第2話 母とポイラッテ


 体を跳ね上げるほどだったのに、その身をぴくりとも起こせなかった。


 が、見開いた眼前には見慣れた天井。


 自分の胸の上で悪夢の元凶が丸くなっていて、フゴフゴスピスピと寝息をたてていた。

 ユウは夢かわいいピンクの頭を鷲掴みにすると、開封された段ボールの中に叩き込む。


「ふぎゃ」


 カエルか潰れたような悲鳴をあげたが、カエルのような、という比喩に相応しくケロっと何事もなかったように体を起こす。


「ユウは朝から大胆だな。この熱烈なおはようの挨拶は、スクラロース星系のやつだね」

「あ?」


 ポイラッテはずるりと段ボールから這い出る。ツチノコみたいでちょっと気持ち悪い。実際に見た事はないが、何故かユウはそれをツチノコだと思った。


「スクラロース星系では目覚めた時、一番愛しい相手を投げ飛ばすんだ。その刺激によりホルモンの分泌を促し、朝から繁殖のための一戦をまじ……」


 それ以上言わせまいとユウはポイラッテの頭を段ボールに押し込んだ。

 時計を見ると朝六時。目覚ましより三十分ほど早く目が覚めてしまったようだ。とんでもない悪夢を見たせいで、まだ心臓がバクバクしている感じがする。


 気を取り直すために冷たい水で洗顔すると、昨日の妖バグとの戦いこそ夢のような気がしてきたが、部屋に戻ると現実ポイラッテがすぐそこでユウの枕の匂いを嗅いでいた。


「か・ぐ・な!」


 一音一音に怒りと怨念と嫌悪をこめてポイラッテを引きはがそうとしたが枕も一緒について来た。


「恋しかったこの匂い。二年間、一人ぼっちの寂しさに耐えられたのはこの匂いがあったからなんだ」


 枕に顔をうずめたままポイラッテは呟く。


 その言葉から考えてみれば、アルフォンスはすぐに烈人れつとの傍にいた様子。おそらく他のマジカルヒーローとバディは出会ってすぐに行動を共にしていたのだろう。しかしポイラッテはいつ戻ってくるかわからない自分を、封印の丘の森の中で待ち続けたのだ。遠い宇宙から来て、仲間たちはそれぞれに散ってしまったのだろうから一人ぼっちでずっと。

 なお、ユウは封印の丘と呼んでいるが、正式名称は”市営こども緑と花の公園”である。


 しんみりとした空気が部屋に満ちた。


「匂いを辿って、俺を見つけるというのはできなかったのか」


 ユウの声から怒りや嫌悪が消えた事に気付いたハムスターは枕から手を離したので、ポスンと枕がベッドに落ちる。


「できなかった。ノートの匂いはかすかだったし、この身体はそんなに鼻がいいわけじゃないから。検索するにはデータが少なすぎて。傍に来てくれればわかるけども、逆を言えば傍に来てくれないとわからない」


 顔をあげたポイラッテは黒いつぶらな瞳を潤ませてユウを見つめる。微かに揺れるそれは泣きだしそうに見えて、ユウはベッドに座ると膝の上にポイラッテを置いた。ポイラッテはユウに向き直ると、ぎゅっと全身で抱き着いて来る。


「通信機で仲間と連絡は取れるけど、あの丘で一人でずっと待ってたんだ。ただ待っていたわけじゃないよ。地球やこの国の文化を一生懸命勉強したんだ。出会えたら即、意思疎通が出来るように」

「そうか、苦労したんだな。……悪かった」


 膝上に置くにはやや重いが、むっちりとした感触と毛の手触りは気持ちよく、ユウはポイラッテの羽根がついた背中を優しく撫でてみた。


「もっと撫でて」

「う……」


 腹部に顔を押し付けているハムスターの表情をユウは伺い知る事は出来なかったが、この時のポイラッテ、実は「計画通り」とちょっとほくそえんでいた。

 それを知らぬ少年が仕方なしに撫で続けていると、軽くドアをノックする音がして、母が扉を開けてヒョイっと顔をのぞかせる。


「ユウもう起きてるの? 起きてるなら夕べ持って行ったガムテープを……」

「あっ」


 膝上のむっちりした巨大ハムスターと母の顔を交互に見比べて、どう説明しようかと少年がパニックになっている間に、母はみるみる表情を変えた。緩い方向に。


「きゃわいいぃぃいいい~! どうしたのこのワンちゃん? 何処で拾ってきたの??」


 組み合わせた両手を顔の横に、頬を赤らめ、目をキラキラさせて叫ぶように言った。


「えっ犬? 流石に犬じゃないと、思う……けど」

「犬でしょう、これは! 隠さなくてもいいのに~。このマンションはペット可だし、お母さん動物は大好きよ。お父さんも反対しないでしょ」


 ふと、例の暗示をもうかけたのかと思い、慌ててポイラッテの顔を見るとポイラッテも面食らっていて、目を剥いて白目部分が見える面白い顔になっている。なので、どうやらそうではないらしい。


「名前はつけちゃったの? お母さんつけたかったなあ」

「えっと、ポイラッテっていうんだけど」

「まあ! あなたにしてはいいセンスじゃないの。ポイちゃんの朝ご飯も用意しなきゃね。魚がいいのかしら? うどんとお蕎麦だったらどっちがいいのかしらね」


 ルンルンと卓上のガムテープを回収すると、母は部屋からスキップしながら出て行った。


「犬じゃないよぅ……」


 色々とツッコミどころはあったはずだが、その中で犬と呼ばれた事をポイラッテは悲しそうに否定した。


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