127 - 「封印されし銀色の怪物」
暗闇の中を漂っている。
まただ。
またこの感覚だ。
流れに身を委ね、ただただゆったりと浮遊していく。
だが、今回は少し息苦しかった。
淀んだ空気。
何年も、何十年もずっとそこに閉じ込められていたかのような、腐敗した臭気。
(なんか…… 気味が悪いな…… 何も見えないけど…… ん?)
ふと、光る物が見えた気がした。
(可笑しいな…… ここには光源なんてない筈なのに……)
そこからまた暫く、何をするわけでもなく、何ができるわけでもなく、ただ暗闇を漂い続ける。
すると、再び何かが光ったのが見えた。
(何だろ…… 何かがいる?)
光が見えた方角へ意識を向ける。
(あ、何か引き寄せられる……)
何者かが大気中に漂うマナを呼んでいる。
それに応えるように、マナとなったマサトは、淀んだ空気中をふわふわと漂いながら移動した。
そして、光が見えた場所に辿り着いたとき、そこに見えたはずの光が、実は見えたのではなく、幾重にも重なった壁の向こう側から “そう感じた” ものだったのだと理解した。
「見えた」のではなく、「感じた」ことで見えたと錯覚したのだ。
壁の前で止まるかと思われたマサトだったが、万物を司るマナにとっては、物理的な壁など大した障害ではなかった。
幾何学模様の描かれた壁を、すり抜けるようにして通り抜けていく。
そして――
(こ、これは……)
幾重もの壁をすり抜けた先の空洞に出た時、マサトの視界に、無数の何かが視界に入った。
それは蛇の様に身体をしならせながら、暗闇を蠢いている。
時折発光する蒼白い光により、それが地面を埋め尽くす程に存在しているのが分かった。
空洞は更に奥へと続いている。
そして奥へ進む程、その空間も広く、大きいものになっていった。
だが、地面に蠢くモノも、その数を膨大に増やし、相変わらず地面の底は見えていない。
いや、地面だけでなく、側壁や天上までもその何かで埋め尽くされている。
(気持ち悪! 何だよこれ…… いや…… 待てよ…… この形、どこかで見覚えが……)
尚も、マサトは導かれるように空気中を漂う。
そして、移動した先、空洞の中央に、光源の発生元が見えた。
(お、おいおいおい…… あ、あれって……)
大樹の根のように、はたまた、蛸足のように無数の足をうねらせながらそびえ立つ、巨大な何か。
そいつの胴体には、鎌のような触手が無数についており、その胴体の先――巨大な頭部には、一際大きなひし形の頭部に、メデューサのように無数の触手を髪のように生やした怪物が存在していた。
鋭い牙が何重にも並んだ大口を開けては、身体をしならせながら、身体全体を銀色に発光させている。
その発光とともに、胴体から生えていた鎌のような触手が、ぬるりと胴体から切り離され、蒼白い光を放ちながら地面へと滑り落ちていった。
それは、まるで何かの産卵シーンのようだった。
(嘘だろ…… これ全部…… こいつが産み落とした、子供? もしや、あの蒼白い光って、産卵タイミングでの発光? まさか…… このペースで、こいつら産み落とし続けてんの?)
その巨大な怪物が大きく息を吸い込む。
すると、空気中のマナがそこへ引き寄せられた。
(う、うわ、い、いやだ…… あんな気持ち悪い奴の近くに行きたくない…… か、勘弁してくれ…… こ、怖ぇから! う、うぉおお!?)
引き寄せられるマサト。
だが、マサトが大口の前まで来た瞬間、巨大な何かがピタリと止まった。
口をゆっくりと閉じ、その目の前――マサトがいる方角をじっと見つめるようにして静止する。
マサトは、その怪物の目の無い頭部に、何やら見つめられている様な気がして焦った。
(お、おお…… こ、怖ぇ…… 今の俺は実体ないはずだよね? 見えていないはずだよね? ね!?)
少しずつ口を開け始める銀色の怪物。
口からは涎が垂れ、鋭利な牙が剥き出しになっていく。
その光景は、さながらエイリアン映画のワンシーンのようだ。
焦るマサト。
至近距離で、怪物に牙を剥き出しにされる身としては、そんなことを考えている余裕などない。
目の前へ迫る恐怖から逃れたい一心で、思考を働かせる。
(つ、つか夢だろ? これ夢だろ!? 夢なら覚めて! マ、マジで! 覚めろ! 目覚めろ俺ぇええ!!)
