第16話 火の意思

「おらぁ!!」

 ブレイスは方向と共に壁に架けられてきた梯子を、それを登ってきていた相手を切り伏せて蹴り飛ばす。

 戦いはじめてから絶え間なく押し寄せる敵に休む暇もない。

 既に時間としては数刻は過ぎているだろう。ただでさえ休む暇もないというのに、連日の撃退やそれ以前のドラゴンに軽くあしらわれた時のダメージと疲労が体の動きを鈍らせる。

 それでも黄金級に相応しい精神力と状況判断能力により、ブレイスとテルミスは慣れない防衛戦に苦戦する住民たちを的確にサポートしていた。

「しかし、なんというか運がいいね」

 テルミスは敵の攻撃が弱まったところで声をかけてくる。

「もしも破城槌まで持ち出してこられていたら間違いなく、持ちこたえられてないもん」

「まあ、アチラさんも可能なら門は残しておきたいだろうしな。壊しちまったら、来ると信じてる架空の冒険者たちの襲撃までに直せるか不安があるんだろう」

「この辺の土地って、たいして建材になりそうなものもないしね」

「だが油断するなよ? 痺れを切らした敵の大将は何をしでかすか分からないからな。盗賊団じゃ軍隊同士の暗黙の了解やセオリーは通用しない」

「そんなの知ってるのはお貴族様だけですよーだ」

 なんでもない日常のような調子のテルミスに肩の力が抜けるのを感じるブレイス。

 思っていたよりも硬くなっていたらしい。

「それと、あっちは上手くいくと思う?」

「どっちだ?」

「両方」

 そうだな、とブレイスは少し考える。

「霧が切れちゃったってことは、何かがあったって事でしょ?」

「まあ大丈夫じゃねーか? さっきの変な流れ星も多分あの先生の仕業だろうし、俺たちの知らない隠し玉で無事に切り抜けているさ」

「しゃあもう片方の方は?」

「……仲間なんだから、今は信じるしかない!」

 ブレイスはそう言いながら、目の前に掛けられた梯子を蹴り倒す。

 再び攻撃が激化し始めたので会話は切り上げて、それぞれ狭い通路を走りながら劣勢の場所へ向かって加勢を行う。

 戦況はギリギリの均衡。

 そうは言っても、余裕のある相手と比べてコチラは体力的にも精神的にも厳しくなっている。なんとか連続で訪れる綱渡りを成功させているというのが正直なところだ。

「ま、悪足掻きだし当然か」

 考える事でもない自分に呟く。

 なら最後まで無事にわたり切るまで頑張ってみるか、とブレイスは駆け回るのだった。


 イーファは一人、静寂の中で意識を集中させる。

 そこは町の中心近くにある広々とした建物で、普段は村人たちが偶に行う集会の時に利用されている場所だった。土足で上がってよい決まりであるため、床には土の汚れが硬くこびり付いている。

 壁に架けられた松明の心許ない光の元で、イーファは屈みこみながら手を動かしていた。

 握られているのは小さい欠片となった白いチョーク。

 いつもなら村長が黒板へ説明のために使うそれを、今は床に対して使用していた。

 描かれているのは魔法陣である。

 中央部分は細部に至るまで繊細な幾何学的模様が描かれており、それは一種の芸術的な魅力まで感じさせるほど精巧なものだった。

 これを描いたのはイーファではない。

 時間の許すギリギリまでリオンが描いたものであり、イーファはその外側に彼が教えてくれた簡単な図形を書き足しているだけである。

 正確さが重要。そう言ったのはリオンだ。

 必要なのは細部まで描き込まれた拘りの模様じゃない。何処までも正確で精密な円と直線、その配置だけである。

 イーファは大きく息を吸って止め、一つの曲線を描き、息を吐く。そしてまた大きく息を吸って止め、今度はその曲線の中腹から外へ伸びる直線を描く。何も難しい事じゃないと自分に言い聞かせ、緊張で震える手に「止まって」と懇願する。

 何度繰り返しただろう。

 一つ一つは確かに違う線であり、しかし自分でも区別のつかなくなる単純作業の連続。

 次に描くのは直線だったか。あの場所に描くべきだったのは曲線だったのではないか。先ほど描いた小さな円は改めてみると少し歪んでいるのではないか。今まで描いた全ては震えで歪んでしまっているのではないか。

