捜査報告 上
ティアの説得を終えたオミッドらは、法定速度が許す限り車を飛ばした。しかし間に合わないものはどうしても間に合わない。
署に戻った後、オミッドは待ち受けているであろうトレントからの叱責を受け止める覚悟を以て刑事課に戻った。自分の見通しの悪さが招いた結果を甘んじて受け入れ、謝る他に選択肢は無いのだ。
「只今戻りました……」
「おう、お疲れさん」
「ト、トレントさん!? す、すいま……えっ?」
扉を開けた瞬間に、扉前の棚の書類ファイルを整理していたトレントが特に怒った風もなくそう言った。
身構えていただけに、オミッドはトレントの対応に驚きを隠せなかった。
「あの、俺ら会議遅れたんですけど……」
「あ? お前ら、捜査がどうしても長引くからっつって遅れたんだろ? そんな心配しなくても会議の内容なら教えてやるよ」
トレントはそう言うが、オミッドは連絡を入れた覚えが無い。何せ、ティアの説得に全思考を集中させていた為そこまで回す気が無かった。
となると、連絡を入れたのはカーティ以外にいない。
振り返ると、「私、有能でしょ?」と言わんばかりにカーティがドヤ顔を見せる。それに対してオミッドは、彼女にだけ見えるように指で丸を作って応えた。
「まっ、ともかくこれ俺の机まで運んでくれ」
そう言ってオミッドに大量のファイルを持たせ、自身も同じ量のファイルを持ってトレントは自身の机に向かう。
「重っ!? 何ですかこのファイル?」
「今回の事件の資料だよ」
「何か皆んな机仕事してますけど、午後の捜査はどうしたんですか?」
カーティの言う通り、この部屋にいる刑事は皆キーボードをカタカタと打ち込みながらパソコン画面と睨み合っている。
本来ならこの時間は聞き込みと周辺捜査をしている頃合いだ。今日は遺体が見つかっているので、こんな事務仕事をしている暇は無いはずである。
「あー、それなんだがな。刑事課はこの件から降ろされた。後はキングスヤードの連中が全部やるってよ。ったく、勝手言いやがる」
「え、そんな無茶苦茶な!? でも、応援は明日のはずじゃ?」
「そのはずだったんだがな。応援の指揮を執ってる奴が先入りしてきて方針転換しやがったんだよ。たしか、ハウントって名前だったか? あの若さで俺と同じ警部補なんだとさ、恐れ入るぜ全くよ」
ハウント、と聞いてオミッドはすぐにズィルヴァレトだと理解する。レストランで別れたきりだったが、どうやら市警に向かっていたらしい。
「じゃ、その資料はそっち置いてくれ。
ふぅ、ウチも早いとこペーパーレスって奴を進めてくれねぇかな」
自身の机に雑に積まれたファイルの山に文句を垂れつつ、トレントは腰を下ろし眼鏡を掛けてパソコンに向き合う。
「つーわけで、俺達刑事課は応援が本格的に着く明日までに、捜査資料をまとめて引き継ぎの準備を終わらせなくちゃならん。
だが、お前らはそれより先にキングスヤードの警部補殿に捜査報告してこい。進展があろうと無かろうと、それを聞くのは俺じゃ無い。あの警部補殿、今の捜査責任者だからな」
そう言うトレントだが、オミッドには彼が言葉で言うほど残念がっていないように感じた。オミッドの事件に掛ける熱意や正義感はトレント譲りのものだ。
そんな彼にオミッドは違和感を覚える。
「不思議ですね。トレントさんがそんなに簡単に引き下がるなんて」
「ハッ、ダグに似て鋭い奴だ。
確かにいつもの俺なら上に抗議してでも食い下がる。だが、考えてみろ。俺達が総出で捜査しても何も出てこないし被害は増える一方だ。
俺が思うに、この事件は一市警が何とか出来る代物じゃねぇ。ここは大人しく引き下がって本庁のエリートサマの手伝いに回った方が得策だと、俺は判断した。
それだけさ」
言葉の節々に皮肉が込められてはいるが、トレントの判断は確かに正しい。
オミッドもティアに出会わなければ、血族というものを知らなければそう判断していただろう。
「俺もヤキが回ったな。せめてダグが生きててくれりゃ、こうはならなかったかもなぁ……」
「トレントさん……」
「……おっといけねぇな。タラレバなんか言ってる暇ねぇわな。仕事だ仕事!
