第31話 司の大切な人

 

 

 走っても剣条家までは、そう時間はかからなかった。


 時刻は午後一時半。まだ十分間に合う。余裕綽綽で玄関へ歩を進めた。が、なぜかドアノブに触る気になれない。手を伸ばせばすぐなのに、関節が伸びない。このままで本当にいいのかと、心が……ずっと揺らいでいた。


「大切なのは………そうだ、家族なんだ。すぐそこに、いるじゃないか……!」


 震える手が前へ出ない。たった数十センチなのに。さっさと開けて、両親でも、どちらか一人でも連れて行けばいいんだ。


「―――本当に大切な人間は誰だ?」


 不意に声を掛けられ、体が止まる。


 深みのある、優しい男の声だった。

 後ろを振り向くと、玄関先には青い制服、警察官の服を身にまとい、顎に髭を蓄えた男性が帽子を深くかぶって立っていた。紛れもなく、過去に俺を助けてくれた、あの人だった。


「おまわり、さん………?」


 まったく変わっていない。そして、上がった顔を見ても、昔のままだった。彫が深く、目は鋭い、けれど、怖くはない暖かみを覚える瞳。まるで昔の記憶から引っ張り出したように変わらぬ姿の恩人が、そこにいた。


「でっかくなっても、迷いっぱなしだなぁ、お前さんは」


 再び帽子を深くかぶっておまわりさんは顔を隠した。理由を聞く必要なんてなかった。このひとは、多分すべてお見通しだ。


「で、でも! 俺は……俺はあいつを……」

「惚れてねぇんなら何で今そいつの事を考えてんだ?」


 一言一言が、俺の心を貫いてゆく。言い返せず、ただ動揺するしかない。


「だけど………俺は……」

「心が自分に嘘ついてるのかもしれねぇぞ? 別に、愛してなくたっていいんじゃねぇの? そいつに対して、どんな形であれ好意があるんなら、それは好きってことだよ」


 守りたい……一人の人間として。まだ、7の笑顔を見ていたい………! スートとか関係なしに! 俺は!

 両頬を叩いて気合を入れる。そうだ。力を抜け。シュタルスに言われたように。深呼吸をすると、乱れた心を静めた。


「……吹っ切れたか?」

「はい。俺、伝えてきます!」


 走り出そうとする俺を、おまわりさんが引き止める。地図を手渡され、乗って来たであろう自転車を指差した。


「お前が夢中の嬢ちゃんは空港だ。便が出るのは五時だ。急げ!」

「でも、乗り物はダメだって………」


 おまわりさんは指を横に振った。


「説明に自転車、なんて言ってたか? 屁理屈はごねたもん勝ちだ。あとでなんか言われたら、自転車は使っちゃダメとは言われてないって言っとけ」


 そうだ……そんなこと言ってない。俺の勝手な思い込みだったのか。……にしても、かなり強引だな。でも、いいや。今大事なことはそこじゃない。


「ありがと、おまわりさん! 俺……行ってくるよ」


 自転車にまたがり、再び現れたおまわりさんに手を振って、俺は7のいる空港へ疾駆した。直後に、そこへ誰がいたかも知らず。





 司が走り去った後、おまわりさんの後ろからクレイグが現れた。


「よろしいのですか、国王様?」


 クレイグがおまわりさんに声をかけると、おまわりさんは人差し指を鼻の前に立てていたずらっぽく笑う。


「クレイグ……ワシはもうただの〝おまわりさん〟だっつーの」


 そこへもう一人、若い男が現れる。


「ったく、国王様は困るぜ……自分を死んだことにまでして日本でおまわりなんてよー……おかけで王子様の子守はオレがやってるんだぜ?」

「気の毒に………ジョーカーも大変じゃの? ご苦労さん」

「同情すんなよ…………大体クレイグのおっさんは今回何もしてねぇじゃねぇか!」

「まぁまぁ二人ともそう腐るな………まったく、久しぶりにマリアの息子がどんなものか見に来ればずいぶん青二才だったなぁ……昔の妹そのものだ」




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