第2話 西洋教会と東洋協会

 聖ガブリエル高校の敷地は、御岳森を見渡せる小高い丘にあり、ふもとの駅から直結しているケーブルカーと、街のどこからでも見える巨大教会がシンボルだ。


 全校生徒数は一千五百人。

 聖ガブリエルの名を冠している通り、宗教科コースも備えているマンモス校であり、海外からの留学生も積極的に受け入れているからスポーツも強い。


 世界に厄災が広がるにつれ、宗教科の志望生徒が増えるのは、どの国でも共通の傾向となっている。


 困った時の神頼み。

 そういう大衆心理が働いたのはもちろん、西洋教会の資本力をバックに広告を打ちまくっていることは、学校の関係者なら誰でも知っている。


 近代史の授業中、コジロウは頬杖をつき窓の外を眺めていた。

 ここは私服もOKの高校だから、いつもの七分丈コートを羽織っている。


 一見するとぼんやりしているように映るコジロウだが、頭の中ではヴァンパイア戦のことばかり考えていた。


 一対二ならどう立ち回るのか?

 銃を落としてしまったら?

 夜道で出くわしたら?


 こういうシミュレーションが命を守るのだと、エクソシストの父から教わっている。


「……厄災はその危険度によってS級、A級、B級、C級と格付けされております。いったん格付けされたランクは、上方修正されることはあっても、よっぽどのことがない限り下方修正されることはありません。ランク付を行う機関は世界には二つありまして……」


 教師の話を聞き流していると、シャーペンのお尻で机をコンコンされた。


 隣の席にいるのは褐色肌にくすんだ銀髪の男で、名をルキウス=アマデウス=天利あまりという。

 満月を浮かべたような金色の目が特徴で、端正なマスクに身長百八十センチ後半というおまけ付き。

 スポーツも得意とあっては、女子人気の高くない方がどうかしている。


 出身地は知らない。

 日本じゃないことは確かで、がんばって日本語を覚えた、と流暢りゅうちょうな日本語でクラスメイトに話していた。


「なんだ?」

「すみません、教科書を見せてもらってもいいですか?」

「またか」


 ルキウスの顔を直視しないまま教科書を差し出した。


「いや、机をくっつけて一緒に見てくれるだけでいいです」

「内容は全部覚えている。お前が一人で使え」

「えっ……冴木くん……」

「ん?」


 キラキラした目を向けてくると、ルキウスは椅子を蹴っ飛ばす勢いで立ち上がった。


「頭いいんですね! 天才ですか!」

「おい、落ち着け、休み時間じゃないんだぞ」

「教科書を一言一句まで覚えているってことでしょう! 控えめにいって天才です! まさか東洋に伝わる暗記法でも駆使しているのですか⁉︎ もしそうなら私にも伝授してください!」

「そんなのない! あと声が大きい!」


 自分の方がうるさいという失態を犯してしまったコジロウは、すぐ反省して口を手でガードしたが、さすがに手遅れだった。

 教師が険しい顔になり、チョークの先端を向けてくる。


「冴木くん、天利くん、他の生徒が静かに授業を受ける権利を侵害するのは感心しませんね」

「いえ、先生、俺はこいつがうるさいから注意しただけで……」


 自己弁護してみたが、思いっきり悪手だった。


「仲間のせいにするなんて情けない! 教室の外で反省してきなさい!」


 一喝されたコジロウは一度ルキウスをにらんでから席を立つ。

 こいつのこと、やっぱり嫌いだ!


 ……。

 …………。


 コジロウが落ち着ける場所を探していると、なぜかルキウスも背後からついてきた。


 迷惑をかけたという自覚がないのだろうか。

 あるいは、たまたま同じ方向を目指しているのか。


 コジロウは中庭に面したベンチに腰かける。

 すると、ルキウスは目の前を通り過ぎていく。

 ようやく解放されたと安堵あんどしたのも束の間、紙パックのジュースで肩をトントンされ、見上げると太陽のように眩しい笑顔があった。


「うげぇ……」

「コジロウはどっちがいいですか?」

「いきなり何だ。気色悪いなぁ」

「お詫びの印ですよ」


 二本あるうちの一本をくれるらしい。

 思いがけないプレゼントなので、ルキウスに対する好感度が一割くらいアップする。


「甘栗味の豆乳をもらおうか。あと馴れ馴れしくコジロウと呼ぶな。お前の国はどうだか知らんが、ここじゃ苗字で呼ぶのが普通だ」

「へぇ〜、そうなんですか。日本のジュースって美味しいですよね、コジロウ」

「こいつ、死ぬまで人の話を聞かないタイプだな」


 ルキウスが何を飲んでいるのかチェックしたら抹茶まっちゃラテだった。

 そのルックスで和風はないだろう、と思ったコジロウは、


「ザッハトルテとか好きそうな顔して抹茶なのか?」


 と皮肉じみた口調でいう。

 てっきり怒るかと思ったら、返ってきたのは笑い声。


「ええ、私は抹茶が好きですよ。初めての出会いは抹茶のアイスでしてね。緑色した食べ物といったらアボカドとかアスパラガスのような野菜しか知らなくて、でも食べてみたら絶品じゃないですか。それから抹茶のとりこです」

