ベル・ショック――地下のペテン師と痛まない少女

市川ノア

第1話 引きこもりペテン師

 ◯

 雷の町・鈴和すずわ

 そう呼ばれはじめたのは、ある奇妙な現象が現れてからだった。

 いつもは真夜中、雨が降るか否かに関わらず、稲妻が突如に空を照らして躍り狂い、町中の数えきれない鈴もそれに呼応したように震え始め、鳴り響く。

 この町において、鈴は幸運を招き寄せるものという言い伝えがあったが故、各色の鈴を門前に飾るのがここの風習となり、綺麗な風景にもなっていた。

 しかし皮肉なことに、それらが同時に震え始めることはおおよそ、悪いことの兆しである。

 さらに稲妻が閃いたり蓄えたり、やがて溜まった怒りが一斉に鳴り出すように、夜の静けさを打ち破ったその瞬間、住民のみんなはそろそろ気付く。

 また雷が落ちて来た。

 住人たちはその現象をこう呼ぶ――ベル・ショック。


 〇

「あの……実は僕、隣町のジャーナリストです。ちょっといいですか?」

 散歩中に、声をかけられた。

 はやくも自己紹介してくれたことには感謝だが、俺にとっちゃジャーナリストはあまり良い響きじゃない。

 人と関わりたくないけど、平和な生活が脅かされるのがもっと嫌いだ。隣町のジャーナリストがここに来るとは一体何のためか聞いてみる必要がある。

「ベルショックについて、お尋ねしたいんですが、何かご存知でしょうか?」

 またそれか……。

 それを聞いてほっとした部分はあるが、不安も少し湧いてきた。噂がこんなにも広がっているのなら、検証しに来る物好きはますます増えていくだろう。

「ベルショックか……確かに聞いたことあるような気が……」

 俺は必死に考えているふりをしてボケる。今回も同じ演技とセリフで対応するつもりだった。

「ご存知ですね!本当に雷が落ちたんでしょうか?しかししょっちゅう落ちてるのであれば、被害はゼロっていうのも不思議ですね。そこはやはり裏事情とかあるのでしょうか?」

「あっははは。デタラメだからな。そんなの信じちゃダメだよ。ただの作り話。ここ旅行都市だよ。でも近年旅行者がなかなか来ないから、そんな人の興味を引けそうなストーリーを作れば旅人が来て経済も回るっていう安直な発想だったよ。ちょっと考えればわかるはずだろ?」

 この正論を並べると、90%の人間が納得しておとなしく退散する。しかし残念ながら、こいつはその残りの10%だった。

「ええ。確かに僕も最初そう思っていました。しかし写真とかの証拠もあって……無視できないって言うか……どうか、知ってることだけ教えて頂けませんか?」

 執拗に俺から何かを聞き出そうとする彼にイライラする。これが有名人に付きまとうジャーナリストという生き物なのか。恐ろしい。

「しかしじゃない!そんなつまらないことより、もっと面白いネタがあるんだ!」

「?……はぁあーー」

 俺の意味不明な言葉に、自称ジャーナリストさんは戸惑っているようだ。やっぱり俺はアドリブが弱い。用意された部分しかうまく演じられない。でもここでやつを食い止めないと……。

 ベルショックの秘密は決してバレてはいけない。

「まあ聞け。あるボードゲームクラブの連中十数人が行方不明となった事件とか聞いたことあるだろう。なんと、消えたメンバーの中に、あの来栖くるす社長の令息もいたという噂がある。彼は未だに息子の姿を見つけられず、全国の傘下企業を動員して探している最中だと聞く」

「え?くっくるす社長!あのデイライトの!?それは確かに大事件ですね!」

 それで良し!と思いきや、彼の興奮は長く続かなかった。

 何か重要なことに気づいたように彼が興奮の気持ちを抑えた。

「あーでも僕はやはりそんな事件よりこの奇妙な現象の真相にたどり着きたいです。もう企画書出しましたからですね。ぜひベルショックについて教えて欲しいです!」

 とっておきのビッグニュースを投げ出して、上手く話題を変えてベルショックのことに手を出させずに説得できたと思った途端、そのしつこいジャーナリストさんがまた嫌な方向に戻そうとする。