 不安が込み上げ押しつぶされそうになる。

 息が苦しくなるたびに、自分の呼吸が浅くなってきていること。そしてリオンが「大きく息を吸ってただ一本の線を引きなさい」と言っていた事を思い出し、深く吐いて改めて深呼吸をする。

 たった一度、それを行うだけで曇っていた頭が晴れ、不安は集中に覆い隠される。

「――よしっ!」

 リオンは最後の一本を描き切る。

 それはピッタリとそれまで描いて来た数々の線と合わさることで、ピッタリとパズルがハマったかのように間違いが無かった事を教えてくれた。

 額に浮かぶ汗を床にこすれて汚れた袖で拭う。

 少しくらい休憩をしてもいいか。そう思う自分を、遠くで聞こえた気のする戦いの音が戒める。

 まだ終わりじゃない。

 まだ休んでいい時は来ていない。

 そう、ここはまだ“スタートライン”でしかない。

 イーファは持って来ていた沢山のまだ火の灯っていない松明を数本持った。

 唯一の明かりであった一本を利用して、火をつけては魔法陣の決まった場所に置いて行く。本来であれば床に火が燃え移り広がっていくように思えるが、外へ向かおうとする火はまるで紋様が壁にでもなっているようで、その白い線を越えて飛び出すことは無かった。

 イーファは少しだけホッとしながら全部で八本の松明を用意する。

 全ての配置が終わると、部屋の脇に置かれていた黒い鉱物を持って戻った。

 こぶし大のそれを置く場所はリオンの描いた陣の中央。それから自分は紋様の一番外側の縁、そこに描かれた円の中に入って片膝を立てた姿勢でしゃがむ。

「ここからが本番……」

 集中する。

 料理をする時よりも、本を読んでいる時よりも、あの魔法を使っている時よりも――。

 円の縁に両手を付け魔力を注ぎ込む。

 焦ってはいけない。ゆっくりと木の葉より滴る雫で盃を満たすように、全ての陣、全ての紋、全ての線の縁の縁まで魔力を満たしていく。

 淡い光が浮かび上がる。

 それを見て、今度は込める魔力の量を増やしていく。

 徐々に光は強まり、カチリとハマるような感覚を受けて後半戦へ移行する。

 ここから先はそれまで以上の集中力を必要とする作業だ。

 まず松明を置いた小さな陣へと意識を伸ばす。全ての松明、そこから流れ出た炎に囲まれているかのような熱の錯覚を受け、暑くもない部屋の中で汗を滴らせる。荒ぶる日の中で無軌道に行き交うその力を猛省するもの、すなわち眠りより覚めたる精霊の力へ自らの意識を重ねるように伸ばしていく。

 途端、体の内に荒れ狂う業火が宿りその身を焼き尽くさんと暴れる。

 いやこれも錯覚だ。そのように感じただけだ。

 口から溢れ出す炎が喉を焼いていく感覚も、臓腑を灰すら残さず燃やされていく感覚も、頭の中身が熱でドロドロに溶けだしていく感覚も、全てはまやかしであり現実ではない。

 イーファは切れそうになった集中力を再び高め直す。

 すると次第に熱は消えて温もりだけが心の内側に残った。

 ようやく全ての準備が整い最終段階へ。

 イーファは暖かな精霊の力を陣より、その紋様を伝って中央へと誘導する。

 白い光は暖かな赤色へと塗り替えられていき、八方から中心へ滞りなく流れていく。

 真ん中に描かれた魔法陣までもが赤い光で満たされた瞬間、光は線という楔から抜け出し黒色の石へ一挙に流れ込みだした。

 堰き止められていた川が決壊するかの如き激しいさで押し寄せる力に、イーファの魔力は弾かれ同時に意識が押し出される。流れの全てを支配していた力から解放された熱は暴れながら怒涛の勢いを持って石へと押し寄せていく。

 “パキリ”