「ふ〜ん」

「私は日本が大好きなので、聖ガブリエル高校へ留学できてラッキーですよ。こんなご時世ですから、入国制限を敷いている国もあるでしょう」


 私という一人称もルキウスのような男前が口にすると妙にしっくりくる。


「確かに人や物の行き来は、俺たちが生まれてから過去最低レベルだな。お陰でケーキの値段が上がってたまらん。良質な小麦が高くなった」

「お金は血液と言いますしね。世界経済は血行不良なのです」

「すべて厄災のせいだな」

「ええ、同感です」


 初めてルキウスと意見が一致したことに驚いたコジロウは、バレないように笑っておいた。


「あ、そうそう、三色団子も食べますか? 私、これも好きでして」

「どこから取り出した⁉︎ 手品か⁉︎ 腐ってないだろうな⁉︎」

「鮮度はばっちりです。今朝買いました」


 小腹が空いていたので、ありがたく一本もらっておいた。


 普通においしい。

 ほろ苦い緑茶かコーヒーが欲しくなる。

 あと、授業をサボって食べる団子は格別の美味しさがある。


「いや〜、空は平和ですよね〜。厄災に怯えている生き物なんて、人間とそれに飼われているペットくらいですかね」

「いえてるな。野生の動物からしたら、厄災よりも人間の方が怖いだろうな」

「にしても、三色団子はうまい!」


 緊張感のないやつだ。

 そう思う反面、ルキウスの身のこなしには一分の隙もない。

 いつ襲われても対処できるよう、四方に気を張り巡らせているのだと、戦いに身を置いてきたコジロウなら理解できる。


「お前、キョウカイの人間なのか?」


 コジロウはずっと気になっていた質問を口にした。

 厄災に家族を殺されてエクソシストを志願する、という少年少女はコジロウくらいの年代だと珍しくない。


「そうです。ということは、コジロウもキョウカイの人間なのですね」

「そうだ。この街にヴァンパイアが出るというから引っ越してきた。探ってみた感じ、紅月のヴァンパイアで間違いない」

「紅月のヴァンパイア……厄災レベルSランクの超大物じゃないですか。まさか、コジロウが狩る気ですか? 仲間は? 一人でSランクの厄災をはらった例は過去にいくつかありますが、凄腕の狩人イェーガーじゃないと無理ですし、複数人のユニットで挑むのが常識でしょう」

「考えてみろ。増援が来るまで紅月のヴァンパイアが待ってくれると思うか? もちろん、支援要請は出す。それと並行して情報を集める。いざという時は一人でも交戦する。逆にいうと、やつのマークが甘い内がチャンスだ」

「ですか……」

「長生きしたかったら、天利はこの街から出た方がいいぞ。お前のような色男が真っ先に狙われるからな。まあ、お前がヴァンパイア化したら、俺の手できれいに始末してやるが」

「おおっ! 私の身を案じてくれるのですか⁉︎ コジロウは優しいですね! ぜひ一緒に戦いましょう! 打倒S級ですよ!」


 アホか⁉︎

 お前みたいなバカが一緒だと仕事がやりにくいだろう⁉︎

 出かかった本音をぐっと飲み込んだコジロウは、団子をたっぷり咀嚼そしゃくしてから飲み下す。


 パートナーは相性が大切なのだ。

 お互いの欠点をカバーできるといったシナジー効果がない限り、ソロでの活動に徹した方だマシだったりする。


「しかし、天利のように呑気なやつも西洋教会の一員とはな」

「しかし、コジロウのようにクレバーな高校生も東洋協会の一員なのですね」


 二人のセリフが重なった瞬間、はっ⁉︎ の顔つきになった。

 ルキウスもマヌケ面を浮かべるあたり、似たような勘違いをしていたらしい。


「嘘でしょ⁉︎ コジロウが西洋教会のメンバーなんて⁉︎ 頭から爪先まで東洋のイメージしかないじゃないですか⁉︎ もしやエクソシストなのですか⁉︎」

「そうだよ! エクソシストだ!」


 コートの内側から十字架を取り出す。


「俺のご先祖様が一時期ヨーロッパに住んでいたんだよ。ほんの少しなら西洋の血だって混ざっている。そんなことより、天利のようなバリバリの異邦人が、東洋協会ってことの方が驚きだな」

