第27話 穢れのもと

 静かな森の奥。一人祭壇に向かっていた青年は、おもむろに右腕を上げた。

 祭壇の上には、先祖が残した鏡が置かれている。鏡は血統の象徴であり、正しさの証。その鏡を手のひらに収めるよう手を向け、青年―一晴いっせいは眉を寄せた。

「桜舞まで、あと数日。全ては決し、千年桜の息根を止める。黄泉の軍勢を呼び寄せれば、我らに逆らう者などいるはずもない」

「――その通りでございます、殿下」

「真穂羅か。脅かすな」

 さして驚いた様子も見せず、一晴が振り向く。そこには先程まで人影などなかったにもかかわらず、一人の男が立っていた。

 影を背負い、嘲笑うかのような笑みを見せる男。真穂羅もまたある目的のためにこの国の転覆をはかり、一晴に協力を申し出た。

 少し不機嫌な物言いだっただからか、真穂羅はわざとらしく目を見開く。

「これはこれは、お許しを。……おや、あの鏡は久し振りに目にしましたね」

「ああ。そろそろ頃合いかと思って、蔵から出してきた」

 祭壇に据えられた鏡は、いつもこの場所にあるわけではない。先祖がとある事情で都を追われてからというもの、ほとんど表に出すことはなかった。しかし真穂羅が見たいと願って見たのを契機に、一晴は時折虫干しのつもりで祭壇に据える。

 しかし今は、虫干しなどではないが。

「首尾はどうだ?」

「滞りなく、とはいきませんがね。邪魔してくれる者たちもいますし……とはいえ、それもあと数日のことでしょう」

 廃寺、廃社、桜守の邸。一つずつ落としてきた布石は、本当の狙いのために。

「落とすべき場所は、あと一つ」

 鬼門を穢し、守り人の邸を穢し、あと一つ。

 真穂羅の言葉に頷いた一晴は、鏡を見上げて決意を新たにする。

「――必ず、この国を我らの手に。あるべきものをあるべき場所へ」


 一晴の邸を出て、真穂羅は風のように駆けていた。目指すは、都の鬼門。より深く傷を与えることで、企ての成功はより強固なものになる。

 一度与えた楔は簡単には抜けない。それこそ、稀代の陰陽師でもない限り。そう思い余裕を持っていた真穂羅だったが、廃社に近付くにつれて違和感を覚えた。あるはずの『呪』の気配が消え、別のものにすり替わっている。

 境内に入ればあばら屋同然だった建物は半壊し、地面も荒れている。そこに漂う清涼な気に気付き、真穂羅は苦笑いを漏らした。

「……おや。ばれてしまったか」

 肩を竦め、本殿の中へと滑り込む。本殿とはいえ、最も崩れ落ちたそこには既に屋根もない。かろうじて立っていた戸の間を縫うように進むと、穴だらけの床に焦げ付いた跡があった。

 この場所に残したはずの穢れのもとは、何処かに持ち去られたらしい。狐の最期の気配もわずかに残り、真穂羅は己の式の一つが倒されたことを知った。

「流石は、稀代の陰陽師。あの桜守にはそんな者までが味方しているのか」

 面白い。真穂羅は肩を震わせた後、懐から新たな『呪』を取り出した。

 それを持ち、本殿を出て奥へと進む。目指すは、鎮守の森の更に奥。鬼門を封じる役割を担う社は幾つかあるが、一つでも瓦解させられればこちらものだ。

「黄泉の王の力、甘く見るなよ?」

 この鎮守の森には、千年桜に匹敵する霊力を保持する樹木がある。忘れ去られて久しいが、長きにわたって人々の信仰から得た力はすさまじく、未だに雄々しく葉を茂らす。

 常磐の木。真穂羅の先祖から少しずつ力を削いできたそれは、近々完全なる闇に染まる。その時、桜と常磐のどちらが勝つのか見ものだ。

 真穂羅はその幹に手を置き、ほくそ笑む。

「さあ、常磐よ。黄泉の王よ。我らの願いを叶えるため、闇へと落ちてもらおうか」

 手にしていた『呪』と書かれた紙片を矢に結び付け、弓を取る。ある程度距離を取ってから、真穂羅は弓を引いた。

 ――カッ

 見事幹に突き刺さった矢から、黒い靄のようなものが溢れていく。それは徐々に木の全体を包み込み、葉を黒く染め上げる。本来ならば、神木ともされている木がこの程度で闇に堕ちる等あり得ない。それでも姿を変えたのは、何百年にも渡る呪術師たちの努力の賜物だった。

「美しい」

 黒く染まり燃え上がるような霊気を放つ常盤を前に、真穂羅は見惚れたように目元を和ませた。これが布石の大切なひとつであると理解し、更なる石への繋ぎとなる。

「……このまま見ていたいが、そうもいくまい。今はまだ、公にするべきではないからな」

 真穂羅が指を鳴らすと、黒い霊気は跡形もなく姿を消した。普段の常盤の緑の葉に戻り、風になびく。こうなってしまえば、どんなに強い力を持つ者であっても変化に気付くことは出来ない。

「あとは、桜舞が無事に行われれば良い」

「お任せを」

 儀式の様子を見ていたのか、木の影からし白拍子姿の少女が現れる。彼女―あきは妖艶に微笑み、扇を手に一節舞ってみせた。

「久遠、時永、常盤の導き。我らの願い、今成し遂げる」

「始めようか。――長きに渡る戦い、その終息を」

 ザッと風が吹く。髪を乱され、章は一瞬目を閉じた。次に彼女が目を開けた時、底には既に真穂羅の姿はない。


「……何だ?」

 同じ頃、桜の枝の上で夜風にあたっていた桜音は閉じていた瞼を上げた。何処からか、悲鳴が聞こえた気がしたのだが、確かな証はない。

 しかし千年桜も不安げに枝を揺らし、何かを悲しんでいるようにも思われる。

(僕と桜が分かれて、幾歳経っただろう。桜の考えを知ることは、最早出来なくなったな)

 過ぎてしまったものは仕方がない。澄姫と同じく、もう手に入ることはあり得ない。ならば、今あるものを懸命に守るしかないではないか。

「紗矢音……」

 月下で舞う、一人の舞姫。二日後に迫った桜舞の舞台に向け、一人稽古を繰り返している。

 真穂羅という青年の動向、その目的。そして、彼の背後に立つ存在への恐怖。それらへの恐れを振り払うがごとく、紗矢音は一心不乱に体を動かしていた。

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