第19話 乱立するフラグ


「えっと。飯綱ちゃん?」


 その瞳と同じように頬を赤く染めて、ぷるぷると震えている飯綱を見つめる。とても緊張している。冗談を言っているようには思えない。

 

「翔。こまってる。嬉しくないの?」

「い、いや。そんな事はないよ? 気持ちはすっごく嬉しいんだ」

「じゃあ……いづなが今日からお嫁さんでいい?」

「えっ。それはちょっと。いろいろマズいっていうか。ねぇ?」


 涙目の飯綱から追い打ちが掛かる。飯綱は確かに可愛い。しかし、それは微笑ましくなる可愛さ。つまり親が子に向けるそれであり、年齢と見た目が大問題なのである。まさかこんな幼子を本当に嫁にするわけにはいかない。ガチの犯罪者だ。逮捕されてしまう。


(はっきり断るか? ……その時の飯綱ちゃんの反応が怖いな。例の神足通で引きづられたら今の僕でもひき肉になってしまう。なら、受け入れる? 馬鹿な。その場は乗り切れるかもしれないが師匠くまに血祭りに上げられる未来しかみえない。それに殺されなくとも皆からとても不名誉ロリコン称号レッテルをいただく事になるじゃないか。一方的に助けてもらっているこの生活環境でそれは致命的……いや、詰んでるじゃん。くそっ。諦めるな)


 何とか円満に、この場を丸く収める方法は――――あれ? でももしかしたら天狗達の中ではこれが普通なのか? そういえば江戸時代とかの昔の人は、平均寿命が短い分かなり早い段階で結婚していたと聞いた事があったような。不老の天狗が? 分からない……

 仮にそうだった場合は里にこのまま骨を埋めるつもりなら問題はないのかもしれない。しかし、僕は人間の世界に帰る。これは絶対だ。そうなると当たり前だが、人間の世界には愛だけでは超えられない法律という物が存在する。


「……翔がこういうのくれるから。いづなも勇気だしたのに……」


 視線を移せば花かんむりを手で撫でながら飯綱がむくれていた。どうやら何かしらの返答をしなければいけないらしい。マジでどうしよう。今ばかりは自分の整ったフェイスが憎い。世のイケメン達はこんな時どうしてるんだ? 

 急かされた脳細胞は高速回転を始める。すると脳裏にすぐひらめくものがあった。それは僕が若かりし頃の黒歴史。小学生の時、学校の先生に告った時の出来事だ。

 教育実習で小学校を訪れていた彼女は、当時の僕にとって凄く魅力的な大人の女性で……即行動をモットーにしていた僕は深く考えもせずにすぐに彼女に告白した。

 大学では相当モテていたであろう彼女は――確か、余裕たっぷりにこう返していたはずである。


『――ありがとう。それじゃあ。翔くんがもっと大きくなって、気持ちが変わっていなかったら結婚してもらおうかな?』


(これだっ! これしかないっ)


 その名も年月でうやむやにする作戦。あれが遠回しな断り文句だったのは言うまでもない。気づいたのはずっと後の事。学校も卒業して中学に入ってからだ。その時には気持ちもずいぶん冷めていた。今となってはいい思い出である。

 まさにズルい大人の逃げ口上。窮地きゅうちに立たされているのは人生の苦さを味わい成長した僕。運命が彼女の秘伝の技を使えとささやいている。乗るしかない。このビッグウェーブに。


「――飯綱ちゃんの気持ちは嬉しい。でもね? 人間は大きくならないと結婚しちゃいけない決まりがあるんだ」

「そうなの?」

「うん。もちろん僕は飯綱ちゃんはとっても素敵だと思ってるよ? だけどこれは人間の世界の決まりだから」

「守らないとダメ?」

「そうだね。絶対に守らないといけない。そうしないと僕が他の人間から仲間外れにされちゃうんだ。だから今は結婚できない。ごめんね。本当に気持ちは嬉しかったよ」

「……いつになったらお嫁さんにしてくれるの?」

「えっ?」


(どうしよう? まぁ、そこら辺は適当でいっか。10年とか余裕もって言ってれば大丈夫でしょ。流石にその頃には色々落ち着いて上手い事いってるはずだ)