マサトが心の中で叫んだのと、怪物が大口を開けて噛み付こうとしたタイミングは、奇しくも同時だった。
突如視界が暗闇に包まれ、意識が遠のいていく。
その感覚に、マサトはホッと胸を撫で下ろした。
空洞内では、銀色の怪物の慟哭が空洞全体を大きく震わせ、その空洞の震えは、地を伝い、その地の真上に位置する――王都ガザを揺らしたのだった。
◇◇◇
―― 元アローガンス王国、王都ガザ、王の間 ――
「地震か?」
王の座に腰を掛けた男――ハインリヒ公国、現国王であるハインリヒ三世が、揺れによってパラパラと細かい破片が落ちてくる天上を見渡しながら、そう呟いた。
その呟きに、脇に控えていた元アローガンス王国騎士団長ルーデントが応える。
「どうやら、例の封印が大分弱まってきているようです」
「そうか」
「想定より早く、封印が突破されるかもしれません」
「間に合って良かったというわけか。戦力を削ることなく、この地を占領できたことは大きい。
「これも天の思し召しかと」
「天啓と申すか。そうか、卿は、太陽教徒であったな」
「はい。私の家系が、代々続く熱心な太陽教徒でしたので、必然的に」
「ふむ……」
ハインリヒは整えられたあご髭を片手で撫でると、眉間に皺を寄せた渋い表情でルーデントへ告げた。
「平時なら、そのようなくだらん発言はするなと一蹴して終わりだが、卿はまだ公国の習わしに疎い。今回は見逃すが、次は天の思し召しなどと言う非現実的なものは引き合いに出すな」
「はっ! 失礼致しました」
「我が公国は天に頼らず、魔導の力を追究して、ここまで発展してきた。真理は天にあらず、地でもなく、魔導にある。これからは魔導を学べ。魔導を制すものが、全てを制す時代になる」
「ははっ!!」
ルーデントが膝をつき、深々と頭を下げる。
その様子を見て軽く頷いたハインリヒは、先ほどの封印の話へと会話を戻した。
「して、ルーデント卿。後、どれ程の時が稼げるのだ? こちらも、魔導兵を量産せぬことには、満足に戦えぬぞ」
「はっ、
「短いな……
「はっ! 必ずや」
ハインリヒは、ルーデントの返事に満足し、軽く頷くと、次の懸念事項へと話題を移した。
「ローズヘイムの状況はどうだ? 何か動きはあったか?」
「いえ、依然として沈黙を保っております。ローズヘイム上空に、度々ドラゴンの姿を確認していますが、こちらを襲撃してくる気配はありません」
「そうか。引き続き警戒を続けろ。だが、対空兵器の準備が整うまでは、表立って動くことを禁じる。ドラゴンを刺激するような真似は控えよ」
「はっ」
「しかし、厄介な者が現れたものだ。この時期に、空の覇者であるドラゴンを従える者が現れるとはな……」
ハインリヒがため息を吐く。
その顔はどことなく面白くなさそうに見えた。
「名をマサトと申したか。その者は今何をしておる」
「密偵との最後の連絡では、意識不明の重体と……」
「何? どういうことだ?」
「はっ。ローズヘイムを拠点に置く闇ギルド――
「フハハハ! たかが闇ギルド一つ相手に敗れたか! ドラゴンを従える者も所詮は人の子。我らが手を下すまでもなかったということだな?」
高笑いするハインリヒだったが、ルーデントが渋い表情を続けたため、目を細めながら話の続きを促した。
「まだ続きがあるようだな。噂程度の情報でもよい、申してみよ」
「はっ…… まずは調査結果からですが、
「……ふむ。そうか。名も聞かぬ辺境の弱小ギルドというわけではないということか。だが、それだけか? 他にどんな情報があるのだ」
「はっ。ローズヘイムから亡命してきた貴族達の誇張も含まれていると思われますが…… マサトという男は、王という立場ながらも、闇ギルドのアジトへ一人で乗り込んだという情報もありました。ですが、密偵との連絡が途絶えた今、その情報の確証を取る術はありません」
「王が一人で闇ギルドと衝突したとでも申すのか?」
「はっ……」
「それは余程の愚か者か、相応の力を…… いや…… 結果的に重体となったのであれば、ただの愚か者でしかないであろう。そんな者を、フロン女王は王としたのか。ふむ、だとすれば、余程状況が切迫していると見える。まぁ、王都を我が公国に奪われてしまったのだから、余裕がなくて当然といえば当然だが……」
ハインリヒの推察に、ルーデントは無言で応じた。
ハインリヒは、ルーデントの反応にため息を吐くと、話の続きを促した。
「……これだけの情報では判断できんな。卿は、些末な噂を含め、全ての情報に触れたのだろう。その上で、卿はこの一件をどう見ておる」
問われたルーデントが、目線を床へ向けたまま暫し考え込む。
そして視線をあげると、ハインリヒの目を見ながらこう答えた。
「俄かには信じ難い話ではありますが…… マサトという男は、二匹のドラゴンを駆使し、何万もの
「ふむ」
「そしてマサトには、太陽教徒を排斥する決断ができるほどの存在――優れた
「……何? それは初耳だぞ」
