5 -「見張る者」

 私を庇うように、ゴブリン達が獰猛な大牙獣達と対峙している。


 エルフ族にとって、いや他のどの種族にとっても、害悪でしかない野蛮で低脳な種族――ゴブリン。


 この種族が “他種族を助ける” という話は、一度も聞いたことがない。


 ましてや命を賭けて救おうとするなど……


 私は目の前の光景を受け止められず、ただただその行く末を見つめることしかできなかった。




――――奴等を初めて見たのは、丁度今から2日前。




 里の近くに、莫大な魔力マナの放流を感じたことがきっかけだった。


 里での話し合いの結果、里の中でも隠密行動に秀でた私が、原因の調査へと向かうことになった。



 私はダークエルフだ。


 ダークエルフは、基本的に隠密能力に長けている。


 私が選ばれたのも当然の結果だろう。


 不満はない。


 あの里には、まともな戦闘を行える者の方が少ないのだから。



 私の住むこの隠れ里の住民は、逃亡奴隷が大半を占める。


 人間やエルフ、ダークエルフや猫耳族等の亜人種が、種族関係なく協力して暮らす小さな集落だ。


 普段であれば考えられない状況だが、同じ身寄りのない、ましてや帰る場所もない逃亡奴隷という立場が、私達の繋がりを強くしていた。


 協力しなければ生きていけないのだ。


 だが、そんな境遇の私ですら、目の前の光景を直ぐに受け入れることはできなかった。



(ゴブリンと人間が…… 共存?)



 初めは、ゴブリンに人間が連れられているのかと思った。


 だが、鎖にも繋がれていないし、第一人間の方が体格も良く、強そうに見える。


 戦士職ファイター、いや、武道家モンクか何かだろうか?


 防具を一切付けていない。


 薄手の服装で森の中を歩いている。


 いや、武道家モンクだとしても、この危険な森に、一切の防具を付けずに立ち入るバカはいない。


 いたとすれば、それは私達のような逃亡奴隷か何かだろう。


 そうでなければ、こんな猛獣の蔓延る危険な森の中で、防具どころか武器すら持たずに、更に言えば全くの無警戒で森深くまで立ち入るとは考えられない。


 しかし、それにしてはおかしい点がいくつかある。


 着ている服が綺麗過ぎるのだ。


 いや、鍛えているであろう丸太のような二の腕も、傷一つなくとても綺麗だ。


 どんな凄腕の戦士でも武道家モンクでも、肌に傷一つなく鍛え上げた男を、私は未だかつて見たことがない。


 それだけ目の前を歩く男が異質で、違和感があった。



(なんなんだあいつは……)



 尾行を続けて間も無く、私の不安は現実となった。


 その男は、岩に擬態していた凶暴な岩陸亀に噛み付かれたのだ。



 男が岩陸亀に噛み付かれた瞬間、私は男の死を確信した。


 男の身体が亀の顎に砕かれ、くの字に折れ曲がり、皮膚は千切れて、血肉が飛び散る光景を瞬時に想像した。


 異質な男は死んだと。


 しかし、現実はそうはならなかった。


 男は亀に噛み付かれて驚いたようだったが、次の瞬間には、亀に噛み付かれながらも、亀の口を両手でこじ開けようとしていた。


 無理だと思った。


 体格が倍以上ある岩陸亀の顎の力に、人が対抗できる訳がないと。


 しかし、意外にも亀の方が焦っているように見えた。


 亀の口が男の身体を嚙み砕くことはなく、私には男の力と亀の顎の力が拮抗しているようにも思えた。



(あ、ありえない……)



 次の瞬間、亀は男の身体を咥えたまま左右に振り回し、勢いをつけてそのまま地面へと叩きつけた。



「うがぁっ!? い、痛ってぇえ!」



 男が悲鳴をあげた。


 それを聞いて私は唖然とした。



(痛い? それだけなのか?)



 普通の人間なら首の骨が折れてもよい勢いと、頭部だけとはいえ岩陸亀の体重がのった叩きつけを受けていたのに、痛いって…… 本当にそれだけなのか?



(そんなバカなことがあるのか?)



 男は怒ったのか、何やら右手を亀の眼へと差し向け――



「ショックボルト!」



 と、叫んだ。


 男が何か唱えた瞬間、男の右手に一瞬桜色の閃光が走り、バリバリバリィイッッ!!という轟音とともに、紫電が亀の眼に向けて走ったのが見えた。


 紫電は亀全体に広がり、亀は全身を硬直させた。


 私は一瞬夢を見ているのかと錯覚した。


 しかし、次の瞬間、更なる現実逃避を余儀無くされる。



「ショックボルトォオオ!!」



 男が再度呪文を唱え、岩陸亀はその巨体を地面へと沈めたのだ。


 今度ははっきりと聞き取れた。


 男が何と唱えたのかを。


 そんな馬鹿なと…… 私はそう思った。


 目の前で見た光景を否定した。


 奴が唱えた呪文は、今は伝記でしか残っていない古えの呪文の一つ「ショックボルト」だったからだ。



 大昔、まだマジックイーターと呼ばれる伝説上の大魔法使い達がこの世を支配していた頃、その魔法使い達が、好んで使っていたとされる攻撃魔法の一つであると何かの伝記で読んだことがある。


 しかし、マジックイーターが存在したのは数百年前の話だ。


 では、目の前にいるこの男はなんだ?


 私が混乱していると、この男がマジックイーターだと決定付けるような出来事が起こった。


 亀から魔力マナの粒子が舞い上がり、男の胸へと吸い込まれたのだ。


 そしてはっきりとこの眼で確認した。


 男の胸に、伝記で見たものと同じ、マジックイーターの紋章が刻まれていることを。


 私はそれを見るや否や、逃げるようにその場から立ち去った。



――恐怖、不安、焦り。



 色々な感情が蠢いたが、とにかくとんでもないものが現れたということしか分からなかった。


 いや、理解の範囲を超えていたあまり、思考が混乱して整理できなかった。


 暗殺者として殺しの日々を過ごしてきたが、今回生まれて初めて得体の知れない恐怖を感じた。



(は、早くこのことをネルに伝えなければ……)



 その一心で、私はその場から逃げ出したのだった。

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