第3話 ドラゴンの噂

 果たして本当にあれでよかったのか、そう後悔の念が押し寄せてくるが首を振って思考を切る。取りあえず、あの光景を他の誰にも見られなかったのは幸運だったと考えるようにしよう。

 溜息と共に止まっていた足を進める。

 確認も兼ねて一通り教員たちへの挨拶を終えた頃には、だいぶ太陽が高くなっていた。

 おかげでひっそりと立ち去る予定が、すれ違う担当の生徒たちに休職した事と理由をいちいち説明することになってしまった。

 なんとか一つ目の講義が始まる時間には校舎と敷地を抜け、無駄に凝った装飾の巨大な門をくぐりようやく外の世界へと足を踏み出す。

「はあ……」

 久しぶりのフィールドワークだというのに、始まる前から溜まりに溜まった心労で眩暈を覚える。

 雑踏すさまじい街道は右も左も人、人、人、と川のような流れを作って忙しない。屈強な男たちが一つの流れを作れば、それにあやかろうとする人がどっと集まって詰まったように停滞し、一方で年寄りたちは慣れた様子で幽霊のように上手く間をすり抜けていく。

 こういう人混みに慣れていないリオンは、今の体力で中に入る勇気は無かった。

 なので、取り敢えずは一息つくことに決めた。

 人混みから少し離れた端の方を歩き、丁度良い喫茶店の一つでもないかと見て回る。

 金はそれなりにあるのだから、少しくらい無駄遣いをしても支障は無いだろうと。

 しかし、これが中々に見つからない。もしかしたら反対側にあるのではなかろうかと想像して自分の選択に後悔しつつ、諦めずに歩を進めていくと、ようやくそれらしい店の看板が視界の端に映った。

「ふぅ~」

 カランカランと音を鳴らして店に入っては適当なテーブルに腰を下ろし、大きく息を吐く。

 じんわりと額に浮かんだ汗が雑踏の熱気を物語っているように頬を伝っていった。

「いらっしゃいませ~」

 やや伸びのある口調、顔を向けると「わ、イケメン」などと嬉しそうな声を上げる若い獣人族と思しき女性。頭頂部よりぴょこんと立った特徴的な耳がピコピコと動いている。

「おっと、申し訳ない。それでお兄さんは何をご注文?」

 慌てて手元の注文票に目を通し、ニッコリ笑顔で待つ店員へ紅茶のセットを一つ頼む。

 「かしこまり~」と背を向けて奥へ消えていく姿を見送り、改めて体の力を抜いて窓から外の景色を眺める。

 ボウっと眺めつつも、半ば職業病的に何か傾向の一つでもないかと考えてしまう。

 そうして気がついたのは、比率として屈強な体格の者や武具を携えた者たちが多いという事だ。彼らの纏う雰囲気は騎士や傭兵のようなものでは無いが、それでも戦士が持つ独特な気迫というのがあるように感じる。

「ほんと、この人混みってばイヤになっちゃうよね~」

 唐突な声に振り返ると、先ほどの店員がトレイをテーブルに乗せていた。

 紅茶のポットとカップ、それに程よい大きさの小さなケーキが一つ皿の上に乗っていた。

 しかしリオンが気になったのは店員の言葉の方だ。

「いつもはこうじゃないのですか?」

「おや、お兄さんもしかして“お上りさん”? この変でドラゴンが出たって事で冒険者やら偉い騎士さまやらが集まってきているんだよ~」

「ドラゴン? ドラゴンって、あのドラゴンですか?」

 そうそう、と店員は頷く。

「いつもはもう少し、うちも人が入るんだけどね。今はオシャレとは無縁で昼間っからお酒をあおるようなのがわんさか。おかげで常連さんは怖がってこれないの。それでこのざまさ。」

 ばばーん、と口で言いつつ両手を広げ閑散とした店を見せびらかす。

 たしかに言われてみれば、今いる客はリオンのみだった。

「しかし、このあたりにドラゴンが出るなんて不思議ですね」

「そうだね~、最後にドラゴンが出たのって100年以上も前だからね~」

「いえ、そうではなくドラゴンが住処に出来る山が無いんです」

「山?」

「ドラゴンは精霊と獣の中間にある存在。海は遠いから恐らくは火竜の類だとは思うのですが、そう考えてもやはりオカシイ。この辺りの山はみんな既に熱を失っていますから、ドラゴンにとっては命を削られるような環境と言ってもいいんです……あ、すみません」

 つい早口で説明を行ってしまい、店員はポカンと目を真ん丸にしてしまった。

 ここは学院ではないし彼女は生徒でもない。こんな話は迷惑でしか無いだろうに。

 しかし、そんな苦い気持ちとは裏腹に店員の反応は好意的なものだった。

「ほえ~、これはもしかしてお兄さん学者さんか何か? どうりで知的そうな目をしていると思ったよ」

「えっと、そうですね。一応はリベリオ王立魔法学院の教師なので学者でもあります」

「リベリオ?」

「はい」

「あのリベリオ?」

「そうですが――」

「マジで! あそこの人ってあの門から外に出られないんじゃないの?!」

 もはや叫びと呼んでよい声量で店員は驚愕の気持ちを表す。

 確かに門の外に教員や生徒が出ることは基本的にない。出るとしても別な門から、ごく一部のフィールドワークを“外”で行うときぐらい。こちらのような町に出る者がいたなど聞いたことが無い。

 それも全ては、学院におおよそ何でもあるのが原因だろう。

 飲食店、衣類店、雑貨店、教師陣お手製の薬の販売、トレーニングには専用の広大な敷地と豊富な設備が完備してあり、図書類など王国で一番の蔵書量を誇るとまで言われている。娯楽に関しても、あまり不健全なものでなければ大概存在しており、わざわざ外に出てきてまで何かを求めるという必要が無いのだ。

 リオン自身も何年と敷地から出ていなかった事を思い、改めて学院の凄さを実感する。

「おっと、失礼失礼。そんな偉い学者さまが、こんな三流の店に来るとはおもわなくて。でも、さっきの話はおばあちゃんの言ってた事と少し似てるから納得」

「それはどんな?」

「んっと、“この辺のお山さんは皆眠っちまっているんだ、だから火に生きるドラゴンたちはこの辺に来ないのさ”って感じの話かな~」

 わざわざ声を変えてお婆さんの真似をしながら店員は答えてくれる。

 確かに内容は同じようなものだが、何か少し自分の知っている知識と比較して引っ掛かるところがあるように感じた。

 しかしそれが何かといわれるとハッキリ言えないので、一度思考を切ることにする。

「山が噴火したって話しも聞かないし。風来坊のドラゴンさんなのかな~」

「確かに、そういうドラゴンもいると聞きますね」

 え、と自分で言っておいて驚いた様子の店員。

「専門的に研究しているわけではないので、軽く文献で呼んだことがある程度ですけれど。曰く、世界に流れる風のように、或いは大地をあまねく照らす太陽のように、ある種のドラゴンたちは理の外――この理はドラゴンの性質だと解釈されています――へ飛び出して真なる自由を得ているという話です」

「なんか詩人の話に出てきそうな内容だね~」

 じっさい、今の時代においてはそんなものだろうとリオンは考えている。

 興味本位で専門としている同僚に尋ねた事はあるが、現時点で存在を証明する物理および理論的な証拠は一つも上がっていないとのことで、太古の昔においてはあるいは存在したかもしれないという半ばロマンのような存在であるとの答えが返って来た。

 またそのドラゴンの記述を持つ複数の文献でも、結局のところドラゴンに関しては酷く抽象的な記述ばかりであるため、何かの揶揄ではないかとの意見もある。

 都合よく解釈したとしても、痕跡も残らないほどの大昔の存在なのであれば現代においては民話や伝承と変わらない。つまりは、空想の産物と同等に扱っても学術的、理論的な不都合はないというわけだ。

「あるいは、はぐれ物というのもドラゴンにあります。この辺りでの出没ならその類と見るのが一番しっくりきますね」

「あ、それ知ってる。一匹狼みたいなやつでしょ? 孤高を気取ったはいいけど仲間たちから追い出されて山とかにいられなくなったタイプ。昔、おばあちゃんに教わったなぁ。『そいつがいたら死んでも仕留めろ。これ以上に美味しい獲物はいないぞ!』て。ほんとスパルタだよね~」

「そのお婆さんはなんというか……とても豪快な方なんですね」

 ドラゴンと言えば世間一般としては災害に匹敵する脅威だ。

 勿論、固体や種族による強さの格差はすさまじく、ワイバーンなどは使役までされてしまっているわけだが、“はぐれ”などは相応の知性と能力を持っている種にのみ起きる現象。そういった存在を『美味しい得物』と断言してしまうとは、よほどの実力者なのだろう。

「そりゃあもう、冒険者たちの間では有名だよ~。“鬼婆バイル”なんて二つ名まで貰っちゃうくらいには……あ、あー、言いすぎだ」

 それまで上機嫌で話していた店員が唐突に口を止め、笑みに気まずさが滲む。

 しかしリオンは冒険者ではない。なので、いったいその二つ名にどのような意味と価値があるのかはサッパリ分からなかった。

 そしてポカンとするリオンを見て、店員は直ぐに「わすれて!」と付け加える。

 別に詮索する気も無いのでリオンは不思議に思いながらも頷いた。

 それからは一向に客が入らない事で退屈な店員――カーネリアンという名前らしい――と、適当にお喋りを延々と行った。

「さて、ではそろそろ出発する事にします」

「出発という事は、外の何処かに行く感じ?」

「東の湖の方に知り合いがいるので、顔を出しておこうかと思いまして」

「そっかそっか~。でも湖っていうと結構遠いよね。徒歩だと大変じゃない?」

 確かにカーネリアンのいう通り、東の湖ことロスアイシア湖はものの二、三日で辿り着けるような近場ではない。普通なら馬を借りて向かうところだが、馬を貸してくれるところは既に冒険者たちで溢れているだろうから、よほどの運に恵まれていなければ借りられないだろう。

「えっと、まあ、何とかなりますよ」

「あ、これは何も考えていなかったな? よしよし、それじゃあこんな日にうちに寄ってくれた一人のお客様のために一肌脱ごうじゃないか~」

 そう言ってトタトタと奥へと引っ込むカーネリアン。

 戻って来た時に手に持っていたのは首にかけられるよう紐の着いた小さな笛だった。

「コイツを外で人吹きすれば、うちの飼ってる馬が何処へでも駆け付けてくれるよ。特別に貸してあげる~」

「そんな悪いですよ。そもそも何処へでも駆け付けるって、それ本当に馬ですか?」

「馬だよ~。ちゃんとした馬……のはず」

「なんだか一気に不安になったんですけど」

 話を聞く限り何やら一部の者たちが喉から手が出るほど欲しがりそうな道具に見える。

 そんな貴重なものを借りるのは気が引けるし、紛失などしてしまったらと考えると恐ろしい。

 正直にその気持ちを伝えたときのカーネリアンの返答は、

「あ、別に無くしても平気だよ~。おばあちゃんが一つ怒鳴れば笛と一緒に慌てて戻ってくるから。さっきの秘密の件もあるし~、それに渡しておけば無くそうが何だろうが必ずうちの店にまた来なきゃいけなくなるでしょ?」

 というものだった。

 未来への投資なのだ、とカーネリアンは得意げな笑みを作って笛を押し付ける。

 少しは両手でそれを押し返そうと試みたが、その細身の体からは想像もつかない圧倒的な力を前にして遂に諦め、リオンは渋々受け取ってしまった。

「アイツ、最近怠けすぎて運動不足だから、こき使ってやって~」

「はあ、まあ善処します」

 それではお会計、と提示された値段は大銀貨一枚と非常にリーズナブル。

 ケーキの味も紅茶の質も悪くなかったので、休職期間が過ぎても偶には立ち寄っていいかもしれない。

 そう思いながらリオンは来た時と同じように、カランカランと扉の音を立てて出ていった。

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