第29話 告げられた真実
桜舞が行われるのは、内裏の中でも天照殿に最も近い広庭である。月の明かりに照らされた今は、
人々の動きは厳かで、かつ素早い。それは賑わいのない内裏の祭であることの証明であり、時のないことを示してもいる。
「今宵の舞姫様方ですね」
「はい。宜しくお願い致します」
天照殿の見える一角で舞の復習をしていた章は、この場を取り仕切る貴族の一人に声をかけられた。彼女と合わせ、四人の舞姫がここに集っている。
しかし、ただ一人の姿がない。貴族の男もそれに気付いたのか、首を傾げた。
「申し訳ありませんが、もう一方はまだ……?」
「ええ。時までに来れば良いのですが」
「……桜守の姫君ですね。こちらからお邸に問い合わせましょう」
そう言って頭を下げると、男はその場から姿を消した。
「姫様、良いのですか?」
「何がです?」
章の問い返しに、舞姫として共に舞台に立つ少女が躊躇いながらも口を開いた。彼女を始め、三人の姫は章の言うことを聞くべき立場にある。章の本当の身分を知る数少ない古来からの貴族の娘である彼女らは、章をないがしろにすることはない。
今回舞い手として選ばれた者たちは、紗矢音以外は故意的に選ばれているのだ。全ては、一晴と真穂羅の計略である。
「……もう一人の舞い手は、来るのですか?」
「……」
他の二人も、章がどう答えるのか興味があるらしい。固唾を呑んで見守る彼女らを含め、章は三人を見て妖しく微笑んだ。
「さあ。……運が良ければ、来ることが出来るかもしれないわね」
舞のための扇を広げ、章は口元を綺麗に隠す。それでも目元は隠すことが出来ず、三人に恐れられていたとは気付かないでいた。
月が昇る少し前。夕刻が近付き、邸を出なければならない時が近付きつつあった。
紗矢音は身なりを整え、最後にと桜音の前でくるりと一度回って見せる。ひらりと単の端が浮き上がり、まるで桜の精がその場にいるような姿だ、とは桜音の心の声である。
「どう、でしょうか……?」
「かわいいよ、紗矢音。あれだけ練習したんだから、自信をもって出掛けてきて」
「はい。――あ、そうでした。お話」
ぽんっと両手を胸の前で合わせ、紗矢音は首を傾げてみせた。
「桜音どの、お話とは?」
「それは……」
逡巡し、それでも話し出そうとした桜音。しかしそれに続く言葉は、全く違うところから発せられた。
「あんたの前世についてだよ、桜守の姫」
「誰!?」
紗矢音が声のした方を振り返ると、邸の屋根の上に真穂羅が座っていた。いつの間に結界を越えたのかと思えば、彼の真上に透明な穴が開けられている。無理矢理開けたのか、穴の周りにはひびが見えた。
「あなたは、真穂羅」
「覚えておいてくれて、光栄だ」
「何をしに来た?」
警戒を濃くする紗矢音に対し、真穂羅は「何をだって?」と愉快そうに笑ってみせた。ひょいっと軽い動作で屋根から飛び降り、紗矢音の目の前に立つ。
「教えに来てやったんだよ、お前の前世――過去の姿をな」
「前世?」
「耳を貸さないで、さ……大姫」
紗矢音の名を飲み込み、桜音が紗矢音の耳を塞ごうとする。しかし彼の手が届くより先に、真穂羅の声が滑り込んでしまう。
「あんたはこの世に生まれる以前、澄という名の女だった。――わかるか? そこにいる桜の化身と恋人だった姫と、お前は同じ存在なんだよ」
「やめろ―――っ」
桜音が刀を抜き、真穂羅に斬りかかる。それをひらりと躱した真穂羅は続けざまに襲って来る刃を弾き返し、楽しげに笑った。
「何故、そんなに焦る? あいつは自分の過去世も教わっていなかったのか?」
「黙れ」
「可哀そうになぁ。自分が抱く気持ちが、過去に引きずられた結果だと知った時、あの姫はどう思うだろうなぁ?」
「黙れと言ってい……っ、ゴホッ」
「――ほら、言わんこっちゃない」
喉を押さえ、体を折って咳き込む桜音。彼の姿を見下ろしながら、真穂羅は冷めた瞳でそれを見詰めている。
「あ……桜音どの……」
ふらっと動いた紗矢音は、苦しそうな桜音の背をさする。頭の中はぐちゃぐちゃに引っ掻き回されていたが、苦しそうな桜音を放置することは出来ない。
「桜音どの、大丈夫ですか!?」
「ごめ……ね、大姫。ゴホッ。声が出なくなる前にと思っていたのに……きみの傍に居られなくなることが怖くて、話すことが躊躇われたんだ」
「そんなこと……」
桜音の声がかすれる。苦しげな咳が吐き出されるに従って、彼の命の灯火が弱くなっていくように思えた。それが恐ろしく、紗矢音は彼にすがり付いて
「そんなこと、あり得ません。わたし、わたしはあなたのことが……」
その時、真穂羅の言葉が唐突に甦る。
──可哀そうになぁ。自分が抱く気持ちが、過去に引きずられた結果だと知った時、あの姫はどう思うだろうなぁ?
(わたしの想いは、澄姫に引きずられたから……? ならば何故、こんなにも胸が苦しいの?)
紗矢音は「違う」と自らの問いを否定した。引きずられたのではなく、自分自身の気持ちなのだと。願いも籠めて、今の自分を肯定する。
そうしなければ、全てが嘘になってしまう気がした。紗矢音の想いも、澄姫の想いも。
激しく拍動する胸の奥が痛い。激痛を伴い、息をするのさえ苦しい。紗矢音は苦しさと躊躇いとを感じながらも、押し出すように言葉を発した。
「……わたしは、あなたをお慕いしております。澄姫としてではなく、わたしとして。だから、だから……、わたしがあなたの傍から離れることはありません!」
「おお、ひめ……」
恥じらいながらも、真っ直ぐに桜音を見詰める紗矢音。その瞳が揺れていることに気付き、桜音は己を恥じた。
(僕が弱気になってどうする? 澄姫と約束したじゃないか。自分の気持ちを素直に受け入れ、彼女に伝えると。なのに……)
「……先に言われてしまっては、男としてどうなのかな」
「桜音どの?」
「──……っ」
小首を傾げる紗矢音が愛しい。桜音はどうしようもなく溢れる想いに耐え、真穂羅を振り返った。その手は紗矢音の肩を抱き寄せ、決して離さないことを暗に示していたが。
「終わらせよう、真穂羅。きみときみの先祖との因縁を、この時代で」
「……良いだろう」
真穂羅はニヤリと笑うと、トンッと庭の灯籠を足場にして宙に浮かんだ。
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