7 親愛なる

 首を傾げると、ジアはまた泣きそうになりながらしゅん、と肩を落とした。


「…………ごめんね。私がもっとちゃんと話をしていればよかったのに……」

「え……?」

「ラーシャの疑惑のこと。ゾーイが病院に運ばれたって聞いた時、私、すごくパニックになった。ゾーイの声を聞いていたのに、私はちゃんと取り合わなかった。本当にごめんなさい……。わ、私が……じ、じぶんのことばっか、かんがえていたから……親友失格だね」

「ジア?」

「で、でも……っ!! ゾーイが助かったって聞いて、私っ、もう一回ちゃんと調べてみたの! そうしたらっ、そうしたらね、すごい真実が分かったんだよ……! あ、朝、話そうかなとも思ったんだけど、ゾーイ、記憶が混乱してるみたいだからやっぱり後にしようって思って……ごめん。すぐに話さなくて」


 ジアはじんわりと目に涙を浮かべながら頭を下げる。

 ちょっと待って。wait wait。Wait a minute!


「ジアどういうこと? ら、ラーシャの、疑惑……?」

「うん。……もしかして、これも覚えてない?」

「……恥ずかしながら」

「…………そっか」

「……ねぇジア。わたし、知りたい。わたしに何が起きたのか。どうして病院に運ばれることになったのかって」

「…………うん」

「お願いジア。知っていることを話して欲しい。なんだっていい。なんでもいいから……」

「……………………分かった」


 ジアの切羽詰まっていた表情が少し和らいだ。ジアはそれから俺の手を引いて食堂の隅に座り、周りをちらりと気にしながら小声で話しだす。


「あのね。ゾーイ。本当に、この思い出を話してもいいのかなって、まだ迷ってはいるんだけど……。ゾーイは本当に知りたいんだよね? その……自殺する前のこと……」

「うん。知りたい。自分が何をしたのか知らないなんて気持ちが悪いから」


 ズキズキと胸が痛む。

 俺はゾーイではないのに、彼女に何が起きたのか知りたいなんて傲慢なことを親友に頼んでいるのだ。

 ジアは深呼吸をする。細い息遣いの後で、彼女はそっと口を開いた。


「ゾーイが自殺を試みた日。午後の授業の前に、私たちは裏庭で雑誌を読んでた。風が心地いい日だったから、あんまり人が来ないその場所でのんびり過ごしてたんだ。メイクの特集を読んで、私たちがこういうの使ってもいいのかな? なんて笑いながら話してた。いつもみたいにすごく楽しかった。だけどね。普段は人が来ない裏庭に、その日は別の客も来たの。私たちは気配に気づいて何事だろうねってその人たちのことをこっそり覗いた。ちょうど用務倉庫が近くにあったから、その陰に隠れてね。……で」

「で?」


 ジアはもう一度息を吸い込む。


「そ、そこにいたのはラーシャだった。……えっと、もしかしたらあんまり覚えてないかもしれないから先に補足しておくんだけど、ラーシャは私たちにとって神みたいな存在なの。というか、勝手に私たちが神様認定してるだけなんだけど。彼は他の生徒たちとは違って、私たちと積極的にコミュニケーションを取ってくれるの。存在感がぺらぺらで空気みたいな私たちのことを、ラーシャはしっかりと見てくれる貴重な人なんだ。朝話したみたいに、私たちは別に嫌われてるわけでもなんでもない。ただ存在をあんまり認識してもらえないだけで。でも、ラーシャは違うの。私が教科書を忘れた時にはすぐに貸してくれたし、ゾーイが転んだ時には絆創膏をくれた。彼は本当に誰にでも優しい紳士なの。だから、私もゾーイも、彼を拝み倒す勢いで崇拝してた」


 ジアはふざける気配など一ミリもなくしっかりとそう話してくれた。

 なるほど。それならあの日記に書いてあったラーシャへのハートマークや敬愛も頷ける。

 虐めがないとはいえ、存在を認識されていないってのも十分にキツイ。確かに俺も、ラーシャみたいな人に優しく接してもらえたら速攻で信者になる自信がある。

 俺が腑に落ちた顔をしていたのか、ジアは少しだけ肩の力を抜く。彼女にも辛い思いをさせてしまっている気がする。共に時を過ごしたはずの親友にこれまでの思い出を語りかけているようなものなのだから。