 そうとなれば、やるしかないな。

「いや……果たしてそうなんだろうか?」

 俺の突拍子のない質問に対し、彼の顔に疑惑の色が浮かぶ。

「というと?」

「普通はね。がこの街において屈指の有名人だから、彼に関するニュースをにするべきだ。それが一般人のというものだ。違うか?」

 如何にも紛れのない事実を語るように、彼を説得、いえ、言いつける。論破ではなく、シンプルに、明確に、矛盾が出ないような言い方で彼に伝える。

 そして間も無く彼は納得した。

「そうね。常識だよ……優先するべきなんだよ……」

 疑惑の顔が一変して、何かを掴んだように明るくなった。

「やっぱりそうですね。忘れるところでした」

 彼が頷いて、ノートブックを鞄から取り出すと、俺は補足する。

「ベルショックという真偽知らずの噂より、来栖社長の息子の所在を突き止めれば、全国をも震撼させられる記事が書けるだろう。そしてジャーナリストとしてのあんたも、一躍してトップに」

「おお!ありがたいお言葉です!でも来栖社長の令息かぁ……確かIT領域で人気を募った若き天才だそうですね」

「だろう?だから見当が全くないでもない。彼の力を欲しがる企業、あるいは組織の動向を確認したら?」

「企業……組織……!」

 何かに気づいたように彼は目を輝かせ、感謝の気持ちが溢れ出るように伝わって来る。

「本当にありがとうございました!今調べてみます!」

 ジャーナリストの早足は噂通りだ。その行動力だけは脱帽しなければならないね。彼の去りを見送りながら、俺は反省に陥る。

 反省するのは、自分の運の悪さだ。

 今週は30分しか街を歩いていないのに、それでもジャーナリストに会えたなんて……。

 そのせいで、今日も仕方なく「催眠」を使った。

 え!?催眠って?って思うかもしれないが……一言で言うと、キーワードを脳裏に叩き込んで、思考を変えることだ。

 すくなくとも俺の催眠がそういう簡単な仕組みだ。

 人は通常、自分の意思に背くことを受け入れる時に拒絶反応を見せる。でも無意識に叩き込まれた知識が常識として固定化にされると、それを拒絶どころか、当たり前のようにそれに基づく行動と思考を行う。洗脳というのがそれの実用例だ。

 恥だと思うこと、厭悪感を覚えること、ポリシーに反すること、それらがある手段で強制的に植え付けられたら、人はどうなるか?

 実は――なんにも起きない。人は平気でそれを受け止める。脳は勝手に嘘をついたり、物語を作ったりして、ロジックが通らないはずの話を通るように補完する。

 そう。さっきの彼のように。

 別に頭がぼんやりしたり、目が虚ろになったりはしない。彼は一般人のように振る舞い、思考し、自分自身の論理思考に囚われ続ける。

 ところで、人の思考を変えるような力だ。これだけ強い力を引き換えに、払うべき代償はどうなんだろう?

 実際のところ、何の後遺症もない。強いて言うなら、施術者の俺も知らずに思考を変えられたことだ。

 死を恐れる臆病な引きこもりになった。


 ○

 裏道のドアを潜ると、俺は家についた。

 今週は一回しか出てないのに、出てすぐ他所のジャーナリストに会ったとは、この不快感を誰かで晴らさないと。

「今日もジャーナリストに出会したぞ、来栖君。お前目当てじゃなかったけど、お前目当てにした」

「僕は感謝すべきなんでしょうかね」

 来栖君の返事が遠くて儚い。俺のいたずらを全く気にしないようだった。

 これはつまらない返事だな。

 ドアに鍵をかけてから、電気をつける。

 そして目に映るのは俺の地下の楽園。いや、王国と呼んでも良いか。

 サッカー場ほどの広さで、ソファーとベッドみたいな家具以外に、ありとあらゆる電気製品が不規則に並べられ、ざっと数えたら30台以上だ。それらの黒いケーブルも当然絡まりあって、不注意に躓くのはしょっちゅうのことだ。広さが故に、なるべく間を取って家具や電気製品を並べた結果がこれだ。

 例えばソファーでドラマを楽しむ時に、急に飲み物が欲しくなったら、直線距離50メートルほどある冷蔵庫に行かなければならない。それはキツくてしょうがなかった。

 ちなみに俺の最高記録は往復12秒だ。

 ちなみにゆっくり歩きだったら、ドラマ中の広告時間を簡単にスキップ出来て、広告を見ずにスムーズなドラマを楽しめるんだ。すべての物事にはメリットとデメリットが同時に存在するっていう道理を俺はそこから学んだ。

