64.朝倉さんと不安なこと
「ふわぁ……おはよぉ……」
「……ん、おはよう」
「眠そうだね。もしかして、また寝れてないの?」
「まあ」
やっぱり腕の中に玲奈がいるということに慣れなくて、目を閉じても一向に眠気を感じなかった。二日連続でろくに寝れないと、さすがに少しだるい。
「じゃあ、わたしは早いうちに帰ろうかな」
「えっ、なんで」
「わたしがいたら君が寝れないでしょうが。わたしが帰ったらゆっくり寝なよ」
玲奈はなんともなく寝れているのが少し悔しい。俺ばかり意識させられているようで、もやもやしてしまう。
「ちなみにだけど」
「ん?」
「わたしはあんまり寝れなくても平気なタイプなんだよね。ショートスリーパーってわけでもないけど」
「……つまり?」
「……わたしもそんなに寝れてないって話。別に、意識してるのは君だけじゃないってこと」
ほんのりと頬を赤らめて言った玲奈は、恥ずかしそうに話を変える。
「あー! やっぱり眠い早く帰るね!」
「えっ……帰っちゃうんですか?」
唐突に現れた声に、玲奈は驚いてびくりと肩を震わせる。
「朝ごはん、作っちゃったんですけど……兄さん、目玉焼き二人分食べる?」
「いや、朝からそんなには……」
「……わ、わかったよ。朝ごはん、ありがとね美希ちゃん」
美希には玲奈も甘いようで、朝ごはんまでは食べることになった。
「別に早く帰らないといけないわけじゃないからいいけども……」
「そんなに急がなくても、俺は大丈夫だぞ」
「……別に、君の心配してるだけってわけでもなくて。その、二日間もずっと一緒だと……おかしくなりそう」
そんなことを言いながら、玲奈はぷいっと顔を背けてしまった。
既に俺は、少しだけおかしくなってきている。もっと玲奈といたいと思ってしまっているし、一人にしたくないとも思っている。どうせ帰っても一人なのだったら、俺たちのところにいればいいと思う。
だけど、今でも眠れなかったり、緊張したりしてしまっているのだ。これ以上一緒にいることになったら、俺だっていろいろと歯止めが効かなくなるのもわかっている。だから、わがままは言えない。
美希が作ってくれた目玉焼きが置かれたテーブルを囲んで座る。俺の隣には玲奈が座って、美希は嬉しそうに玲奈の前に座った。
「美希ちゃんは素直でいいなぁ。今って、クラスの子とか反抗期じゃないの?」
「うーん……兄さんは親じゃないですし、反抗しても流されちゃいますから。それに、兄さんは自己肯定感がとっても低いので」
「あー……確かに」
二人からの視線を受けて、咄嗟に目を逸らしてしまう。玲奈に言われてから『俺なんか』という言葉はあまり使わないようにはしているが、それでも俺の自己肯定感が上がったかと言われればそんなことはない。
「兄さんが悪いとは言わないけど、兄さんはもっと自分はできるって思って欲しいんだけどなぁ」
「善処はしてる」
「誰かがもっと褒めてあげたら、もっといいと思うんですけどねぇ?」
「うぅ……美希ちゃん、ちょっと意地悪だね」
素直じゃない玲奈が褒められるかというのと俺の自己肯定感については置いておくとして、美希の反抗期については少し覚悟していたことなので、なかなか来ないどころか来る気配もないので美希が少し心配にもなる。
「あとは、いつまで一緒にいられるのかわからない兄さんにくだらないことで反抗するくらいなら、少しでも笑っていたいなって」
「えっと……それって、いつか死んじゃう日が来るからってこと?」
「そんな先の事じゃないです。いつか、例えば兄さんと玲奈さんが結婚して家を出ていったら。兄さんが遠い大学に行くから一人暮らしすることになったら。そんな日が来るから、少しでも兄さんと笑っていたいんです」
「……そっか」
浮かない顔になってしまった玲奈に、美希は笑って言う。
「だから、逆に。これから先も長くなる玲奈さんはもっと兄さんと喧嘩とかしてもいいと思います」
「あははっ、そうだね!」
笑顔になった玲奈だったが、それからも少しだけ浮かない顔をしていた。
朝食を食べて、服を着替えて。美希に見送られながら家を出る。玲奈の完璧な笑顔のおかけで、美希も楽しそうな笑顔のまま別れることができた。
「……で」
「ん? なに?」
「なんでそんな顔してんの」
「……んー、君にはだんだんわたしを隠せなくなってきたなぁ」
悔しそうに笑う玲奈。その表情は若干暗い。
「美希ちゃんはちゃんといろいろ考えているんだなぁ、って」
「あんなこと言ってるけど、結局は無駄に喧嘩したくないだけなんだよ。それでも、ああいう考えは好きだけど」
「うん、そうだよね」
俺の意見も聞いて、またにっこりと笑う。だけどまだ少し寂しそうにも悲しそうにも見える表情をしている。
気になった。そんな表情を、あまり見ていたくはないから。だけど無理に聞いていいものかもわからない上に、それを俺に聞いてほしいのかもわからない。そんなことを考えていたら、玲奈はゆっくりと口を開いた。
「……美希ちゃんはさ、これからわたしと悠斗がずっといるって言ってくれたじゃん?」
「そうだな。それっぽい言い方だった」
「でもさ、わたしたちは高校生で、たかが高校生にそんな先のことは決められなくて。今はさ、わたしも……その、悠斗のことがすっごく好きで。でもそれがいつまでそうなのかなって思ったら寂しくなったし、なにより今ですらずっと一緒だーって思えないのが嫌だった」
少し未来のことを美希は話した。だけど俺も玲奈もそんなに未来は見えていなくて、今はただ付き合っているという関係に満足している。
「でも、それでいいと思うんだ」
「というと?」
「正直な話、美希の例え話はちょっと幼いと思う。結婚だのなんだのは、その辺の重さとかが理解できてから考えることで。だから俺たちがそれを考える必要はないと思うよ」
「……なら尚更、いつ別れても……」
「でも、少なくとも。俺は今、玲奈を愛してるって言える」
不安なことはたくさんある。付き合い始めてだいたい一ヶ月ほどだ、まだわからないこともたくさんある。玲奈のこと、恋人の距離、新学期になったときのクラスメイトの目。わからないことだらけだ。
だから、せめて自分たちの気持ちくらいはしっかり持っておきたい。
「……うん、そうだね!」
またにっこりと笑った玲奈。その瞳は、先程までと違ってどこか晴れやかなものだった。
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