第21話 因縁の相棒
『とりあえず俺は現場を確認してくるっ。翔は取り決め通りオヤジの家に向かってくれ!』
『あっ。ひ、比良』
僕がパニックになっている間に比良はそう言ってこの場から去ってしまった。門の出現は天狗でも予測できないため、こうなった場合に備えて事前に話しあっていた通りの動きだ。だから奴は悪くない……悪くはないのだが、飯綱は遠征。比良もいなくなった。それはひとりでこの
「くっそ。本当に運が悪いっ」
ひとり悪態をつきながら里に向かって全力で駆け出す。ひとまず僕も決めてあった段取りで動く。まずは自分の服を着替え、次は師匠の家だ。でもその後はどうしよう? 他に考えなければならない重要な事が山ほどあるはずなのに、降って湧いた飯綱パパの存在によってその考えはかき消される。
(正直に話したらどう考えてもマズい。無事で済む未来が見えない)
この1年暮らしてわかったがこの里の仲間意識は半端ない。身内に優しく
どうしようもない事を考えている間に家に辿り着き、もはや着慣れてしまった山伏装束を勢いよく脱ぎ捨て、奥に大事にしまってあった自分の私服を手に取った。
(……懐かしい、って。こんな事してる場合じゃないっ)
半日の猶予があるにせよ、感傷に浸っている暇はない。手早く着替えを済ませスニーカーを履いて家を出る。再び地を蹴って駆け出そうとした瞬間、ここ最近履きっぱなしだった下駄と靴の感覚の違いのせいで、思わず何もない場所で
「ちっ。何やってんだか。あ」
そこで敢えて見ないように目を逸らしていた
(こ、この場所からなら見えないな。角度を変えて見ても……問題ない。うん。大丈夫、まだ大丈夫。真上から見下ろさなければ大丈夫のはずだ)
ふと、以前駅のトイレで必死に薄毛を誤魔化していた若いリーマンを思い出す。かなり頭髪の具合が怪しかった彼は角度を変え、髪型を変えて深い深いため息をついていた。
あの頃は『邪魔だな。早くどいて』としか思えなかった。だが今なら気持ちがよく分かる。見たくない。見たくはないんだけど……見てしまうんだ。決して何かが変わる訳じゃない。それどころかストレスでさらに抜け毛が増えそうなものなのに――――まさに不毛。ああ。頭に浮かんだ言葉すら僕を責めてくる。相も変わらず世界は自分に厳しい。
頭をブンブン振って気持ちを切り替える。
(いや。どうせ何をしようと手遅れ。自然治癒するまで見つからない事を祈ろう。そもそも僕だけじゃなく飯綱ちゃんも――――あれ? よくよく考えて見ればメインで髪を
今まで思い悩んでいたのが嘘のように心が軽くなる。僕はパンパンと手を叩いて「どうか髪が生えますように」木を
「すいませんっ。遅くなりましたっ」
「…………」
家に入ると
「ついにこの日が来たな」
「はい」
「それで、どうだ?」
問いかけはとても
「正直に言います。僕が求めるものを形にする事は出来ませんでした。なんとなくボンヤリとは見えてきたんですけど……なんか致命的なものが足りない気がして。ソレが掴めない限りは何とも。だから、まだまだ時間は掛かると思います」
「そうか。そうだろうな――――で、どうするのだ?」
「帰ります。鍛練は向こうでも出来ますから」
人の世界はここほど環境に恵まれていない。だが色々とコツは掴んだ。後はひとりでもなんとか成るはずだ。なによりこの機を逃したら次にいつ門が開くかわからない。
「お主ならそう言うと思ったがな。時間がそれなりに経過していた場合……辛いぞ。それでも行くんだな?」
「はい。全部覚悟の上です」
不安はある。だが、僕はこの1年で強くなった。それは肉体だけの話ではない。きっと辛く苦しい時間が待ち受けているはずだ。でも今の自分なら必ずいつか乗り越えられる――そう己を信じる事が出来るようになったくらいには心が強くなった自負がある。
厳しい目で僕を見る師匠に負けじと視線を合わせて静かに見据える。
「うむ! その意気や良し。ここで迷いを見せるようなら縛り付けてでも止めたが、その様子であれば及第点だろう。そこで待っていろ。お主に
(………………何だ? 鳥の羽の……
しばらくして部屋に戻ってきた師匠の手に握られていたのは
「流石のお主も不安だろうと思ってな。だが案ずるな。お主ももう立派な里の一員、儂らにとっても息子のようなもの――――天狗は仲間を決して見捨てない。既に手は打ってある」
そう言って羽団扇をかざす手つきは、この
「えっと。その団扇がですか? なんか凄い物だったり?」
「ああ。実を言うとこの存在が無ければ儂は今回お主が戻るのを止めただろうが――――このような事もあるのだな。まさかこんなにも折良く……いやはや本当に運がいい。これが側にあれば、世界で一番安全が保障されると言っても過言ではない代物だ。儂も今では何の憂いもなくお主を送り出せる。見た目はただの羽団扇。しかし何を隠そう、その正体は……」
『
「えっ」
師匠の絶賛を
(何だっ? き、気のせいか? 今、声が目の前の団扇から聞こえてきたような)
ギョッとした僕に構わず、師匠は問題の心霊羽団扇を目の高さにまで
「ああ。申し訳ありません。
『そのようだな。気持ちは嬉しいが極度の依存は腕を鈍らせる原因になりかねんぞ? ……お前ですらそうなのだ。やはり今の我は里にいるべきではない。このままこの者についていくのが最善であろう』
「しかし、何度も確認しましたが本当に宜しいので?
『皆には我の存在をこれまで通り
「確かに。道理ですな」
『我自身の事についても不明な点が多い。何より
「……承知しました。里の事は引き続き儂に任して下さい。留守の間に少しずつ皆の意識を変えて行きましょう」
『うむ、頼んだ。何そう気を病むな。人の世もこのところかなり変わったと聞く。一度、我が出向いて見てくる必要もあった。まさに渡りに船である。このナリなら目立つ事もあるまい。気分転換の旅行として我にとっても都合がいいのだ』
口を開けてポカンとした僕をおいてけぼりにして師匠と団扇は謎の会話をしている。だが、僕もこの1年で非常識なものにも大分慣れたもの。衝撃からの再起動は早い。
(び、びっくりした。喋る団扇なんて物が実在するなんて。でも天狗が巨木に化ける世界。考えてみればいまさらか。ふふっ。それよりいつもイバり散らかしてる師匠が他者に対してここまで下手に出る方がレアだな。そんな人いるわけないって思って……あれ?)
瞬間、とんでもなく恐ろしい可能性に思い至った僕は驚きで一瞬呼吸が止まった。
(……え? えっ? 待て。待って……化ける? 師匠より偉い人? ――――――いる。いるぞ……たったひとり。この師匠の頭が上がらない天狗が……この里に)
最悪な予感に全身の血の気が引いてカタカタと小刻みに体が震える。あまりにあんまりな現実が受け入れられない。そして団扇との会話に気を取られていた師匠がそんな僕の変化に気づいてこちらを見た。
「むっ? 察しの悪いお主であっても流石に気づいたようだな。何、そこまで緊張して
「あっ……あぁ……」
絶望で目の前が真っ暗になる。
「紹介しよう――――――ここにおられるのは儂の兄、
何も事情を知らない師匠が片目を瞑って僕に目配せする。この日、僕は初めて自分の不運を心の底から呪った。
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