 この広いサッカー場の右手の半分は永遠に電気を消さない煌びやかな仕事エリア、そして残りの左手の半分は殆ど電気を付けない薄暗い休憩エリアである。睡眠を特に重んじる俺は、左のさらに左、左の極み、左の果て、一番左の暗い場所で寝るのが好きなんだ。

 その他、これだけ広い部屋だけど、区切りの壁がないので、テレビもトイレも台所も机も漏れなく見渡せる。一応屏風は置いてあるけれど、あっても無いようなものだ。つまりプライバシーのない場所だ。

 ここで住み着くのは俺以外に、ほかに10数人がいた。みな俺が庇う国民であった。で俺は金に困らない。そこで国民としてこの家出の群れを受け入れ、この広い王国を共有した。

 唯一の条件は、なるべく静かに暮らすこと。それと買い出しと掃除と炊飯と設備のメンテナンスと代金の支払いとと漫才を練習して寝る前に披露してもらうことだけだ。

「来栖君、君が消えた途端、路上に黒服の連中もジャーナリストも一気に増えちまったな。俺の散歩に支障が出たのともかく、私服刑事が紛れ込んだりして俺が捕まったらどうすんの?お前ら路頭に迷っちまうぞ」

 家に帰るなり、雨で濡れたコートを脱がすのも忘れ、俺は来栖晃くるすあきらに文句を言い始める。

「それは申し訳ありませんでした」

 俺を見ずに、お友達とボードゲームを続けながら、適当に返事した。彼のその態度にはもはや慣れてると言えるが、さすがにムカつく。なんと言っても俺はやつの大家だぞ。いや、王様だぞ!

 でも、いいや。眠気がそろそろ我慢の限界だ。

 今日の散歩は今月分の外出力を全部消費した気がするから、彼と無意味な会話を続ける気はない。服を脱がして床に散らかし、気に入りのベッドに向かう俺だった。

 その時発話する彼だった。

「どうせ曳橋ひきはしさんが捕まるはずないでしょう。それに万が一どうしてもここで住めなくなったら、引っ越せば済むことです。あっ、その時は僕たちも連れて行ってください」

 図々しいことを堂々と言える来栖だった。そこら辺はやっぱり坊ちゃんらしい。しかし頼み事なら、せめて人の顔を見て言えよ。そのボードゲームの何がそんなに面白いんだ?いやらしい形をする棒みたいものを持ってて、テーブルに向かって目を凝らす。でも家事はちゃんとしてくれるから、それでいいか。

 それでも彼の要望に俺は応える気はない。先のことは約束できないものだ。

 ベッドへ歩けば歩くほど、俺はあることに気付いた。人間は何故二足しかないだろう。何故羽生えていないだろう。そう考えながら、俺は苦しい道を歩む。やがてベッドに行くのを諦め、近くのソファーに俯せ、目を閉じた。

「だから言ったでしょう。ここは広過ぎるって」

 どれだけ広いかと言うと、来栖君の声が反響して数回重複していた。穏やかな言い方のせいか、どこか子守唄に聞こえてきた。

 俺もあっさりと眠りに落ちてしまう……。


 この俺ーー曳橋落夢ひきはしらくむという人物は長く眠れない体質なのだ。基本は15分ほどの仮眠を一日中数十回行う。うまく行けば一回で30分ほど眠れたらすでに大幸福なぐらいだ。

 そのせいで、俺のクマはもはや不治の病、あくびは呼吸のようにナチュラルである。医者の診断によると、これは動物の本能の現れである。

 周囲の脅威に恐れすぎて、潜在意識がおどおどして眠れない。言わばメンタル上の問題だ。馬が2時間ほどしか寝ないのと同じ、俺も狩られるのに恐れているからだ。

 何をそんなに怖がってるかって言うと、死ぬことだ。そしてそれを根本から言えば、催眠術の限界のせいだ。

 さっきあのジャーナリストの思考を簡単に変えるような催眠はもちろん能力としては優れている。催眠状態に陥った人間は施術者の言うがままに命令を受け止め、行動する。

 原理と効果はまだはっきりわからないが、おそらくは半径1メートルの特殊な放射性の脳波を放ち、周りにいる人間は即座に効果を受ける。いつどんな言葉をかけるかは全部俺の気持ち次第だ。

