女王の悔恨
再会したのは、それから二十年後の事だった。
「……老けたわね、貴方」
「あら、久しい顔ね。幻、かしら……」
王都・キングスヤードにあるハウル公爵家の屋敷。
サラは自室の真白なベッドの上で、全身に血が滲んだ包帯姿で寝かされている。
街を散策中、教会の聖輪隊による闇討を受けた事がこうなった原因だ。
尾行に気付いたものの、十人という数の差から追い詰められ逃げ切れないと察したサラは、一般人を巻き込まない為に人気の無い場所で迎え撃ったのだ。
その結果が、これだ。
「実物よ、実物。にしてもよくまあ、聖輪隊の、それも完全武装の精鋭相手に相打ちに持ち込めたわね。ていうか、何で生きてるの?
貴方丸腰でしょ?」
なんて言ってみるが、たかが幹部クラス相手に彼女がやられる、など思っていない。
何たって彼女は、死を間近に控える今尚も連盟最強の狩人なのだから。
「そこはコレよ。
はあ、私も歳ねぇ。あと一人でも多かったら、負けてたわよ。
それより……貴方、見ててくれた? 私、上手く……やれたかな?」
握り拳を掲げて、苦しさを隠すように笑ってみせると、サラは心労と苦労で年老いた顔で、二十年前と変わらない接し方で私に問う。
その問いは、上手く戦えたか、でなく。
彼女の為してきた事への感想を、私に問うている。
「全部見てたわ。
牙の氏族達への援助や共闘体制の設立、異端狩りからアルストル島に逃げて来た工房の者達の保護……貴方は一代で沢山の命を救った。
誇りなさい。貴方は充分良くやったわ」
私は心の底から、彼女の偉業を褒め称えた。
血族との和解。その夢は未だほんの一部のみしか為していないが、それでも彼女の功績は素晴らしい。
バラバラだった狩猟団に自らの武を示し、そして団結する利を説い「連盟」という形で統一。
自分達と同じ共通の脅威をきっかけとして牙の氏族や工房の者達に近付き、共に戦う姿勢を見せ、相互理解を深め共闘体制を築く。
そんな、様々な手を用いて理想へと突き進んだ彼女の手腕は、見事の一言に尽きる。
しかしその見事な手腕はアイツら……教会には目障りに映った。
この子は、些か目立ち過ぎたのだ。
「そっか。良かったぁ……」
「何やり切った感出してるのよ、まだこれからじゃない。ほら、手。取って」
発見時、腹部に数カ所の刃物による致命傷を負った彼女の元には夥しい血溜まりが出来ていた。
身体が受けた損傷は大きい。このまま放っておけば、彼女の命はそう長くはない。
だから私は彼女を血族にし、延命させる為に手を差し伸べる。
しかし彼女は私の手を取ろうとはせず、腕を動かす素振りすら見せなかった。
「……どういうつもりかしら、サラ? 貴方このままだと一月経たずに死ぬわよ」
「……お医者様は何とか一年は保つって言ってたわよ?」
「無理ね。生きたければ、私の手を取りなさい」
「そう……、ごめんなさい。その手は……取れないわ」
そう言ってサラは苦しげに私を見上げて、私の手を取らない理由を語る。
「貴方、私を……血族にするつもりでしょ? でも……私は連盟を守る為に、血族の力に魅入られた者達を裏切り者として処罰してきたわ……。そんな私が、それをやれば……連盟は結束を失い、瓦解するわ。
……今回の件で、聖輪隊は私の、連盟の怖さを味わったでしょう。後は、それを利用して私の命が尽きる前に教会と同盟関係を整えて、それで私の役目は終わり。
後は……同志と、私達の子孫に未来を託すわ」
「託すって何? 死んだら全部、無駄になっちゃうのに!
