第34話 幻想桜嵐
紗矢音と守親が黒毛の化生と戦っていた時、桜音はぎりぎりの状態に置かれていた。
「──っ、はぁっ、はぁっ」
「……ふんっ。なかなか、やるな」
互いの刃をぶつけ合った結果、衝撃波が辺りに飛散した。塀や屋根の一部、
桜音はそれらが飛ばされる様を横目にしながら、猛攻して来る真穂羅の刀を受け続けていた。右、左、上、もう一度右。全ての攻撃を受け流しながらも、桜音は手が
(このままじゃ、もたない)
喉の息苦しさは薄まったものの、全くないわけではない。この呪を解かない限り、動きは制限を受け続ける。
「そろそろ、敗けを認めろ!」
「くっ……断る!」
真穂羅の刃が桜音の肩を切り裂き、赤い血が飛ぶ。だらだらと流れる血をそのままに、桜音は気迫と共に刀を振り切る。
桜音の斬撃は真穂羅の胸を狙ったが、刀で防がれて充分な負傷は与えられない。それでもなお、刀同士が響き合う。
(このまま続ければ……──っ、悪い方へ考えるな)
負けるわけには、絶対にいかない。約束を果たせなくなる。桜音は頭の片隅に不安を押しやって、 一歩力強く前へ出た。じゃり、と足下の砂が鳴る。
変わらず真穂羅の猛撃に耐えていたが、それもこれで終わりにする。一瞬真穂羅が離れた隙を見て、桜音は刀に霊力を籠めた。
「──っ、『
「なっ」
「咲き誇れ!」
桜音の叫びが呼んだか、真穂羅の刀を弾き飛ばした刀の斬撃が桜吹雪に変わる。それは単なる美しさを持つ桜吹雪ではなく、花びら一つ一つが斬撃なのだ。無数の花びらが嵐のように吹き荒れることにより、敵を全て切り刻もうと荒れ狂う。
「ぐっ……。そんな、バカな!」
悔しげに呻く真穂羅の袖の衣が引き裂かれ、嵐に持ち去られる。頬や腕に切り傷が入り、幾ら刀で防ごうとしても隙間から花びらが入り込んでいく。
刀をがむしゃらに振って花びらを斬ろうと懸命な真穂羅を見詰め、桜音は冷ややかに告げる。
「この『幻想桜嵐』から逃れることは、ほぼ無理だ。とはいえ、きみならば何とかして逃れるのだろうけど。……僕にかけられた呪を解いてからにしてもらおうか?」
「──笑止。お前の呪を解く? 残念だが、それは契約違反だ」
せせら嗤うと、真穂羅の姿が薄くなっていく。ここに現れた彼の正体に気付いた桜音が刀を持つ手を伸ばすが、間に合わない。
空を斬った刀を見詰め、桜音は大きく息を吐いた。そして、気付いた気配の方を振り向かずに声をかける。
「見ていたんだろう、明信」
「気付いていましたか、流石に」
邸の影から現れた明信は、軽く庭から邸にかけての惨状をみて苦笑を
「これが、千年桜の化身の力ですか……」
呆れると同時に、ある種の感動すら覚える。普段は穏やかで争いごとを好まないように見える桜音だが、いざとなれば邸くらいならば簡単に破壊して見せるのだろう。
明信がそれを口にすると、桜音は肩を竦めて刀を鞘に仕舞った。
「半分は真穂羅だよ。彼は……真っ向から相対して楽勝な相手ではないだろうね」
真穂羅が姿を消した場所まで歩き、桜音はそっと目を閉じた。明信が黙って見守っていると、桜音の足下から霧のようなものが湧き出す。それは桜音を覆い、更に天高く上って行った。
「あれは、何です?」
「あれかい? ここにわずかに残った真穂羅の気配をもとに、居場所を突き止めるんだ。迷わず上って行ったということは、気配が少しでも残っていたということだから」
桜音によれば、あの霧状のものは彼の力の一部らしい。また真穂羅は本体を別の所に置き、魂の一部を切り離してこの場所に現れていたというのだ。
「そんなこと……。いや、出来る可能性はありますね」
「ああ。そうか、きみは陰陽師だったね」
妙に納得の早い明信に感心した桜音が微笑むと、明信は「まだ半人前です」と謙遜した上で、師匠のことを思い出したと言った。
「師匠、正輝は当代随一の力を持つ陰陽師だと評される人物です。昔、あの人が一度だけ魂を式に乗せて飛ばすところを見たことがあります」
それはそれは、美しい光景だった。抜け殻のように眠ってしまった正輝の傍で、翼を広げて大空へ舞い上がった燕の式。その体が帯びる力は色を伴った光であり、色を持ったまま飛び去って行く様子は圧巻だった。
しかし、体と魂は長い時離れてはいけない。離れる時が長ければ長い程、もう一度結び付けて体に戻ることは難しくなるのだ。
明信の言葉に頷き、桜音は「さて」と自分たちが暴れた跡を見回した。
「ここを少し整えておかないとね。帰って来た紗守が腰を抜かすだろう」
そう言うと、桜音は指をパチンッと鳴らした。すると桜を始めとした草木がまるで手足があるかのように動き出し、空いてしまった穴や凸凹が目立たないように自分の位置を変えたのだ。そうすることで見た目はかなり変わるものの、また別の
流石に邸の板などは直せないと言う桜音に、明信は案を提示する。
「守親と俺が、紗守様には説明しておきましょう。邸を修繕するくらいなら、あの人は自分で出来そうですしね」
事実、紗守は普段から趣味の感覚で邸地に小屋を建てたり馬小屋を手作りしたりしている。とても珍しいが、手仕事が好きなのだと笑っていたことを思い出した。貴族らしくはないが、紗守らしいと明信は思う。
「ならば……向かおうか」
ふと表情を改めた桜音は、内裏の方角に目をやる。
「明信、内裏の様子はどうだい?」
「俺は邸の様子を案じた守親の名代ですから、全ては見ていません。ただ……」
明信は桜音と同じ方向を見ると、目元をわずかに険しくした。
「……何か、起こっていることだけはわかります」
「ああ、気配がおかしいね。――行こう」
二人は頷き合うと、庭を横切り門を飛び出した。
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