成心
安達粒紫
ネイチャー駄文その1
1
太陽の下に新しきこと無し、と紹介文に書いてあるはずである。
これを横文字にすると、
Es geschieht nichht Neues unter der sonne. となる。
ドイツの諺ということになっている。
早くもこの段階で焦りの様な気持ちが湧いた方もきっといることだろう。
私の作品に『解禁インテリ・リハーサル』というのがあるが、大なり小なりインテリ的知識に……もう一度言えば焦った事のある人に向けて書いてある。
まあ、要は知識などは幻影なのだ。
だが然れども、そうは言っても知識というのは大事である。
知識なんて、まやかし、そんなものには取り合ってられない、と極端だが、こうまで行くにはやはり知識修行をしなければならないと思われる。
(そういう意味では私は落第生だとハッキリ言っておく。つまり今は、造っているのではない。造ることを記された説明書を読んでるに過ぎないのである。)
ちょうどデッサンも細部まで形を狂わせず描き込める腕力を手に入れて初めて、ちからの強弱のコツをつかめるように。
―――言っておくが勉強をしろ!と説教臭い事を言っているのではない―――
2
私は、恩師がある。その師の本の最初の何頁目かに載ってあることを引用―――というか題材にしつつ何か書いてみたいと思う。
彼は「人体をモティーフとしたコンポジション絵画」というテーマが、かつてあり、ゴーキーやデ・クーニングに魅せられていたから(身近な材料であるためだっただろう)家族を描き始めたという。(けれども、山を描いたりもしている。)
学校にいた時、一度そういう経験の持ち主だからと思われるが、私にも家族を描いたらどうか?と薦めてきた。
けれども、その時の私は(今も変わってはいないが)ぼんくらだったので、まさかゴーキーやデ・クーニングの影響下で言っていたとは、まるで思わない。
その先生の学校での居場所が技法・材料研究室というアカデミックなところだったという理由もある。
だが私は一応、描きます、と言った。
唐突だが、私の学校の生活の様子を少し書くと、なんだか院生になるために教授におもねる一群がいたり、平和なお誕生日会などを開くものもいて、そういうのは、学生というのにもう作家気取りの連中から馬鹿にされたりもしていた。
私はと言えば、芸術とは?みたいな思考から抜け出せずにいて、お誕生日会を開くグループに顔を出し、そこが心の支えになり「感謝の極み」だった。―――もう少し蛇足を加えると「お誕生日会を開くような平和な友達」からは、どれほど世話になったか知れない―――。
で―――上述した「先生の事」と、その下の今言った「大学での様子」との両方を接続することを試みよう思っていたのだが長くなりそうなのでやめる。何なら逃げたとみなしてもよい。
だが、何を書こうかと思っていたかをとりあえず記しておくと「2年生の時の講評会」の様子を描写して前後を連結しようと思っていた。
まあ、それはまたの機会があれば…という事にしよう。
一応、連載形式という事になっているから、また書く気もおきるかもしれない。
言い訳すると、この「2」が、(予定より)こんなに長くなるとは思わなかったのだ。
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