「……それでね、その日、ラーシャは裏庭に来た」


 ジアは本題へと話を戻す。


「来たのはラーシャ一人じゃなくて、もう一人いた。この前転校してきたばかりの一年生の子だよ。珍しいタイミングでの転校だったから校内でも話題になってね、私たちもその子のことを知ってた。一年のミゼル。彼女は当たり前だけどすごく可愛くて、もうきらっきらなの」

「それは分かるよ」


 周りを見ても、皆キラキラしているけどね。


「でもでも普通のきらきらじゃないの! もうラーシャ並! ラーシャレベルの神々しさなの」


 ジアは興奮気味に話す。彼女の鼻息が若干荒くなってきた。そんなに絶世の美少女なのだろうか、そのミゼルって子は。


「そ、そっか……」

「そう! それで私たちも、どうしてこの二人が? って興味津々で様子を見守ったのね」

「うん」

「で、……で! で!」

「う、うん……」


 ジアの勢いに押されそうになりながらも相槌を打つ。静かな声で話しているのに、なんだか大声で話しているくらいの気迫があった。


「彼女、ラーシャを見つめて、ずっと会いたかった。これからはずっと一緒にいられるね。もう離れたくないって言って泣きながら笑うの。そのままラーシャに抱きついて、強く抱きしめてた。強く……つよく……」


 こぶしを握ったジアは苦虫を嚙み潰したような顔をする。


「ラーシャも彼女の頭を優しく撫でて、辛かったね、もう大丈夫だから、って囁くの。そうしたら彼女は小さく頷いた。で、ラーシャから離れるなり彼の頬にキスしたの。ラーシャはびっくりしてたけど、すぐにくすくす笑ってまた頭を撫でてた」


 ジアの表情が険しくなったような気がした。

 俺もこの後の展開がなんとなく読めてきた。でも、信憑性はないから彼女の話の続きを待った。


「それを見たゾーイはすごく落ち込んでいたよ。……ゾーイ、ラーシャのこと好きだったから……。い、今もどうかは……分からないんだけど、ね」


 恐る恐る俺のことを見やる。ジアの瞳は微かに震えていた。

 やっぱりそうか。

 ゾーイはラーシャを崇拝し、恋をして、彼に希望を見出していたんだ。

 誰にも見てもらえない自分のことを彼は見てくれた。

 彼がゾーイを突き放したわけでも、何か酷いことを言ったわけでもない。

 けれどゾーイにとって彼への恋が敗れたことは悲劇だった。

 彼に夢見ることで紡ぐことが出来た細い糸が、ぷつんと切れてしまったんだろう。


 正直、繊細すぎないかって思う。

 もう少し長い人生を送ってきた藤四郎目線としては、この先の人生もっともっと辛いことがある。というか辛いことの方が多いかもしれない。一つの救いだけに頼ってしまっては到底耐えられないことだらけだ。


 でもゾーイはまだ高校生。

 それに、こんな世界に生きているんだ。普段から想定以上のプレッシャーを感じていたのかもしれない。

 彼女がこれまで抱えてきた苦悩を思えば、彼を唯一の救いにしてしまっていたことを責められない。


 日記に綴られていた彼女の懸命な想いが胸を突く。

 ゾーイへの親愛にも似た情が湧いてくる。

 同じ気持ちが分かるのだから、簡単な結論で済ませてしまっては良くないだろう。


「大丈夫? ゾーイ」


 何も言わない俺を心配したのか、ジアが眉尻を下げる。


「うん。大丈夫。……話してくれてありがとう、ジア」


 自殺の原因は少し思っていたのとは違った。

 でも、彼女の深層を知れたことはやっぱり良かった。

 彼女は繊細だ。でも、俺はそんな彼女の純真さを認めてあげたい。


「ううん。いいの。私も、ゾーイから電話がかかって来た時に冷たくしちゃった気がするから……。だから、私……」


 ジアは肩をすくめてどんどん小さくなっていった。どうやら自殺の前にゾーイはジアに連絡を取っていたみたいだ。もしかしてジア、それに責任を感じてる?