 不吉な音。

 同時に膨大な熱が一気に部屋を満たし、全てを吹き飛ばさんと暴れまわる。

 僅か一秒にも満たない時間。ギュッと目を閉じ蹲っていたイーファは、頭上に星が輝いているのを見た。

 小屋は跡形もなくなっていた。

 パチパチと日の爆ぜる音が虚しく響かせながら自分が失敗したことを告げている。

 イーファは呆けた顔でしばらく空を見ていたが、次第にその視線は下がり最後には俯いてしまった。

 ダメだった。

 才能が足りないのだ。

 無力感と徒労、自分の不甲斐なさに涙すら流れない。

 どうして、こうなってしまったのだろう。

 ドラゴンを狩りに行とブレイスが言い出した時、自分は最初は反対した。もしもあの時に、もっと強く言っていれば今は暖かな宿のベッドでぐっすりと眠っていたのかもしれない。二人の友人が危機に晒され命のやり取りをせずに済んだかもしれない。

 いや、そんなのは願望だ。

 冒険者であれば、その行動に命を賭ける瞬間が必ずどこかで来る。今回はたまたま自分たちにその手番が回ってきてしまっただけの話でしかない。

 壁がなくなったから遠くで戦う音が微かに耳に届いてくる。

 まだ諦めていないんだ。

 自分で今さっき考えたことを思い出す。

 二人の友人が今まさに危機に晒されているんだ。

 イーファは自分に自信がない。でも、自分を信じで戦っているだろう二人の気持ちに嘘はつけない。自信を持って背中を押してくれる、その笑顔は絶対に信じられる。

 立ち上がり決意の目で見まわす。

 魔法陣は健在。もとより失敗も想定していたのであろうことは、この身が五体満足で火傷一つ負っていないという事から明白。これを教えたリオンは最初から一度での成功など求めていなかった。諦めずに何度でも挑戦しろと、この魔法陣は語られる事の無かった思いを教えてくれる。

 イーファは急ぎ、同じ準備をする。

 勿論、全てが同じといかない。

 予備の松明は何処かへ飛んで行ってしまったし、衝撃で多くの石は砕けて使い物にならなくなっていた。その中でイーファは、先ほどのよりは一回り小さいながらも使えると直感したものをいくつか拾い上げる。

 かつて、この町が栄えていたころに集められた精霊石の元となる石。

 残されていたものは不純物が比較的多く質の悪いものだけだったが、今はそれで十分だ。

 石を置き、燃えている小屋の残骸を集めて八ヵ所へ置く。

 手順は先ほどと同じだ。

 魔力で満たし、強め、火の中へ意識を伸ばし、精霊の力を中央へ送って集約させる。

 赤々とした線を通り精霊の力は出口へ狂乱しながら殺到する。

 先ほどは弾き飛ばされた流れ。

 イーファは魔力の流れをコントロールする。

 荒れ狂う流れを無理に堰き止められるほどの力は自分にはない。だから、やり方を変えるのだ。

 流れに逆らわず、魔力を添わせるようにして徐々に動きを支配するのだ。

 八方全てに対して同じように、魔力を流れに沿わせ、暴れ乱れる力を宥めすかし一本の清流へとまとめ上げていく。

 許容量を超える酷使に脳が悲鳴を当て、血管が限界を超えて鼻から血が流れだす。

 ポタリ、ポタリ、ポタリ――。

 しかしイーファはそんな自分の状態には気がつかない。

 それほどまでに集中は深く、意識は今、精霊の力と共にあった。

 永遠とも思える数秒の時間を乗り越え光は唐突に消える。

 後に残ったのは煌々と赤い光を宿す石。

「やった……」

 温もりを宿したそれを手に取り、イーファは込み上げる喜びに涙が溢れてくる。

「できたんだ!」

 こんな自分にも、嬉しくて仕方がなくはしゃぐようにに飛び跳ねた。

 しかし、直ぐに我に返る。

 そして振り返って見た先は使えると判断したいくつかの黒い石、自分の番を待つその姿。

 脳が悲鳴を上げている。二度目は耐えられないと。

 イーファは迷いなく歩き一つの石を拾い上げた。

 その瞳に確固たる決意を込め、再び精巧に作られた紋様へ、その中心に描かれた魔法陣へ向かった。

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