「よく言われます。これでも陰陽師の家系なのですよ」

「陰陽師?」

「あれ? ご存じないですか? ジャパニーズ・エクソシストですよ。大陸から伝わってきた陰陽五行説を、日本なりにマイナーチェンジした」

「陰陽師は知っているが、こうして話すのは初めてだ。あと、天利の説明はムカつくな」

「なんで⁉︎」

「日本をバカにしているみたいで嫌だ」

「あはは……コジロウも日本が好きなのですね」

「どうだろう……好きでも嫌いでもない気がするが……」


 柔らかな風が吹いて、ほほ笑むルキウスの銀髪を揺らす。

 毒気を抜かれたコジロウはうっかり紙パックを落としかけた。


「しかし、日本人エクソシストとか噴飯ですね!」

「はぁ⁉︎ 西洋人の陰陽師より百倍マシだ!」


 やや沈黙があった後、二人は同時に笑った。

 世界には厄災がはびこっていて、自分たちは危機と向き合っているのに、毒にも薬にもならない会話をしているのが可笑おかしかった。


「おっしゃる通り、私のような陰陽師は邪道ですね」

「何だよ。自覚はあるのかよ。まあ、日本人のエクソシストも邪道だな。昔より寛容になったとはいえ、本場の人間からしたら、鼻で笑いたくなるだろうよ」

「紅月のヴァンパイアを倒して彼らを見返してやろうと?」

「おい、思いっきりガキじゃねえか」


 コジロウは腹をよじって笑う。

 するとルキウスも太ももをバシバシと叩く。

 昔からの友達みたいで、可笑しさに拍車がかかっていく。


「私のことは天利じゃなくてルキウスでいいですよ」

「…………」

「どうしました?」

「嫌だ。天利って呼ぶ」

「いやいや、ルキウスって呼んでくださいよ! そこは仲良くハイタッチする場面でしょう! 友達じゃないですか、コジロウ!」

「コジロウって呼ぶな! しかも、呼び捨て! お前のようなやつが口にする友達は軽いんだよ!」

「ひどいな〜。どうしたら心を開いてくれるかな〜」


 コジロウが折れないと、明日も明後日も付きまとわれそうな勢いだったので、


「分かったよ! ルキウスと呼べばいいんだろう!」


 と譲歩しておいた。

 実際、天利という呼称よりルキウスという呼称の方が、この男の外見にはマッチしている。


「ちなみに、ルキウスは御岳森のヴァンパイアに関する情報をどこまで集めている?」

「いくつか寝ぐらっぽい場所を突き止めた感じですかね。他には被害者が出やすいエリアを特定しています。今のところ下っ端のヴァンパイアが動いている印象です。何体が捕まえて尋問しましたが、一様に口を割ろうとはしませんでした」

「そうか。俺も似たような感じだ。きっと紅月のヴァンパイアに関する情報は、脳内から抹消まっしょうされているのだろうな。紅月のヴァンパイアほどの能力があれば、眷属の記憶を書き換えるのも容易いだろう」


 女王蟻とか女王蜂に似ている。

 自分は兵隊を増やすことに徹する。

 血を集めるのは部下たちに任せっきり。


 やりにくい。

 どうすれば親玉のところへたどり着けるのか。

 解決に繋がりそうな糸が、今のコジロウには見えない。


「いや〜、嬉しいな〜。西洋教会の人間とお友達になれたのは人生初です」

「おい、話の腰を折るな。どうすれば紅月のヴァンパイアを攻略できるか話し合っていたのに」


 コジロウが髪をかきむしっていると、ルキウスは小気味よく指を鳴らした。


「そりゃ、あれでしょう。ローラー作戦しかないでしょう。ヴァンパイアの基地を片っ端から攻撃するんです。そうすれば紅月のヴァンパイアも、自分の計画を乱す何者かがいることに気づきます。きっと表舞台に出てきます。紅月のヴァンパイア自身が出陣せざるを得ない状況を作るのです。私とコジロウなら、きっとやれます」

「簡単に言ってくれるけどなぁ……悠長にしている時間はあまりないぞ」


 たった一週間で百二十七人。

 この御岳森で出た行方不明者の数である。


 すでにこの街は腐りかけており、認めたくない事実だが、西洋教会と東洋協会は後手に回っている。

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