「後、10年……って言っても伝わらないだろうから。飯綱ちゃんが僕と同じくらいになったらかな。そのくらいになって、まだ気持ちが変わってなかったら結婚しよっか」

「……ほんとう? やったっ」


 本当に嬉しそうに笑いながら小さく拳を握る姿に僕は目を細める。案の定、本当の意図は彼女に伝わらなかった。きっと僕のように大人になるにつれて、甘酸っぱく苦い思い出にに変わっていくのだろう。微笑ましさと罪悪感がない交ぜになって不思議な感覚だ。あの教育実習生のお姉さんもこんな気持ちだったに違いない。


(飯綱ちゃん嬉しそうだな……満足するか飽きるまではそれっぽく振る舞う事にしよう。子供の時にやったおままごとみたいな物だしね。あ。もしかして飯綱ちゃんが本当に求めてたのはそれかな?)


 ピンときた。英雄の父を失った彼女はきっと家族愛に飢えているのだ。師匠もよくやっていると思うが、彼には里長として全体を見なければいけない責務もある。ならば僕がここにいる間くらいは付き合ってあげるべきだろう。


 初めて里を訪れた歓迎の宴の夜。

 天狗の夫婦というものをあまり見かけなかったのを疑問に思い、他の天狗に尋ねた事があった。それによると天狗は片親になるケースが多いそうな。

 なぜ不老の天狗に片親が多いのか? それはそもそもの個体数が少ない事に起因する。里の中の限られたコミュニティではやはり限界があるのだ。

 

(そもそも年をとらない。しかも自分中心で子供自体に興味がない者が大半……数が少ない訳だよ)


 だからこそ――愛宕のような視野の広い天狗は可能性を外に求めた。子孫を残すために門を使って人と交わり子を残す。ただでさえ天狗に子供は出来にくい。運良く子宝に恵まれてもタイムリミットがある人と、不老の天狗。ある程度の成長を期に老化が止まる彼等は、人の世界では生きられない。

 これが天狗に片親が多い理由である。


(天狗が人をさらう、か。まぁ、烏天狗の次郎坊さんの所は子供はいないけど天狗同士の夫婦だったり、例外もあるらしいけど)


 そんなとりとめのない事を考えながら朝焼けに染まった里をボンヤリ見下ろす。突然、隣でブチブチと何かが引き抜かれる音がした。驚いて視線を戻せばどうやら飯綱が白い花を摘んでいるようである。僕が不思議そうにその様子を眺めていると、飯綱が花かんむりを手でいじりながらボソボソと独り言のように言った。


「これ。いづなも翔に作ってあげたい」

「花かんむり? うぅん。僕は何度か作った事あるし慣れてたから出来たけど。本来、違う花シロツメクサで作る物だしワイヤーみたいな道具もないからなぁ。ちょっと飯綱ちゃんには難しいかもしれないよ?」


 本人も多少の自覚はあるようだが飯綱は不器用である。つい先日も「今日はいづながご飯作る」と言う彼女に任せたばかりに、僕の家は危うく火事になりそうになった。

 ハサミやテープなど簡単に作れそうな便利な物がなければ、今日だけで出来るようになるのは難しいだろう。そんな風に何とか思いとどまらせようとすると、彼女は上目遣いで僕に言う。


「――――――でも、結婚式の時に使うっていってたから。翔とおそろいがいい」

「飯綱ちゃん……」 


 なんて健気な少女なのだろう。

 僕は感動した。やはりこの子は頭のおかしい者揃いの里に似合わない天使だったのだ。結婚は無理だが、彼女にはいつまでも尊敬してもらえる頼れるお兄さんのようなポジションを目指していこうと心に決める。


