第2話 とりあえず敬語やめよう?
「とりあえず……上がって?」
玄関を指すと、小梅は頷いた。一人暮らしの男の家に女の子を入れるのもどうかと思うが、あいにく俺は失恋直後。今は心の傷の修復に必死なのでそれどころじゃない。あと単純に寒い。
俺に続いて靴を揃えている小梅を改めて見る。うん。面影はあるな、たしかに。目の下にある小さな泣きぼくろとか。
人間10年も前の記憶なんて思考の遥か彼方かと思ったけど、案外覚えているものらしい。
「洗面所はこっち。トイレは洗面所の隣の、ドアノブにキーホルダーかかってるとこね」
「あ、はい。分かりました。……可愛いですね。このキーホルダー。クマちゃん?」
「うん。レイちゃんがつけてった」
怪しい人ではないと分かって俺は厳戒態勢を解いたが、小梅は相変わらず敬語だ。昔はよく『御影くん! 遊ばへん……?』と関西弁で笑っていたんだけど。やっぱ久しぶりだもんなぁ。寂しいような、寂しくないような……
リビングに荷物を置くと、急に疲れがどっときた。1日の間に色々ありすぎ。神がいるんだとしたら超絶恨むわ。
「み、御影くん……?」
「あ、ううん。お茶用意する」
冷蔵庫の前に立ち尽くしていたら、小梅に心配そうに尋ねられた。慌てて扉を開く。さすがに客人に何も出さないのは悪い。幼馴染とはいえ。
冷蔵庫の中を覗く。あるのは……水だけか。しかも災害用に置いてたやつ。めんどくさいから、ジュースとか買ってこないもんな。
申し訳ないけど、コップに水を注いでテーブルの上に置いた。急だったし仕方ない。小梅はぎこちない様子で、テーブルの向かいに座っている。
「ごめん。お茶なかった」
「あ、いえ、そ、それは全然いいんですけど……ちょっと、冷蔵庫の中見せてもらってもいいですか?」
「えっ、いいけど……」
小梅はコップの中を覗いて少し目を見開き、テクテクと冷蔵庫に向かって歩いていった。そんなにおかしいだろうか。男子高校生の一人暮らしってそんなもんじゃない?
ガチャリ。扉を開いて、小梅は今度こそ大きく目を見開いた。表情筋の仕事ぶりが半端ない。あ、でも美少女を構成する筋肉になったら、俺も一生懸命働くかも。
「な、なんにもないじゃないですか……っ! ほんとに水以外……えっ、どうやって生活してるんです?」
「えぇ!? て、適当にコンビニで弁当買ったり……?」
「でもそれにしても普通もうちょっとなんかあるでしょう? ダメですよこれは。体壊します。そりゃレイさんも心配するわけです」
「レイ? レイちゃんがどうかしたの?」
「へっ? 話聞いてないんですか?」
「話って……?」
キョトンとした俺に、小梅はため息を吐いた。
「メールとか来てません?」
「メール……あぁ〜」
そういや最近確認してなかった。
保護者で、ついでに叔母にあたるレイちゃんは、いま海外で働いている。連絡手段はメールか電話なんだけど、最近どっちも気にしてなかった。携帯を見れば、10件ほどメールが溜まっている。
「わたし高校は東京に行くことにしたんです。でも東京って家賃高いし……悩んでたら、レイさんがうちに住まないかって言ってくれたんです。御影もちゃんと生きてけるか心配だからって言われて、私は家事もできるし、それで来ました」
「それで来ましたって……」
小梅もレイちゃんも軽すぎないか?
一応オレ男なんだけど。高校生の男女2人暮らしってそれは……何も起こす気はないとはいえ、ちょっと不健全じゃないの? 間違いがないっていうのは言いきれないし。いや、言いきるけども今のとこ!
「でも来てよかったです。部屋もほとんど物ないし、だからまだ綺麗ですけど、掃除をしてる形跡もないし。食料はないし」
「会ったの久しぶりなのに酷いっすね」
「酷いのは御影くんの生活習慣です! とりあえず今から私は晩御飯買ってきますね。たしか5分くらい歩いたところにスーパーありましたよね」
「いや突然だな……ていうか俺着いてくよ。荷物とか持つし。疲れたでしょ? なんなら買うもの教えてもらったら買いに行くし」
「デリバリーもいいですけど、でもやっぱりちゃんと栄養あるもの食べてほしいので。あっ、それは大丈夫です。買い込む気はないので。それより御影くん、だいぶ顔色悪いですよ? ちょっと休んでいてください」
小梅がさっきまでいた玄関に逆戻りしていく。こんなオカンみたいな性格だったけ。昔から世話焼きだったような気もするけど。
ていうか、顔色悪いんだ。
「あっ、」
不意に大事なことを思い出して、靴を履いている小梅に声をかける。
「一応幼なじみなんだしさ、久しぶりだけど敬語やめようよ」
「えっ? あっ、そっか……はい、分かりました」
「さっそくじゃん」
笑うと、小梅は恥ずかしそうに小さく微笑んで家を出ていった。
1人きりなったのもあって、急に力が抜けた。自分の部屋によろよろ歩いていく。体が重力に押し潰されてるみたいだ。吸い込まれるようにベッドに体を沈める。
「ほんと1日の間に色々ありすぎなんだよ……」
また滲みそうになった涙を慌てて拭った。買い物から帰ってきたら幼馴染が号泣してましたなんて笑えない。他のこと考えよう、他のこと。
ああ〜〜やっぱ無理だ。
槇宮さんは、今頃どうしてるんだろうか。ちょっとは泣いたりしてほしい。別に俺と別れたから、じゃなくてもさ、後悔したりとか、まぁ、泣いてくれたらそれでいいかも。ま、罰ゲームだったことだし、笑ってるかな。
「でも、今になってなんで突然……」
だって1年。1年って、けっこう大きいと思う。罰ゲームにしては長すぎるし。
他に理由があるんじゃないか、なんて希望を持ってしまう。もう少し聞けば良かったかな。感情的になってしまったから。もっと冷静に話を聞けば良かったかも。
ぐるぐる周り続ける考えを払拭するように大きくため息を吐いた。良くない。マジで負のループに入るのだけは良くない。今は考えちゃダメだ。絶対に。
机の引き出しをそっと開ける。1番に目につくのは背表紙の赤いアルバム。小梅の写真も残ってるはず。
小梅とは、家が隣だった。近畿地方の、北の方。田舎で、人口も少なかった。小梅とはすぐに馬が合って、親友になった。ずっと仲が良くて、毎日遊んで。だけど俺は、小梅のことを異性として意識していなかったと思う。小梅もそうだろう。じゃないと泥んこになって遊んだりしないと思うし。
7歳くらいで俺が引っ越すまで、関係は続いた。引っ越してからは、今までずっと一緒だったのが嘘のように会わなくなった。以来、10年の間に一度しか喋ったりしていない。
「あった……」
アルバムはまだトラウマで、あんまり見れない。無心で小梅の姿だけを探す。
4歳くらいだろうか。髪色は変わってないけど、顔つきは変わった。でも目は大きくて、将来美少女になりそうな雰囲気がある。
肩を組んで笑う俺と小梅を指でなぞっていたら、ガチャ、と玄関のドアが開く音が聞こえた。慌ててアルバムを引き出しの中に戻す。
「おかえり」
「た、ただいま、御影くん。聞き忘れてたんやけど、好きな食べ物って昔から変わってへん、よな……?」
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