第28話 アリアドネ

 彼女は術師ぽいな。ひょっとして魔法って奴か?

 面と向かって魔法を使う相手と対峙するのは始めてだ。魔法があると聞いていたけど、ベルヴァが魔法を使う機会なんてなかったし。

 見てみたい気がするが……隙だらけ過ぎないか?

 脚がギギギと音を立て始め、彼女の裂けた口から息が漏れている。

 俺と彼女の距離はたったの50メートルほどしかないんだぞ? 

 

 カチリ。心の中の撃鉄を起こす。

 途端に耳障りだったギギギという音が間延びし、全ての動きがスローモーションになる。

 音を置き去りにして一息に彼女へ拳が届く距離に詰め寄った。

 この間、彼女は背中の脚が僅かに動いた程度で俺の接近にまだ気が付いていない。

 ファフサラス、アリアドネとの戦いの中で分かったことがある。俺と彼らを隔てるもの。

 それは、速度域の違いだ。

 どれだけ強大なブレスも、絶大な魔法でも、発動しなければ意味をなさないんだぜ。

 アイテムボックスを使った防御術はあるにはあるが、俺には剣圧を飛ばしたりとか、炎を放つ魔法なんて特殊な力を持ち合わせていない。

 俺にあるのは、レベルアップによる暴力的なまでの身体能力向上。ただそれだけ。

 しかし、これ以上に強力なものなんてない。

 と、アリアドネの目の前に立ち余計なことを考えていても、まだ彼女の目線が俺に向いていないのだ。

 

 どうしたもんか。

 腕を組み、首を捻る。自分の甘さだってことは重々承知しているのだけど、ヴィラレントと異なり彼女は人型だ。

 更に彼女はヴィラレントにはなかった人と似たような思考力や意思を持っているように思える。

 ヴィラレントだって言葉を持っていた。だけど、何と言うか奴は働きアリや働きバチのような感じだったんだよな。

 もう一つ……魔法への興味も尽きない。

 いやいや、ベルヴァだって魔法を使えるかもしれないじゃないか。だけど、巫女という職業からしてファイアとかブリザードみたいな攻撃魔法は使えないよな。

 魔法といえば攻撃魔法。そうだそうだ。

 

「うおおおお!」


 アリアドネの後ろに回り込み、手刀を放つ。

 スパッと背中から生えた蜘蛛の脚が全て根元から切り離される。ようやくここで彼女は俺が元の位置にいないことを認識したようで肩がピクリと動いた。

 その時には彼女の前に移動し、右手で彼女の喉を掴む。

 

 ドサドサ。

 蜘蛛の脚が地面に落ちた。

 