「ジア。ジアのせいじゃないよ。ねぇ、そんな顔しないで。ジアはちゃんとわたしにすべてを話してくれた。右も左もわからなくなったわたしをこうやって心配してくれる。ラーシャからわたしを守ろうともした。ジアだってジアの都合があるんだから。わたしの全てを背負わなくていい。わたしがしたことは、わたしの責任だよ。ジア、わたしを見捨てないでくれてありがとう。ジアは最高の親友だよ」

「ゾーイ……!」


 ジアは顔を上げて両手で口を覆って瞳を震わせた。


「うううっ。本当に、ゾーイが無事でよかった……」


 そして改めて天を仰ぎながら祈りを捧げる。


「あっ。でもね、まだすべてを話してはいないんだ」

「え?」


 ハッとしたのか、ジアは緩んでいた頬に力を入れ直して机に身を乗り出す。


「朝話そうとしたこと。ラーシャとミゼルの疑惑なんだけど、あれ、私たちの勘違いだったみたい」

「へ?」


 勘違い? どういうことだ?


「ゾーイが休んでいる間に私も色々調べたんだ。そしたらね、ミゼルがラーシャの腹違いの妹だってことが分かったの。ラーシャの父親って浮気が原因で彼が生まれてすぐに離婚してるんだけど、その子どもがミゼル。困ったのが、ラーシャの母親が財閥の令嬢だったから、娘を傷つけたって理由で役員をしていた父親は財閥から冷遇され、結局仕事を辞めた。名が知れちゃって、その後の仕事探しも苦労したみたい。だからミゼルもずっと大変だったんだって。でも三年前くらいにラーシャが妹の存在を知って母親を説得した。彼女は何も悪くないから、せめて彼女だけは普通の生活を過ごせるようにしてあげて欲しいって。母親はなかなか許してあげる気になれなかったみたいだけど、ラーシャの懇願に折れて父親への仕返しを止めたの。で、無事にミゼルは高校に通えるようになった。ミゼルとラーシャは密かに連絡を取っていて、ミゼルはラーシャにすごく懐いたみたいね。この学校に転入してきたのも彼女の希望だとか。奨学金が取れれば通ってもいいって言われてて、審査に少し時間がかかったから変な時期に入ってきたんだって」


 ジアはそわそわとした様子で真実を語る。

 なかなかにドラマチックな話だ。こんな話、裏庭で二人の様子を見ただけじゃ想像もつかない。


「だからねゾーイ。私、本当に怖かったんだからね……。今日、ゾーイの顔を見るまでは」

「……うん」


 確かに親友が勘違いで自殺だなんて知ったら、俺なら正気じゃいられないかも。

 一通り事情を話したジアは、お腹が空いたのか伸びをして時計を見やる。


「じゃあそろそろ食べよう。休み時間には限りがあるんだった……!」


 話に夢中になってしまったのか、ジアは青ざめながら立ち上がる。

 俺も彼女の後に続いて食券を買いに行く。

 途中、中央付近のテーブルを囲むラーシャの姿が見えた。

 ゾーイは彼のことを救世主のように見ていた。

 切羽詰まった彼女はとんでもない手段で自分を追い込み、日記をしたためた。

 彼女の選択を非難などしたくない。けれどジアの反応は正しい。病院で医者に言われた言葉を思い出す。


“自身と、もっと別の方法で向き合ってみてください”


 ああ。本来ならそうすべきだった。

 だが誰が彼女を責められる?

 彼女はここに至るまでの積み重ねの結果でその手段を選択した。


 だから俺は。

 俺だけは。

 彼女の気持ちに寄り添いたい。


 ゾーイ・イェスズ。

 彼女には俺のような思いは絶対にさせたくない。

 そのためには彼女の人生を切り開いていかなければ。

 彼女は繊細すぎる。でも、それは素晴らしい彼女の個性。

 君のことは必ずこの俺が大事にすると誓おう。こんな俺だけど、どうか君を守りたい。

 この世界に、彼女は美しすぎるんだ。

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