 言い換えれば、1メートル以上の距離を置いて、俺に斧とかナイフとか投げつけて来れば、凡人の体をしている俺は一瞬にして死んでしまう。だからこの力と命を保つために、俺は常に用心深く生きている。

 つまり、強い力を持ってるほど、俺はその弱点が余計気にして、やられて死ぬのを恐れている。

 だから眠れなくなるんだ。

 しかしいくら用心であろうと、やはり世に知られないのが一番安全だ。そこでこうやって地下に住み着き、必要のない手出しはしない自分になった。

 ここでもうちょっと催眠能力の補足をするが、やり方について、ストレートな命令で指図することができれば、何かを忘れさせることもできる。もしくは根も葉もないことを相手の頭に詰め込んで、その人の思想を改造するも不可能ではない。

 持続時間は1ヶ月から無限まで。自分が考えていることがおかしいと自覚しない限り、ずっとその状態でいる。言い換えれば自分に自信がない人、あるいは信念や意思を持たない人ほど、催眠が解けにくい。

 それだけ強大で想像力を活かせる且つ汎用性のある能力だ。誰であろうと、俺の近く1メートル範囲に入れば、思想を持たない人形に等しい。

 たった一人が例外である。

「起きたか?こんばんは」

 ソファーで仮眠から目覚める俺の横に、一人の女が座り込んで、さりげなく俺に挨拶する。ミルクを飲みながらスマホを弄り、あたかもここが彼女の家のように寛いでいる。

「そっ!そそそそらの!お前いつから!」

 慌てて体を起こしてからソファーの一端に転がり、なるべく彼女と距離を取ることにした。

 そこまで怯えたのは女性恐怖症なぞじゃない。単に彼女が怖いだけだ。物理的な強さが僕の本能的な恐怖を引き出した。

 誰であろうと、彼女の近く1メートル範囲に入れば、生死を彼女に委ねたモルモットに等しい。

 というのは嘘だ。1キロメートルだって物足りない。彼女に目を付けられたが最後、何処に逃げたって意味がない。生死を彼女に委ねよう。それが唯一のオチである。

 それほどの強さだ。

「5分ほど前から、かな?」

 微笑みつつ、優しく語りかける彼女は一見天使に見える。

 彼女の綺麗さは疑いようがない事実だ。見るに今ジョギングを終えて、ついでにここを訪ねたに違いない。頬がまだ赤っぽく、冷えたミルクを飲んだところで、まだ落ち着いていないようだった。少し乱れた髪がわざと弱点を見せるように、可憐で愛しい。その時吐いた暖かい吐息がこの冷たい地下に温もりをもたらすように、人の思考をかく乱し、理性を試す。彼女の存在が人をもどかしくする。

 でもいくらそうであろうと、人の家を自由に出入りできる特権を持つとは限らない。

「鍵変えたんじゃなかったか!どういうこと?来栖!」

 来栖君は依然としてお友達とボードゲームに夢中しているけれど、僕の質問には答えた。

「変えましたよ。でも宙野そらのさんには……意味ない……うん。最初から分かってたのに……」

 来栖君の切れ切れに話した言葉からすると、俺の知らないどこかで酷い目に遭わされたようだ。彼女と目を合わせたくない来栖君がおどおどして頭を俯いているさまを見ると、流石の俺も心が痛い。

 でも落ち着いて考えたら確かにその通りだ。鍵なんかで彼女を止められるものか。何度も侵入されて、俺もそろそろ観念すべきだ。

 彼女の一挙一動が僕の目を引くけれど、その恣意的に動く指先は果たしてどこを目指しているかさっぱり分からない。それが魔法をかけているようにぐるぐると回り、そして最後に指すのはソファーの上にあるもの――さっき俺が起きた時に慌てて捨てた毛布だった。

「ほら。毛布を敷いてあげたんだから。感謝して」

 意味不明な言葉を口にする彼女の微笑む両眼を一目して、意図を全く読めない俺がいる。でも唯一確かな原則がある。

 宙野楓そらのかえで、表舞台の綺羅星の彼女がこの下水道のネズミを訪ねるのは悪いことに決まっている。

 追い払うしかない。

「宙野さん、うちはエアコン付いてるからダイジョウブ!余計なお世話でしかない。用がないなら帰れ、用があるなら警察に頼め。以上だ」

 さすがに言い過ぎ、と思われるかもしれないが、それが彼女の機嫌を損ねることすら出来なかった。それだけ自己中心な人間だ。

「お礼はいいよ。でもお返しにちょっとした手助けをしてくれると幸いです」

 ほら、俺の言ったことをまるで聞こえなかったように勝手に話を進めた。

 できるものなら彼女もきっとここに来たくないはずだ。それでも来たのは、さぞ彼女でも対応できないことが起きてるんだろう。もしかしするとそれが俺の身に影響を及ぼすかもしれない。一応聞くだけ聞こうか。