お前らも早いとこ報告行ってこい! 今だったら多分第一会議室あたりにいるだろ」
ズィルヴァレトがいるという第一会議室は、本来捜査本部が設置されている場所だ。刑事課を出て近づいていく度に、慌ただしく動く刑事達とすれ違う頻度が多くなっていく。
「皆さん忙しないですね」
「ああ、何せいきなり明日までに引き継ぎを完了しろとか言われたんだ。そりゃこうなるよ」
「あっ、お前ら帰ってきたのか」
前方から、ダンボール箱を抱えたロッドが声をかけてきた。
「ついさっきな。お前は何やってんだ?」
「見て分かるだろ? キングスヤードの奴のパシリにされてる。で、そういうお前は?」
「トレントさんに言われて、ハウント警部補に報告しに行くところだよ」
それを聞いた途端、ロッドは目の色を変えてオミッドに頼み込む。
「なあ、それ俺もついてって良いか?」
「は? 何で?」
「あのいけ好かない警部補が連れてる部下の人が超美人でさ。具体的にはカーティちゃんと同じか、それ以上かも。少なくとも、この署であれ以上の美人を俺は見たことがない」
ロッドは耳を貸せと手招きをした後、小声でそう言った。
恐らくエアルフの事を言っているのだろう。
「俺さ、コレ持ってったらもう刑事課に缶詰にされるんだよ」
「それは俺達もそうだよ」
聞いていないのかそもそも聞く気が無いのか。ロッドはオミッドの言葉を無視して話を続ける。
「事件解決まではキングスヤードには帰らないだろうから猶予はあるけど、それはそれとしてもう一回くらい御尊顔を拝見しておきたいわけ。
だから頼む、一緒に行こうぜ! 何ならその報告俺がやるからお前代わりにコレ運んでくれ」
「バカ言ってないで仕事しろ。俺達も報告が終わり次第手伝いに戻るから」
「ハーッ、これだから頭が固い奴は嫌だ。目の保養ってのは大事なんだぜ?
どーせ可愛い後輩連れ歩いてるお前にゃ、ムッサいおっさんと組まにゃならん俺の気持ちなんか分からんだろうな……あっ」
ロッドの顔がみるみる青ざめる。
ムサいおっさんというのは言わずもがなトレントの事である。となれば、彼が青ざめた理由は一つだ。
「誰がムッサいおっさんだって? あぁ?」
背後からトレントの声がした。その顔は表面上笑ってはいるが怒気を隠せていない。
署内で上司の悪口を叩けるその気概は尊敬するが、それを真似しようとはオミッドは思わない。
何故なら陰口を叩いた時に限って、その人物に出くわすというのは割とあるあるだからだ。
「でっけぇ声のおかげでよーく聞こえたぜ。ムサいおっさんと組むのが嫌なら、俺が頼んでやるから他部署にでも回してやろうか?」
「い、いやだなー。冗談ですよ冗談! あっ、俺コレ運ばなきゃなんで、失礼しまーす!!!」
「あっ、待ちやがれ! たくっ。遅っせえから何やってんだと思って来たらこれだ。目上を敬えとまでは言わんが、アイツの軽さはどうにかしてほしいもんだ」
一目散にその場から逃げていくロッドの背を見て、トレントは深い溜息と共に呆れて言う。
「お前らも早く帰って来てくれよ。頼むから」
オミッドの肩をポンと叩き、トレントはげんなりと背を曲げ刑事課の方へ戻って行った。
「大変ですね、トレントさんも……」
「さっさと終わらせて戻らないとな。行こう」
ちょっとした騒ぎがあったものの、オミッドらは再び第一会議室へと歩き始めた。
第一会議室は上階にある。ボタンを押してエレベーターが降りてくるのを待っていると、カーティが話しかけてくる。
「そう言えば、さっきトレントさんが言ってたダグって人は先輩のお父様の名前ですか?」
「ああ。トレントさんと組んでたんだ。何でも署内で一番捜査力のあるコンビだったらしいぞ」
「でも、ダグさんってその……何故殉職なされたのですか?」
「廃工場に逃げ込んだ殺人犯を追ってた時に、倒れてきた過積載の廃材から犯人を庇って下敷きになったんだ。そう聞いてる」
そう語るオミッドの表情は、カーティにはひどく重く映った。
「何か、思い詰めていませんか? 心に秘めるは美徳という価値観もあるそうですが、私個人としては悩みを相談してくれた方が信頼されてる感が感じられて嬉しいんですけど」
降りてきたエレベーターには誰もおらず、また乗ったのもオミッドら二人だけだ。
表情から何かを感じ取ったカーティはこの密室で、その何かを聞き出そうとしてそう言った。
「いやさ、その廃工場ってあの繁華街にあるんだよ。もし俺がヘマやって死んだら、親父と同じ場所で死ぬ事になるなって……。
こういうの、運命なんて言うのかな。ハハハ」
「笑えませんね」
目元を吊り上げて怒る、茜色の瞳がオミッドを映す。
「そんなもの、気の持ちよう次第です。確かに血族狩りというのは命を賭けた真剣勝負です。不安なのは分かります。私も最初の狩りは怖かったですし」
「カーティ……」
「ですが恐怖に呑まれてはなりません。
先輩は私とあの女王に覚悟を見せました。その覚悟は素晴らしいものです。
ですからどうか、この狩りが終わるまではその覚悟に恥じない先輩であって下さいね」
威勢よくカーティとティアを説得したオミッドだが、その心のどこかでは不安を抱えていた。
だからこそカーティはその不安を少しでも払い除けようと、ニッコリと笑ってそう言った。
「安心して下さい。あの女王は先輩が思う数百倍は強いですから」
そして、と続けてカーティはオミッドの手を取って言った。
「我が聖輪にかけて、貴方を死なせはしません。共にこの困難に立ち向かいましょう」
「カーティ……!」
といったところで、間が悪い事にエレベーターの扉が開いた。
「あら……」
「……署内で何イチャついてんだよ、お前ら」
口元に手を当て驚いた素振りを見せるエアルフと、呆れたように二人を見るズィルヴァレトがそこに居た。
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