貴方の創り上げた連盟だって、貴方が居なくなれば無くなっちゃうわよ!」
「フフッ、そんな事無いわ。貴方は何を見てきたの?」
サラはそう言って、自分の歩んで来た足跡を私に話し始めた。
「私の掲げた旗の元、たくさんの仲間が理想に向かって進み、そして倒れていった……。
それでもね。私達は半ばで倒れた仲間の想いを背負い……歩み続けたの。
私も、そうなるだけ。
大丈夫。私の理想は、まだ旗手を失ってはいないわ。貴方も、きっとその一人になってくれるだろうし」
聞いて、私は当惑する。
この子はまだ、私を信じてくれている。それは嬉しくもあったが、私にはその理由が分からなかったから。
「……どうしてそう思うの? 私は、貴方の手を取らなかったのに」
「そんな強気な喋り方、昔の貴方はしなかった。どっちかっていうと、昔の私にそっくりじゃない。
それって、貴方も私に影響されてるって事よね?」
「そ、それは……!?」
「私の提案を拒否した事、まだ気にしてるんでしょ。
私が死にかけのタイミングで現れたのも、血族への転生をきっかけに仲直りする腹積もりで来たんでしょう?」
彼女には、全てお見通しだった。
その事実が、私の心をドクリと跳ね上げさせる。
「……うん、その通り。でも、気弱な私のまま会ったら私、貴方に要求なんて通せない……!
だから私、強く芯のある貴方のように、ガワだけでも振る舞おうって……」
それを聞いたサラは、ひどく呆れて溜息混じりに苦言を呈する。
「ガワだけ真似たってしょうがないでしょ。そんなんで私に要求を通せるなんて、初代連盟長サラ・A・ハウルの名前も舐められたものだわ」
「サ、サラ! 決して私は貴方を舐めてた訳じゃなくて……」
慌てふためいて言い訳を口にする私を見て、サラは面白可笑しそうに頬を緩めた。
「フフッ、冗談よ。……変わらないわね、貴方は。私は大分老けちゃったけど」
「そんな……貴方だって、変わってないわ。今も昔も、その美しさは色褪せていないもの」
サラの顔に手を添える。
肌に潤いは無く、心労と体力の低下ですっかりやつれてしまい、顔色も悪い。
実年齢以上に老けた彼女に、最早少女の面影は見られない。
でも。
私は、彼女がこうなってしまった過程を見てきた。
だから思う。彼女は、今も昔も変わらず美しい、と。
その思いに、一切の嘘や慰めの感情は無かった。
「はぁ。貴方の手、とっても温かい。
この温もりを、貴方は私に教えてくれた。教えてくれたから、私はここまでやって来れた。
ありがとう、我が最愛の親友……ティア」
「……どうあっても、意志は変わらない?」
「……変わらないわ」
サラの決意は堅い。
自分がどうこう言って、変えられるものではなかった。
こうなれば、道は二つ。
一つは諦める事。
そしてもう一つは、強引に血族にしてしまう事。
私は後者を選びたかった。
でも、出来なかった。
彼女からの親愛を、裏切りたくなかったから。
嫌われたく、なかったから。
私は前者を、友情を守る事を選んだ。
「分かった。じゃ、私もう眠るわ。
でもその前に。
今更だけど。私にもう一度だけ、貴方の夢の手伝いをする機会を頂戴。
いくら貴方でも、一月じゃあの石頭供に条件を呑ませるのは苦でしょう?
私の力、存分に利用しなさい」
「……、ええ、願ってもない事よ。とっても心強いわ、とてもね」
その後。
サラは連盟の武力と私の存在を後ろ盾に、今回の件を水に流す条件として教会に同盟を申し出た。
たった一人の標的に、聖輪隊幹部と選りすぐりの執行官合わせて十人を失うという、大き過ぎる痛手を負った教会はそれを承諾。
以降現在に至るまで、末端での小競り合いはあれど、今回のような大事件は起きなかったらしく、両者は睨み合いによる平和を築く事となる。
そして襲撃事件から丁度一月後、同盟締結の翌日。
彼女は役目を終えたと言わんばかりに三十六年の人生に幕を下ろし、私はというとその少し後に一人の愚か者を手駒にし眠りについた。
結局、私はどうすれば良かったのか。その答えは今も分からない。
ただ一つ、決めた事がある。
それは……。
「おい、起きろ!」
何処からか、オミッドの声が響く。
私のせいで巻き込まれたのに、困難に向かっていく狂人の、久しく見つけたお気に入りの声が。
ああ、そうだ。
私は戦わねばならない。
許されざる叛逆者を討つ為に。
私を呼ぶ、貧弱で愚かな、愛すべき我が協力者を守る為に。
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