第8話 出会うべき人

 ──戦い方を教えて欲しい。

 紗矢音の願いを聞いて目眩を起こしかけた守親は、ぐっと足元に力を入れてそれを防ぐ。そして険しい目元のままに、妹を「大姫」と呼んだ。

「……お前が自ら戦わなくても、俺と明信がいるが? それでは力不足だと言うのか」

「そうではありません。ただここまで関わりを持った以上、もう知らないではあまりにも自分が許せません」

 あえて威圧的に見下ろしてくる守親を睨み、紗矢音も負けてはいない。妹だから、女だから。そんな理由で除け者扱いをして欲しいとは思わない。

 それに、と紗矢音は続ける。

「わたしは何より、千年桜が好きなのです。あの桜が苦しんでいるのなら、助けたい。……それでは、駄目ですか?」

「……」

「……」

「………………はぁ」

 睨み合いの末、折れたのは守親だった。

 大きく息を吐き出し、目を伏せる。その目を覆うように大きな手を当てた。

 そんな友に対し、明信はにやつきながら「負けたな」と肩を叩く。

「俺がどれ程『妹姫に懇願されるだろう』と言っても、絶対許さないと強がっていた癖にな。やはり本物の勢いには圧されたか?」

「というより、こいつの本気が目の前だとよくわかるんだよ。……大姫」

「はい」

 真っ直ぐに自分を見上げる妹の瞳は、既に覚悟を決めている。ならば、兄としてそれに全力で応えなければならない。

 守親は己も覚悟を持ち、紗矢音に向き合う。

「俺が教えられるのは、武術の初歩だ。刀の使い方を少し教えられる程度で、後は独学で学んできた」

「守親が武なら、俺は呪術の基礎を。きっと、役に立つと思う」

「はいっ。宜しくお願いします」

 快く承諾してくれた守親と明信に頭を下げ、紗矢音は思いを新たに唇を結んだ。


 翌日早朝。紗矢音は朝霧の立ち込める中、一人千年桜と向き合っていた。

 春の空気はどこか柔らかく、紗矢音は大きく息を吸い込む。そして吐き出すと、冷たい桜の木の幹に触れた。

「……兄上たちから、戦い方を教わることにしたの。少しでも、あなたを守るために出来ることを増やしたくて」

 応じる声などない。しかし紗矢音は、桜が聞いてくれているように思えていた。

「千年桜。あなたは、不思議な存在ね。人ではないのに、こちらの思いを知っているかのように思えることがある。……まあ、わたしの思い込みなのでしょけど」

 くすりと笑い、紗矢音は踵を返した。今日は明信が置いて行った霊力に関する巻物を読まなければならない。それらを読了後は、自分の力を思い通りに操るための訓練が待っている。

(後は、兄上の動きをなぞって刀を使う練習もしなくては。ただ守られるだけの弱いお姫様じゃいけないって決めたんだから)

 ただの貴族の姫でいたくない。それは、紗矢音が幼い頃から抱き続けている思いだ。

 他の貴族の姫君は、歌や作法を習って良い奥方になろうとする。そうすることで一族が繁栄し、自身の幸せにつながるのだと信じて疑わないから。

 しかしそれを、紗矢音は良しとしない。

 桜守になる兄を支えられる妹になる。それが、紗矢音の目標だ。

 家のための婚姻などしない。それは自分にだけは嘘をつきたくないという彼女の意思の表れであり、兄も父もそれを是とした。

 母は数年前に病で他界した。しかし彼女もまた、紗矢音の望む未来を応援してくれたものだ。

「あなたには、出逢うべき人がいる。だから、あなたの進みたいように生きなさい。必ず、出逢えるから」

 紗矢音には、出逢うべき人がいる。それは母の口癖だった。

 紗矢音と守親の母・千矢ちやは不思議な力を持っていた。少し先のことを予知することが出来るという巫女でもあったのだ。その力でもって、紗矢音の運命を示唆していた。

 紗矢音は母の言葉を信じ、自分の本能的感覚も信じた。母が口にする以前から、自分を見守るあたたかな目の存在を知っていたから。

「……いつか、に会えるのかな」

 桜のようにあたたかで儚い、その影。記憶に深く根付いたその面影に、紗矢音は囁いた。


 紗矢音が資料を読むために庭を去った後、千年桜は風に吹かれていた。風は春の気を含んで暖かく、道を歩く人々や牛の肌を撫でる。

「……」

 千年桜の木の上。花に隠れて下からは気付かない枝に、腰掛ける人物がいた。

 背中の中頃まで伸びた白髪を赤い紐でくくり、身に着けている狩衣は桜色。瞳は薄紅色で、邸の自室で懸命に文字と向き合う姫を優しい表情で見詰めている。

 彼は紗矢音に伸ばしかけた手を、紫色に変色した喉にあてた。少し前までは声を出すことに違和感はなかったが、そろそろ呪が影響を及ぼし始めている。

「さや。……いや、紗矢音」

 愛しい者を呼ぶ声はかすれ、青年は悲しげに目を伏せた。

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