第40話「彼女の家へ」



「なぁ、ホンマなん? 好きになった人が死んでしまうって……」

「えぇ」

「にわかには信じられねぇが、今まで起きたことを考えると事実みたいだな……」


 照也君の通報によって、公園に救急車が駆け付けた。運転手は運ばれ、念のため僕達も怪我をしていないか確かめるべく、病院で診てもらった。病院の帰り道に、僕は照也君と星羅さんに事情を説明した。二人共衝撃的な事実に動揺している。


「優樹君、お母さんとお姉さんは?」

「寄るところがあるから先に帰るように伝えてある。もう帰ったよ」


 僕が病院にいると連絡を受け、母さんと姉さんが慌てて病院に駆け付けてきた。恥ずかしくて仕方がない。傷一つ負っていないのだから、命の危機のような反応をされると恥ずかしい。

 だが、それが現実になるかもしれない可能性が、僕の喉笛を掻き切ろうと至近距離でナイフを突き付けている。今回、はっきりと自分が事故に巻き込まれそうになった。危うくトラックに轢かれて命を落とすところだった。僕は呪いの対象として定められてしまったことは明白だ。


 つまり、僕は志乃さんに恋心を抱いてしまった。僕らの関係はあくまで友達だとごまかして接してきたが、その逃避劇もとうとう限界が来てしまった。時限爆弾のような決して抱えてはいけない感情を、僕は心に秘めてしまったのだ。



   * * * * * * *




「一昨日の午後8時頃、愛知県巴崎市ともえざきしのガンショップから、3本のライフル銃が盗まれた事件ですが、防犯カメラの映像には、先月の強盗の容疑で指名手配されていた上條剛毅かみじょう ごうきの姿が確認されています。警察は総出で上條の捜索を続けておりますが、未だ発見には至っておらず……」


 ピッ


「……」


 悟はテレビの電源を落とし、不穏な内容を告げるニュースの声を掻き消した。元々精神状態がよろしくない上に、これ以上不安を煽るような情報を流し込まないでほしい。ただでさえ娘との関係性で頭を悩ませている時期なのだ。

 更に、志乃の周りに男の気配が漂い始めた。特に浅野優樹という少年は、志乃にこれでもかと執着している。一緒に宿泊旅行まで行く関係に発展しているらしい。それに加え、転落事故で命を落としたと思われていた泰士が、実は生きていたという驚きの事実も発覚している。


 いつ呪いが再び悲劇を起こしてもおかしくないような、危うい状況が続いている。また犠牲者が現れ、娘の心が深く抉られてしまうのではないかと、不安で夜も眠れない。




「お父さん……ただいま」


 玄関から志乃の声が聞こえた。普段よりあからさまに覇気がない。いや、普段から覇気があるわけではないのだが、今夜は一層増して声が小さく、テレビを点けっぱなしにしていたら完全に聞き逃してしまっていた程だった。


「おかえり」


 悟は玄関まで歩いて出迎える。志乃は一人ではなく、後ろに友人を数人連れていた。優樹、照也、星羅、そして泰士がぞろぞろと中に入る。まるで通夜のような暗然たる空気が漂っていた。そして同時に、この家に志乃の友人が立ち入る初めての瞬間だった。


「私の……友達……」


 重苦しい空気を引き裂こうと、志乃が口を開いた。彼女は淡々と友人の紹介をする。しかし、銃を突き付けられて脅されているような、冷や汗を額いっぱいに浮かべた申し訳なさげな声しか出ない。


「……それは本当か?」


 呪いの詳細を熟知している悟には、どんなごまかしも通用しなかった。






「私、お茶菓子用意してくる」


 志乃は居心地が悪そうに客間を出ていく。優樹達は悟と共に、誰も気付かない落とし物のように客間にポツンと残される。唾を飲み込む音すら騒音のように聞こえるほどの沈黙が、居心地の悪さを更に倍増させていく。


