第6話 兄妹

 明信と廃寺を訪れてから三日後、紗矢音は一人で邸にいた。あの後もう一度蔵へ行き、また塗籠も探して数巻の巻物を見付けている。それらを読むのに時を費やし、ふと夕刻の陽射しに気付いたのだ。

「わたし、いつから読んでいたのかしら……」

 視線を落とすと、そこには読み終わりかけの巻物が一つ広げてある。その傍には、読み終わって巻き戻したものが幾つかまとめて置いてあった。

 最後に外を見た時、朝方でまだ日は昇っていなかったはず。

 唖然と沈む夕日を見詰めていた紗矢音は、ギシギシと簀の子を踏む足音に気付く。誰が来たのかと待っていると、「大姫」と自分を呼ぶ守親の声がした。

「大姫、今良いか?」

「兄上。はい、どうぞ。──お帰りなさいませ」

「ああ、ただいま」

 のそりと几帳を押して入って来た守親は、何処か疲れの見える顔つきをしている。内裏は気を遣う場所だ、と以前父が漏らしていたからそれだろうか。

 紗矢音はせめて、と円座を出して守親に勧めた。

 すまないな。そう言った守親は円座の上に胡座をかくと、ふと床に広げられた巻物の数々に目を移す。ふっと呆れたように微笑んだ守親は、それらを片付けようと手を伸ばす妹を制した。

「いい。どうせ、これから話すことには必要だろう。それに、お前は夢中になって時を忘れていたのだろうからな」

「また、とは失礼ですよ。とはいえ、反論の余地などありませんが……」

 恥ずかしげに頬を染めた紗矢音は、昔から夢中になると時を忘れる性分だ。物語を始め、幼い頃は丸一日千年桜を見上げていて首を痛めたこともある。それらを思い出したため、紗矢音はぐうの音も出ない。

「まあ、それは兎も角」

 妹をからかうのに満足した守親は、ふと表情を改めた。声色すらも変わり、紗矢音にも緊張が走る。

「内裏で、明信に会った。お前にも知らせるとは言っていたが、例の術師の居所いどころがわかったと」

「──それは、まことですか?」

「真だ。嘘を言って何になる」

 身を乗り出した紗矢音に頷き、守親は右手を広げた。するとそこに式の蝶が現れ、弾けて紙片となる。

 紙片には文字が書かれており、守親はそれを読むよう紗矢音に促した。紙を受け取り、紗矢音は声を落として読む。

「……『術師、鬼門の廃されしやしろ』。鬼門の方角に位置する、廃された社に潜んでいるということですね」

「その通り。私は早速、父上に知らせてくる。夜にでも明信と共にそちらへ赴くが……」

「わたしも行き……」

「駄目だ。待っていなさい、大姫」

 自分も行くと紗矢音が言い切る前に、守親が制する。でも、と紗矢音が二の句を継ぐ前に、真剣な目をした兄に黙らされた。

 守親は、すぐに飛び出して行こうとするこの妹を、殊の外案じて大切に思っている。他人の為にと動くたちは美徳だが、自分を顧みない危うさがあるのだ。

「お前が、千年桜を思っていることは充分過ぎる程知っている。けれど私が……が、お前を大切な妹だと案じていることも忘れるなよ、紗矢音」

「ごめんなさい、兄上。……けれど、わかった上でわたしが動くということは、兄上もわかっておいででしょう?」

 一歩も引かない姿勢を見せる紗矢音に、守親は内心苛立ちを覚えた。しかし激昂したところで、何の益もない。

 ここで無理矢理留守を命じたところで、紗矢音は密かについて来るに決まっている。ならば、どちらがより守親にとって最善かを選ぶべきだ。

 大きなため息をつき、守親は白旗を上げた。

「わかった。なら、共に来い。その方が、憂いを少なく出来る」

「ありがとうございます、兄上!」

 ぱっと表情を明るくした妹に、守親はきっちりお灸を据えることを忘れない。

「ただし、俺たちが守れるところに必ずいろ。でないと、二度はない」

「──はい」

 一途さと強情さは紙一重。紗矢音の真っ直ぐさが時に恨めしい、と守親は苦笑した。




 鬼門。

 それは、この世ならざる場所やモノと繋がるという忌避地。鬼門を封じる為に大きな寺が造られ、また社も置かれている。

 しかし時に、その封印が緩むことがある。周期は長く途方もないが、確実に訪れるこの世の危機だ。

「──あの日から、二百年。再び黄泉よみへと繋がる戸が開かれる」

 男の低い声が響く。

 闇色の狩衣を身に付け、烏帽子は使い込まれているのかぼろぼろだ。袖を伸ばし、男は座してぬさを振った。

 ──ちりん。

 何処かで鈴が鳴る。涼やかな筈のその音でさえ、男の周りでは色褪せた。

 切れ長の目をひらき、男は誰もいない社の鎮守の森に立つ。風が吹き、烏帽子を吹き飛ばした。世話をする人がいなくなっても、森は森としてその姿を留めている。

「……おや」

 まとめていた髪が解け、長い黒髪が広がる。そのと気になって、男は自分を見下ろす『目』に気付いた。

 男は揺れる木の葉に隠れた蝶を見て取ると、右手の人差し指と中指を立てた。そして、素早く振り上げる。

「──めつ

 ボンッと音をたて、蝶が燃え消える。灰も残さずいなくなった『目』のいた場所を満足げに見ると、男は細い目を更に細くした。

「見ている者がいる、か。それはあの寺の気配と同じか、否か」

 男は、あの時寺にいた。ただ気配を完全に絶ち、姿さえも消していたに過ぎない。だから式の白い燕を見、外で話す男女の存在にも気付いた。

 話から脅威とはなり得ないと判断したが、早計だったか。

「まあ、良い。楯突くならば、消すだけだ。──なあ、黄泉ノ王よ」

 男の呼び掛けに答える声はない。しかし、男の影がひとりでに揺らめく。

 くくっ。影が応じたことに気を良くした男の声が、鎮守の森に静かに広がった。

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