「はっ。一人で数十人を治療できる者が複数名、突如辺境の地に現れたという噂は、あまりにも信ぴょう性に欠けておりましたので…… 裏を取るまでは報告できずにおりました。申し訳ありません」
「……そうか。もしそれらの話が本当であれば、我らがフログガーデンの大半を支配したこの状況で、辺境のローズヘイムだけが強気になれる根拠としては納得がいく。だが、それほどの者達が今まで無名であったとは思えぬ。何か他に情報はないのか?」
「はっ。
「サーズか…… あの荒廃した土地にそれほどの人材がいたというのも信じ難いが、その先入観が盲点だったのかもしれぬな」
「陛下。サーズへの派兵についてご検討を」
「北への退路を断ち、孤立させるか…… ふむ」
ハインリヒは顎に手を添えると、暫し考え――
「ならん」
その答えに、ルーデントが目を丸くしてハインリヒを見た。
「荒廃した土地に兵を回したところで、何の得にもならん。今はアローガンスの残党よりも優先すべき敵がおるだろう。違うか?」
「はっ!」
ルーデントが再び頭を下げる。
その様子を見ながら、ハインリヒは表情を変えずに話を続けた。
「……だが、密偵は送っておけ。今後、サーズとローズヘイムについては、瑣末な噂も含め、全て我に報告せよ」
「はっ!」
「ステン、イロン、ルミア。お前達は、新たに得た土地の発掘にあたれ。山の掘削も忘れるな。
「「「はっ!」」」
ハインリヒに呼ばれた三人――ステン、イロン、ルミアは、ハインリヒの重臣にして、魔導研究筆頭でもあるハインリヒの愛弟子達だ。
一番弟子のステンは、銀色の短髪が特徴的な、屈強な肉体を持つ男で、ハインリヒに忠実だが、一番の頑固者でもある。
二番弟子のイロンは、柔軟な思考を持ちながらも、芯の強さを兼ね備えた優秀なキレ者で、
三番弟子のルミアは、ステンよりも明るい銀色のウェーブヘアーが特徴的な女性で、三人の中で一人だけ軽装だった。肌の露出も多く、胸よりも脚線美が自慢なのだろう。胸の露出よりも、脚の露出の方が多い服装をしていた。
ハインリヒ公国では、家臣は皆魔導研究で何かしらの実績を残した研究員で構成されている。言わば研究国家だった。マッドサイエンティストの集まりといっても過言ではない。そのため、有事の際の意思伝達がとても早く、とても正確だ。皆が一様に同じ知識水準と共通言語、共通認識を持っているため、政での衝突もほぼ発生しない。故に、ハインリヒ公国は、アローガンス王国など比ではないスピードで発展してきたといえる。
その事実に早期に気が付いたルーデントは、度々フロンへと協定の打診をし続けてきたのだが、フロンは取り合わなかった。フロンにも、国と民のことを考えた上での判断だったのだが、その大きな理由の一つが、今まさに、ルーデントを大いに悩ませる事態を招いていた。
「陛下、急な買い占めは、民の混乱を招きます。何卒猶予を」
「ならん。これが我が公国のやり方だ。それに民に猶予など与えては、金に卑しい者が先に買い占めるだけだろう。なに、混乱など一時だ。すぐ収まる」
「ですが……」
「そう心配するな。人は追い込まれてこそ真剣に考え、飛躍できる。すぐ我が公国同様、魔導により住みやすい土地となる」
「はっ」
ハインリヒ公国の魔導開発、生産には、膨大な量の
アローガンス王国の民の生活にも、
それこそ、自然生産される
フロンがハインリヒ公国の協定を飲まなかったのも、この理由が大いに関係していた。
魔導の研究は、多大な恩恵を人々へ与えるが、それには代償が伴う。
その代償は、民が払うわけでも、国が払うわけでもない。大地が払うのだ。
異常気象は新種の疫病を発生させ、結果、その大地に人が住めなくなっていく。
残るのは荒廃した大地のみだ。
この未来を、フロンはとても危険視していた。
だが一方で、アローガンス王国もまた、自国に大きな時限爆弾を抱えていた。
太陽教徒が代々封印を守ってきたとされる、
その遺跡の封印は年々弱まり、いつの時代か、その精算をしなければいけないことは明確であった。
伝承にはこう記されている――
封印が解き放たれれば、瞬く間に世界がその怪物に支配されることだろう。
銀色の肉体を持ち、あらゆる環境にも適応する能力を持つだけでなく、その適応した能力を、近くの個体と共有し合う
一体が進化すれば、たちまち進化能力を共有し合い、全体が進化する。
行き着く先は、その世界を支配する完全適応体だ。
幸い、雌雄同体ではあるが、個々に繁殖能力はない。
しかし、繁殖能力を持つ女王個体は、一日に数千もの個体を延々と生み落とし続ける力を持つ。
生み落とされた個体全てが凶暴で、獰猛。
他の種族を全て食い殺すまで、その殺戮が止まることはない。
やがて他の種を全て絶滅させることに成功したとき、大地はこの怪物達で埋まり、銀色に輝くことになるだろう。
その封印されし怪物の名は――
“シルヴァー(Silver)”
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