「それで、何の用かな?」


 優樹は思い切って家に踏み込んだ訳を話そうとしたが、先に悟が口を開いてくれた。先に話し始める緊張感が僅かに解れて助かった。優樹は黒ずんだ御守りの袋を差し出した。


「あの、本当は志乃さんが頼むって言ってたんですけど、新しい御守りを作ってほしくて……」

「……やはりな、もう効果が切れたか」


 悟は焦げたように黒ずんだ御守りを見て、深くため息をこぼした。元々悟が優樹の身を案じて、尾崎村の村長である高信に御守りを作らせた。しかし、二ヶ月足らずで御守りの袋は黒ずみ始め、優樹は命の危機に晒された。

 薄々起こるのではないかと、予測はしていた。志乃に異性の友人ができたと初めて聞いた時から、友情が愛情に変わってしまうことを危惧していた。どれだけ自分達の関係性をただの友人であると割り切っていたとしても、志乃の女性としての魅力を前にすると、恋心を抱かずにはいられない。それは、もはや決定的な運命であった。


「すみません……」

「作ることは簡単だ。だが、いつまでも同じことの繰り返しだよ。効果が切れたらまた新しい御守りを作って、効果が切れたらまた……いつまで経ってもキリがない」


 尾崎村は何度も何度も御守りの製作を繰り返し、村民の命を守っている。毛や爪などの人体の一部さえ提供すれば、時間はかかるが安易に作ることができる。勝手に呪いの事情を知り、勝手に志乃と仲良くなり、勝手に惹かれた者として非常に厚かましい願いであることは、優樹も重々承知していた。


「分かってます。でも、僕はずっと志乃さんと一緒にいたいから……」

「志乃を苦しめてまでもか?」

「え?」


 悟は初めて優樹と目を合わせた。今までひが沈んだ窓の外を眺めて話していたが、父親として物申すために、優樹の顔をまじまじと見つめて話し始めた。


「志乃の奴、ずっと言っていたよ。優樹君には死んでほしくない。彼が呪いで殺されることなんて絶対に嫌だとね。このまま志乃に恋心を抱いたまま、命の危機に晒されながら生きて、志乃の心を不安で埋め尽くして苦しめながら、君は生きようと言うのか?」

「そ、そんなんじゃないです! 確かに志乃さんに苦しい思いをさせて申し訳ないけど……でも、いつか僕が呪いを解除して、志乃さんを救ってあげると約束したから……」


 強面を近付ける悟に対抗し、優樹も志乃への熱い思いを語る。自分が志乃を異性として意識してしまったあまり、自分が死んでしまうかもしれないという彼女にとっての不安の種を植え付けてしまったことは罪深い。

 しかし、そんな残酷な運命をひっくり返して、自分が志乃の希望になってみせるという決意は変わらない。






「……君は、志乃の気持ちを何も分かっちゃいないな」


 悟は再び深いため息をこぼした。そして、本棚からアルバムを取り出し、一枚の写真を出して机の上に放り投げた。


「優樹君、君は志乃が呪いを抱えている理由を知っているか?」

「え、えっと、確か……お母さんから受け継いだって、志乃さんが……」

「ああ、だが明確な理由が……それだ」


 優樹は机の上に置かれた写真を眺める。それはかなり古い写真のようだが、一人の青髪の女の子が写っていた。セーラー服を身に纏っており、桜の木の下でつまらなさそうな表情を浮かべている。恐らく中学校の入学式の写真だろう。

 彼女は制服の生地が伸びるほど腹や手足が膨らんでおり、頬は出来物だらけで髪もボサボサだった。全体的に清潔感がまるでなく、お世辞にはとても可愛らしいとは言えないふくよかな少女だ。


 だが、微かにある人物の面影を感じた。その人物の正体に気付いた優樹は、全身の鳥肌が立った。


「この子……まさか……」






「そうだ。これは、『被恋慕死別の呪縛』を抱える前の志乃だ」


 そして、父親は語り始めた。娘の呪いに隠された陰湿極まりない衝撃的な過去を。それは、命の危機を瀕してなお志乃への愛を燃やす優樹の決意を、崩壊させるには十分すぎるほど残酷な事実だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る