「一応聞いてやる。でももう一度強調したい。手助けなら容易いけど、引っ越しは面倒だよ。俺は表に出れない人間だから、人の目を引きたくない」

「もう人目引いたじゃないかな?来栖君たちがここで遊んでいる以上、君という誘拐犯の犯人への追跡が始まった。見つかるまでは終わらないよ」

 「遊び」という言い方に反応したようで、来栖君を含めてクラブの11人が同時にこっちを向いて、無声の抗議をやってみた。でも相手が宙野楓だから、それが一瞬で終わり、また手元のボードゲームに戻った。

 ちょいと説明すると、何やら、そのクラブの連中はボードゲームで何かを研究をしているようで、遊びって言われるたびに怒りっぽくなる。まあ、俺にとっちゃどうでもいい。うちは広いから、静かに活動できるなら勝手にやればいい。

「偶然中の偶然とはいえ、来栖たちに助けて貰ったことがある。それにこいつらを守るのは簡単さあ。余計な乗り出しをしなければね。あっ、あとは余計な人から余計な頼みが来なけりゃね」

 明らかに彼女のことを言っているけど、彼女は聞き流した。

「ふ~ん。あなたがそう言うならそうじゃない?では要件を言うね。人間の言葉を話せない子供を見つけた。原因と解決法を究明してほしい」

 素晴らしい。

 話の纏まり方としては最高だ。数秒だけで俺のような高校中退でも情報を吸収した。でも吸収した後僕は気づいた。それは毒性の含まれたもの、はやく排出しないと痛い目に遭う。

「ストップ!また!?俺は探偵か何かか?例の探偵団とか特捜隊とかに頼めば話が早いじゃないの?俺なんかで究明できるわけないだろうが!」

「彼らは山登りに行った」

 なるほど、そういうことか。つまり――「俺はガキたちの代わりか?」

「そんなことないよ。オカルトに詳しい君が一番相応しいと思ってるの」

 なるほど、そういうことか。つまり――「俺は都合のいい道具か?」

「そんなことないよ。私たち、友達じゃないですか。君を信用しているからわざわざ来たの」

 キラキラした目で僕に期待を寄せたって通じない。それが演技だと分かってるから。

「トモダチ?そりゃ光栄だ。それでも行きたくない。俺は友達を助けない主義でね」

「曳橋君。子供は可哀想なの。私なりに調査はしていたけど、にっちもさっちも進まない。曳橋君のかけがえのない能力をちょっと発揮すれば、ちゃっちゃと終わらせるのに……」

 だからなんだって言いたいところだが、それ言っちゃったら流石に怒らせるので、俺はなるべく婉曲に断ろうとする。

「言葉が出ないって言ったな。例え言語を教えたって、障害が完治したって、何が得るというのか?俺が言ってるのは、お前か俺が何かを得るってことじゃない。その子供の方だ。彼は不本意で言葉を失ったってことをお前には言い切れるか?」

 僕の正論に満ちた言葉が間違いなく彼女を動揺させ、演技みたいな表情が一気に吹っ飛んだ。代わりに見せてくれたのは渋くて真剣な顔だ。

「曳橋君……何か知ってるの?」

「噂ぐらいしか。記憶を消すサービスが街に出た。だからそのガキも恐らく自ら選んだ道だろう。何か嫌なことを忘れるために。だから人の意志を尊重しろ。人がようやく辿り着いた幸せを壊さないでやれ」

 似合わないことを言ったせいか、彼女は怪訝の表情でいた。そういうつまらないことに関心を持つ俺じゃないけど、探偵ごっこはもっと嫌だ。普段収集した情報が役に立って良かった。それで彼女を追い返せるだろう。

 と思ったら大間違いだ。彼女は異質といえる正義感を持つ人間だ。実例を挙げるとしたら、今まで彼女が救助してきた子供の数で学校を結成することだって可能で、彼女が懲罰した悪党はサッカー場を埋められるