春の始まりと、彼女の初めて
東妻 蛍
春の始まりと、彼女の初めて 一幕
立春を過ぎても、まだ雪のちらつく今日この頃。卒論はもう出し終わったし、内定者の懇親会も済ませた。そんなこんなで暇を持て余していた俺は、寒い地元から、これまたさらに寒い母方の祖母の家に顔を出していた。「家で寝ているくらいなら、おばあちゃんの家で雪かきでも何でもしてきなさい」と母に追い出されたのだ。まあ母の気持ちも分かる。祖母の家は男手がいないから、雪かきをするにも一苦労なのだ。あともうひとつ、社会人になって都会に出ると、俺が中々地元にも祖母の家にも帰ってこないと分かっているのだろう。会える内に会っておく。それは確かに重要なことだ。
祖母の家には、祖母と、叔母、俺のいとこにあたる叔母の娘が3人で暮らしている。どうやら母方の家系は男が短命らしく、祖父も叔父も早世してしまっている。我が家は父親が特別に頑強なので、きっと俺もその血を色濃く受け継いでいると信じたい。
とにかく女三人暮らしではどうしたって毎日の力仕事は難しい。普段は近所の人に手伝ってもらっているようだが、近所の人も高齢化が著しい。そこでしばらくの間は日頃祖母宅がお世話になっているお礼もかねて、俺が便利屋のような役割を担うことになった。
毎日毎日、何軒もの家の屋根の雪を地面に落とし、あちこちの道を除雪した。そしてようやく今日。昨日まで降りつもっていた雪は、今朝の陽光によってだいぶと溶けてきていた。今日は雪かきをしないですむのでは! そう考えたのもつかの間。俺の部屋のふすまを遠慮がちにトントンとたたく音がした。「はい」と音の方に返事をすると、ふすまが開けられ、祖母が座っていた。申し訳なさそうな顔をしている祖母に、嫌な予感が脳裏をよぎる。
「申し訳ないんだけど、庭木の剪定もお願いしたいのよ」
そう申し訳なさそうに言う祖母に、嫌な顔をみせることなど俺にはできなかった。少し引きつっていたかもしれないが、笑顔で引き受けて庭に出る。
祖母の家の庭は立派なものだった。元々祖父が庭木を手入れするのが趣味だったらしい。祖父が亡くなってから、ずっと叔父がそれなりに手入れをしていたらしいが、叔父も亡くなってしまった。恐らくそれから手を入れられていないのではないか。であるならば、これは3年ものの庭か……。いかん、頭がくらっとした。とりあえず生け垣の前で枝切りばさみを構える。祖父と叔父が剪定していた姿を思い出しながら、見よう見まねでチョキチョキと、太い幹からぴょんぴょん飛び出た枝を切っていく。これで本当にあっているのかは分からないが、一応やり始める前にはネットで調べた。動画サイトで動画も見た。きっと大丈夫なはずだ。
不意に、背後からカシャッという音が聞こえた。音のした方を振り向くと、俺のいとこである弥生が、小さな体には不釣り合いな大きな古めかしいカメラを構えて立っていた。どうやら下校してきたらしい。そして先ほどの音はシャッターを切った音だったようだ。
「こら弥生、勝手に人を撮るなよ」
「ごめーん裕太おにいちゃん。だって、いい絵だったから」
弥生は全く悪びれることなくプロカメラマンのようなことを言った。別に俺も本気で怒っているわけではない。他人を相手にやらかさないかが心配なだけだ。肖像権は意外とややこしい。
「ちゃんと手を洗ってきたのか」
「もちろん、このカメラを触るときには特に念入りにね」
大事そうにカメラを抱える弥生に、思わず笑みがこぼれる。弥生が手にしているカメラは、元々俺たちの祖父のものであった。祖父が亡くなってからしばらくは叔父が使っていたらしい。しかし叔父が病気になってからは蔵にずっとしまいこまれていたそうだ。それを最近になって弥生が見つけたらしい。
俺が来たときには弥生はすでにカメラを使っていたから経緯は祖母から聞いたに過ぎないが、弥生はカメラを見つけたその瞬間から「カメラが欲しい!」と言うようになったそうだ。最初なんのカメラのことか分からなかった叔母は、叔母が使っていたコンパクトデジタルカメラを与えたらしい。しかし「これではない」と弥生が言うので、よくよく聞いてみたら祖父の遺品であるフィルム一眼レフカメラのことだと言うではないか。「大事なものだから弥生にはまだあげられない」と言った叔母に、泣いてあのカメラが欲しいのだと訴える弥生。壮絶なバトルだったことだろう。争いに終止符を打ったのは祖母だった。
「普段わがままを言わない弥生ちゃんがあれだけ言ったの。よっぽど惹かれたのね。きっとおじいちゃんも喜ぶでしょう」
弥生が祖父の形見である一眼レフを持っている姿を見てギョッとした俺に、祖母はそう言った。祖母がいいなら、俺は別になんでもよかった。祖父の形見であるが、弥生にとっては自分の父親の形見でもあるのだ。大事に使っているようだし、基本は家の中で使って、外へ持って行くときは家族の誰かがついて行ける時だけという約束も守っている。ちょっと重そうに見えるが、嬉しそうに写真を撮っているいとこの姿はとてもかわいらしく見えた。
「それにしても、フィルムカメラねえ」
「いいでしょう、いっぱいになったら写真屋さんに持ってくの」
「うーん、いいとは思うけど、すぐに確認できないのは不便じゃないか? 失敗してても分からんだろ」
「それが面白いのよ。撮った時と写真にした時、2回楽しめるよ」
「そういうもんかね。俺にはよく分からんけど」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます