第21話「天城さんは乙女だ」

 宴会場は静けさに包まれ、酔いつぶれた仙田と足立さんだけが転がっていた。


 女子陣や伊那谷さんは恐らく部屋に移動したのだろう。どう解散したかは酩酊していた故にはっきり覚えていない。


 彼らの始末は後でするとして、僕は余韻を味わうべく、飽き足らず瓶ビールとグラスを持って宴会場前の縁側で外に足を出して一人座っていた。


 古池が広がった庭を見物でき、水面にある虚像の月は脇の草木をも蠱惑的に映えさせる輝きを放っていた。


 僕は夜風に当たりながら、手酌したビールに口をつける。


 外界の空気を肌で感じ、また一人の時間を過ごしていることもあり、ほろ酔いの域までに落ちつくことができた。


 本当ならアルコールによって命を奪われた己にアルコール禁止令を発令しなければならないが、かなしきかな、こいつ無しで生きている自分なんて想像できない。


 僕が一人で物思いにふけっていると、後ろから何者かに「わっ!」と驚かされ、口に含んでいた液体を吐き出してしまった。


 振り向くと、そこには天城さんがいた。


「あっきーお酒口に入れてたの?ごめんごめん!」


 天城さんは軽く謝り、宴会場から自分用のグラスを持ち出してきて僕の横に座ってきた。


 僕は紳士的で先輩想いなので、さり気なく彼女のグラスにお酒を注ぐ。


「天城さんはあまり酔ってなさそうですね」


「これでも飲み会のときはめちゃくちゃ酔ってたよ。今はマシだけど」


 そう言って天城さんは注がれたグラスに一口つける。


 そして僕は、宴会場での彼女の想い人発言を反芻し、居たたまれなく感じる。


 あれはきっと僕のことだろう。鋭敏な感性の持ち主で定評がある僕がそう思うのだから間違いない。


 そう結論付けると気恥ずかしくて天城さんの顔へ目をやることはできない。


 陰キャな僕は、好いてくれているかもしれない女性の前で平然と構えることができないのだ。


 僕は敢えてビールを飲み続け、口に含んでいるがために話すことができないという大義名分を得ることに尽力した。


 そんな僕なんてお構いなしに天城さんは縁側から見える星空を眺めながら口を開く。


「もしかしたらあっきーがまだ宴会場にいるかなーと思って戻ってきたんだ」


 何気なしに僕を弄んでくれるな。口に含んだビールを強引に胃へと流し込む。


「僕をご所望だったんですね」


「うん、ご所望だった」


 僕がいつもの冗談で発した言葉を、天城さんは冗談で塗り替えてくれなかった。


 宴会場から放たれる照明は僕たちの後ろを照らしてくれるだけで、彼女の色艶は月光による輝きでしか窺えなかったが、透き通るような肌に淡紅色が混じっているようだった。


 どうしたものか、僕は思案し、折角なのだから余韻を共有しようと考えた。


「今日の飲み会も荒れに荒れていましたね」


「まり姉と仙田くんが化学反応を起こした感じだね」


「そして、蓬川さんが誘発して…」


「愛子ちゃんにあんな顔があるって知らなかったな。あの子も大変なんだろうね」


「ああなったのも仙田が悪いんですよ。仙田は失敗から学ばない愚鈍だったということです」


「まあまあ、あたしのせいでもあるし」


 天城さんはそう言うと口を噤んだ。


 そのまま静かな時間が流れる。


 彼女は蓬川さん暴走について自責の念に駆られているやもしれない。本当は僕が仙田に些かなりとも助力したことで、何がどうなってかは知らないが、イレギュラーが発生したのだ。元凶を追求するならばきっと僕になる。


 そう考えると、僕は多方面に謝罪せねばならない。仮面を脱ぎ捨てざるを得ない状況になった蓬川さん、マントル越えて地球の内核まで消沈してしまった仙田にも、だ。


 そもそも、僕が仙田に肩入れすることがどう分岐するかに関わらず、淘汰的に見守るべきだったのではないか。人の恋路はその人が活路を切り拓くことに意味があり、蚊帳の外にいる僕が介入するのは無粋極まりなかったのかもしれない。


 その結果が、形はどうであれ、災いとなって至るところに飛び火したのだ。


 反省するのであれば自分よ、時間遡行してやり直せば良いではないか。


 しかし、天城さんと良い雰囲気になっていることに味をしめている僕がいる。


 僕がしたことをなかったことにすれば天城さんの好意を享受できない。


 やはり、僕は最低の人間だ。


 せめて、目の前にいる天城さんには謝りたい。


「天城さん、仙田云々に関して余計なことをして申し訳ございませんでした」


 僕は天城さんの方に向き直り、最敬礼の角度以上に深々と頭を下げた。


 彼女は大真面目に謝りだした僕を見て当惑した。


「え!? 変に改まっちゃってどうしたの!?」


「いえ、第三者が当事者の恋心などつゆ知らず。介入すべきではなかったのです。僕が余計なことをしてしまったばかりに、不快な思いをさせてしまったのではないかと思いまして」


「そんな、良いんだよ別に! あっきーは仙田くんのことを思ってしたんでしょ」


「天城さんの気持ちなんて考えてませんでしたから」


 そう言い放つと、彼女は口を閉ざして俯いてしまった。


 僕はあまりにも直球で言いすぎたことに内省した。


 少々重苦しい空気を作ったかもしれないので、話題を少し変えることにした。


「でも仙田はああ見えて本当に良い奴なんですよ。厄介ごとをよく引き起こすけど根は優しい奴で、羽目を外してしまうだけなんです」


「もう何年も一緒に過ごしてきたみたいな言い草だね」


 天城さんは俯いたまま的確な突っ込みをしてきた。


「い、いや、まだ会って一か月も満たないですが」


 思わずボロを出してしまった僕は、変に取り繕った。


 僕は、気の利いた会話が思い浮ばず、外の方に向き直って自分のグラスに注ごうと瓶を傾けるも既に空になっており、この間をどうしたものかと考えあぐねた。


「ねぇ、あのさ」


 ボソッと天城さんが言う。


「はい?」


 僕は平然とした面構えを意識して彼女の方を見ずに応答する。


「あたしって…ちゃんと女の子できてるかな?」


 乙女と意識させる儚げな声で、純粋で慮外な疑問が投げかけられた。


「き、急に何ですか!?」


 僕は先程の平然さなど忘れて当惑した。


 また、僕の驚きに同調するかのように背後で物音が聞こえた気がした。


 しかし、天城さんは物ともせずに続けて言う。


「ちょっとした疑問。あたしってどう見えるのかなーって。あっきーの観察眼ではどう見える?」


 その言葉からは、普段の姉御的なキャラとは真逆の未成熟な女子を連想させた。


 いつも通りの天城さんであれば冗談で返してやりたかったが、風流な雰囲気と彼女の内面に触れた心地とが相まって紳士的に返すのが流儀だと考えた。


「…女の子ですよ」


 僕は、その八文字に全身全霊を捧げた。


 その言葉を発したとき、僕が天城さんを女の子として見ていて、不遜ながらも彼女を隅々まで味わってやりたいという欲望を持っていることに自覚した。


 天城さんは僕の返答を聞くと、俯いていた顔を上げて綻ばせる。


「…そ、そう?良かった! ふふっ、そっかあー。あたしもちゃんと女の子だったかー」


 天城さんは安堵した様子を見せ、いつも通りの彼女に戻った。


「ただ、たまに自分のペースで僕を巻き込んできますが」


 僕も調子を戻し、減らず口を叩いた。


「もう!ここは褒めて終わりで良かったんだよ!」


 天城さんは僕を小突き、お互いに些かながら笑いあった。


 彼女のその笑みは虚像ではなく、等身大のように感じられ、僕の胸の蟠りに答えを与えてくれた気がした。


「…女の子かあ…」


 そう呟く天城さんの面様からは蠱惑的な乙女の火照りを垣間見ることができた。

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