めぐり逢いは突然に

 怜奈が貴子に電話する数分前、マリアは駅のホームにひっそりと佇み、目を閉じてエプロンの下に両手を潜らせて握り締め、右足の靴の踵を少し上げて『ケンジ、立ち止まって』と心の中で呟いた。


 しかし賢士は一度もマリアに視線を向ける事なく通り過ぎ、恋の足音は虚しく遠ざかって行き、マリアは溜息を漏らして薄目を開け、めぐり逢いのゲームは失敗したと落胆したが、怜奈の方へ向かった筈の賢士が目の前に突然現れた。


「えっ?」


 賢士は唇に人差し指を立ててマリアの顔を覗き込み、一瞬だけ微笑みかけてマリアの手を握り、怜奈が待っている逆方向へ走り出す。


『何処へ行くの?』


 マリアは前を走る賢士を見て、なぜ怜奈から逃げるのか不思議に思ったが、手を握り返して恋の風向きに身を委ねた。


 天使はサングラスを外した怜奈の横顔を指でフレームを作って眺め、『マリアよりレイナの方がタイプかも』と微笑み、怜奈が背伸びをして首を傾げたので肩を並べてホームを見渡し、『油断したか?』と舌打ちする。


 怜奈はマリアと賢士が手を繋いで走って行く後ろ姿を見つけ、すぐに追いかけたがマリアと賢士は改札口に消え、ホームの端に落ちていたうさぎのエプロンを拾い、貴子に連絡して指示を仰いだ。


「怜奈。駅に賢士が着いたのね?」

「ええ、そうなんですが…………」


 天使は怜奈の横でスマホに耳を寄せて、「怜奈。マリアとケンジを追うのよ。私たちもそっちへ向かうから、居場所を連絡しないさい。恋の逃避行は絶対に許しません」と貴子が怒って話すのを聴いている。



 賢士はマリアと手を繋いで改札口を駆け抜けると、「こっちです」と通路を曲がって東急プラザ方面へ向かい、握った手を離してスピードを緩めた。


「マリアさんですよね?」

「はい。何故わかったのですか?」

「こっちを監視する者がいたので……」


 賢士は天使が怜奈の隣に立って一緒に観察し始めた事で、『天使のターゲットは僕とマリア』と推測し、不自然な仕草でホームに立つ女性を連れて逃げ出した。


「でも、なぜ怜奈さんから逃げるのですか?カフェでケンジさんを待つ華麗な女性たちが怒っていると思いますよ」


 マリアは賢士が言った『監視する者』とは怜奈の事だと思ったが、賢士は怜奈ではなく天使を暗に指し示し、『マリアは天使の存在を知らない?』と推測する。


「僕への恨みが一つ増えましたね」

「私も囲まれて話すのは避けたかったけど、罪深いと思います」


 賢士は並走するマリアに顔を向けて苦笑し、マリアは絶望的な未来を振り切って新しい時間へ走り出したと微笑み、今度は自分の方が手を差し出して賢士の手を強く握り締めた。

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