「ぎゃあ……っつ……」


 叫ぶ声を上げようとしたアリアドネであったが、俺に首元を抑えられてくぐもった声しか出ない。


「死ぬよりマシと思え。無力化するために背中の脚を落とさせてもらった」

『よく分かったな。アリアドネは肉弾戦が得意ではないが、強力な魔法をいくつも使う』


 喋れぬアリアドネの代わりにノソノソと足元にやって来た駄竜が分かった風な口を利く。

 対する俺は首を横に振り、彼の言葉を否定する。


「いや、分からん。こいつが攻撃をしようとしただろ。その時に背中の脚と口が動いていたからさ」

『口で呪文を紡ぎ、蜘蛛の脚で増幅する。こうなってはこやつもそこらの魔術師と変わらん』

「それなら離してやるか。あとついでに」


 アリアドネの首から手を離す。

 彼女は力が抜けたようにその場に尻餅をついて、首を下げた。

 俺はといえば、アイテムボックスからポーションを5つほどだし、キュポンと蓋を取る。

 ドバドバと彼女の背中にドロリとしたポーションを垂らし、様子を窺う。


「回復しているようには見えるけど、残りもかけてみるか」

「必要ないわ。綺麗に斬れているみたいよ。全然痛くないわよ」

「悪く思うなよ。そっちは俺を殺す気で来たんだろ」

「私、術を組む速さには誰にも負けたことないわ。完敗よ……」

「街から手を引け」

「あはは。蜘蛛の脚を失った私に侵攻する力なんて残ってないわよ」


 首を振って立ち上がるアリアドネに悲壮感はない。

 本心は煮えくり返っているだろうに、表面上は明るく振舞っているように見える。

 やれやれとワザとらしくふらりとした足元を杖で支えるアリアドネは、俺が考えている以上にしたたかなのかもしれない。

 杖を持ったまま立ち去ろうとする彼女を止める気はなかった。

 街に蜘蛛をけしかける力が残ってないし、侵攻する気もないというだけで十分だ。彼女は自分の蜘蛛の脚という代償を支払ったよな。

 だから、杖まではもういいや。

 

「いえ、まだです」


 俺の得意のセリフでこの場に待ったをかけたのはベルヴァだった。


「な、なんだってえー」


 とりあえずお約束を返しておいたのだが、当然ベルヴァには伝わらない。

 きょとんとされてしまった。恥ずかしさで頬が熱くなってしまった……。

 

「あ、あの」

「いや。気にせず、思ったことを喋って欲しい」

「はい。ヨシタツ様は転移の術を蒼竜様に使用させるために秘宝を探していらっしゃったのですよね」

「うん。でも、杖はもういいかなって思ってさ」

「お優しいヨシタツ様なら、そう考えていらっしゃると思いました。ですが、このままアリアドネ様を行かせてよいのでしょうか?」


 ん、特にもう用事はない。悪さが出来なくなったんだから解放してもいいよな?

 チクチクする駄竜の背中が脛に当たる。

 おや、何か重大なことが抜け落ちているような……。

 そうだ! そうだった! 思慮深い俺としたことが、こんな基本的なことを見逃していたなんて。

 

 そんなわけで背を向けているアリアドネを呼び止める。

 

「アリアドネ。一つ聞かせてもらえるか?」

「杖が必要かってこと?」

「杖はもう置いていけなんて言わないから安心して欲しい。聞きたいのは別のことだ」

「何かしら」


 ここで一呼吸置くと、彼女は体をこちらに向けた。

 彼女としても俺が何を聞いてくるのか興が乗ったのかもしれない。

 

「別の世界から誰かを引っ張って来る転移術とか転移魔法って知っているか?」

「随分力任せな術ね」

「その術を使えるのか?」

「今は難しいかしら。術式は多分構築できると思うわ。だけど、力が足りない」

「それって、蜘蛛の脚が無いから?」

「蜘蛛の脚があっても魔力だけが足りるようになるだけよ。別の世界から引っ張るパワーが必要よ。あなたの力なら十分だと思うけど?」

「その転移術か転移魔法を使いたくてさ。都合のいい秘宝を求めてたんだよ」

「それで杖を置いていけと。だけど、あなた。魔力がまるでないわ。一人じゃ難しいんじゃないのかしら」


 そういった彼女は口が頬まで裂け、ギギギと音を出す。

 あの音、口からも出せたんだ。

 ドスン。

 彼女の背から残った蜘蛛の脚の根元がボトリと落ちた。

 

「今のファフサラスじゃパワー不足よ。魔力も今の私より少ないくらいね」

『何を。衰えたとはいえ、我は邪蒼竜ファフサラスだぞ』

「えっと。転移術のために一緒について来てくれるってこと?」


 話がややこしくなる駄竜を掴み後ろにポイっと投げながら、アリアドネに問いかける。

 

「興が乗ったわ。それに、あなただって私から目を離さない方が安心でしょ?」

「もう侵攻する力はないと言っていたから安心していたけど」

「あなた、どれだけお人好しなのよ。初手で私の蜘蛛の脚を切り落とした人と同じだとは思えないわ。自切もできるのよ、蜘蛛の脚は」

「ん。また生えてくるってこと?」


 ニヤアと嫌な笑顔を浮かべた彼女はギギギと音を出す。

 「完全に元に戻るまでには10年ほどかかるけどね」と言って片目を閉じる彼女なのであった。

 

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