャーロットはよく覚えていない。
ただずっと吐いていた事だけは記憶に残っている。
吐くものがなくなり、お腹も胸も喉も痛くて痛くてたまらなくなって、それでも吐き気は収まらず、ただひたすらに何かを吐き出していた。
そうやって何も出来ずにいた間に、シャーロットの一番の幼馴染は、血に塗れた金属の塊になってしまった。
ローリーが言った「コンパクトにまとめる」とは、嘘偽りのない文字通りの意味だった。
よく覚えていないのでわからないが、ヴィルヘルムはローリーによってどうやってか圧縮され、元は鎧だったその金属の塊の中に押し込められてしまったらしい。
サイズは大きめのスイカくらいだろうか。収まりきらなかったヴィルヘルムの一部は、おそらく血と一緒に流れ出てしまったのだろう。また吐き気がこみ上げてきた。
クルトもはじめのうちはローリーの凶行を何とか止めようと頑張っていたようだったが、今はシャーロットと同じように地面にへたり込んでいる。きっとどこかの段階で諦めてしまったのだ。ローリーの金の瞳に射抜かれたあの瞬間には、すでに諦めてしまっていたシャーロットはよく覚えていないが。
「──このくらいでよかろう。では、次はお前だな。男爵令嬢。覚悟はそろそろ決まったか?
先に言っておくが、猟師の男はこのまま帰す。この男の罪は無知である事だけなので、それについては私は許すことにした。無知だというだけなら、生命を奪うほどの罰は必要ないだろうからな。
それに、お前と騎士の男の死体も持って帰ってもらわなければならない。お前は公爵家の人間に一方的にあらぬ疑いをかけて攻撃を仕掛けてきた罪人だが、騎士の男はお前の命令に殉じただけの名誉ある戦士だ。持ち運びやすいように多少の加工はしてしまったが、本来は故郷に堂々と凱旋するべき男だからな」
半分以上は理解できなかったが、とりあえずクルトだけでも助かるらしい事はわかった。
心の均衡を守るためか、すでに亡くなってしまったヴィルヘルムの事をうまく考えられなくなっていたシャーロットは、クルトが無事に領地に帰れるという情報だけを頭の中で受け入れ、安堵した。
「……ああ。良かった……。神よ、感謝します……」
思わずそう呟いた。
すると何故か、ローリーの後ろで従者の青年が天を仰いだ。
「……ん? 神だと? 男爵令嬢。お前、もしや神を信仰しているのか?」
「っあ、は、はい……」
地方領地のローカル称号とはいえ、小「聖」女と呼ばれている以上は聖教会と関わりがある。聖教会が何らかの形で認めた者しか「聖」と名のつく称号は名乗れないからだ。
当然、シャーロットも敬虔な聖教会の教徒であった。
「猟師の男もか?」
クルトは答えない。ただ、ヴィルヘルムだった塊を見つめているだけだ。
「……そ、そうです」
代わりにシャーロットが答えた。
クルトが山に入る時には、必ず神に祈るようにしている事をシャーロットは知っていた。狩りの成果と安全を祈願しているそうだ。
せっかくクルトを生かしてくれると言っているのに、少しでもローリーの機嫌を損ねてそれをふいにしたくはなかった。
「なるほどな……。そういう事ならば、お前たちの罪に対する罰は変更するとしよう。
男爵令嬢。お前を殺すのは
罰として、お前は神の御許には送らない事とする。この理不尽と暴力、欲望と諦観が支配する
代わりと言ってはなんだが、猟師の男はここで死なせてやる。無知に対する罰というだけで生命まで奪うのはどうかと思っていたのだが、それが褒美になるのであれば話は別だ。多少の痛い思いはするが、罰と褒美でまあトントンといったところだろう。良かったな。私が教えてやった事は、せいぜい神の御許で役立てることだ──」
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