「それに」

「ん?」

「こうやってツルツルにして、光が当たるようにすると喜ぶって言ってた」


(それは……どうだったかな。よくよく考えてみれば何かが違うような気もする。でも今更、間違ってたなんて言うのも格好悪い。理想のお兄さんの沽券こけんに関わるからな、うん。間違いを指摘出来る他の人間はいないから、ここはごり押しだっ)


「そうそう。なんか太陽光で光合成がどうたらで栄養いっぱいなんだ」

「――こういうのでお父さん喜んでくれるんだ。じゃあ、ここで作れば翔がよく言ってる一石二鳥だね」

「……え? お父さん? ――――ああ。なるほど。きっと喜んでくれるよ。まずは一緒に作ってみよっか」

「うん」


 なんの脈絡もなく出てきたお父さんという単語に一瞬呆気にとられる。だがすぐに彼女の言いたい事が分かった。言葉は足りないが優しい子だ。おそらく墓前にお手製の花かんむりを供えるつもりなのだろう。


「……上手にできない」

「今日、僕休みだから時間はいっぱいあるよ。のんびりやっていこう」

「でも、いづな不器用だから。今日覚えられないかもしれない」

「だったら明日以降もこうして鍛練の合間に付き合うからさ。僕も飯綱ちゃんとおしゃべり出来て楽しいし……一石二鳥でしょ?」

「――――うんっ」


 金色と青色が交錯する空の下、白い花に囲まれた木の上で2人で笑い合う。出来る事ならいつまでもこんな時間が続けばいい。人の世界にいた時と変わらずそう思える自分に多少驚きながら、僕の初めての休日は穏やかに過ぎていった。



 人の人生において分岐点となる日は必ず存在する。

 この日の彼は自分でも気づかぬ内に、人生で取り返しのつかなくなるような大きな失敗を2つ連続で重ねていた。

 

 ひとつは飯綱と口約束の婚約。


 天狗と人間の価値観は大きく違う。人間の10年と天狗の10年。増してやなんて物が存在する世界で、彼は安易に約束などするべきではなかったのだ。この約束のツケで、彼はそう遠くない未来に頭を抱える事になる。


 ……そしてふたつめ。

 

 ――――――彼が隠れスポット呼ばわりしている里の大樹。住人が寄りつかないのには理由がある。皆、敬うと同時にその存在を恐れているのだ。

 里の外れに存在しながら崖や滝のように山に囲まれた立地。それ以外にも様々な要素から鍛練場に向いているのに周辺にそれらを利用する者は見当たらない。それどころか空を飛ぶ天狗達は「かの存在を見下ろすなど、恐れ多い」と大樹の周囲を飛行する事すら避ける有様ありさま


 かつてこの里には白髪のそれは美しい大天狗が存在した。

 かの存在は神々の暴虐からその身を賭して里を守り、英雄と呼ばれるようになる。


 彼等は不敗の天狗。強靱な肉体を持ち超常の力を扱う彼等にとって、神々の本格的な攻撃はまさに寝耳に水の出来事。危機らしい危機など経験してこなかった天狗達にいきなり突きつけられた種の存続に関わる初めての危地。

 故にそれ程月日が経ってもいないにも関わらず、その存在を積極的に口に出す事すら避けるようになった行き過ぎた畏敬。思い出は美化され賞賛はいつしか信仰に変わった。

 それらの不幸な行き違いがここに新たな悲劇を生む。


 ――――――英雄の樹。里の住人からは親愛を込めてこの大木がそう呼ばれている事実を彼は知らない。

 謎は多い。だが、ただひとつだけはっきり言える事がある……天狗の里には墓など存在しない。



 こうして、彼は波乱万丈な日々を過ごしながらも季節は巡る。


 気づけば彼がつけた石版に刻んだ正の字の数は73。天狗の里を訪れてから365日が経過しようとしていた……。

 

 その日。とある場所にて、白い紙に墨汁を垂らしたように空間がジワジワと黒くにじみ始める。それはまさに彼が待ち望んだ再び門が開く兆候。


 自然から力を得て調和して暮らす天狗が、その異変を察知するのに時間はあまり掛からない。


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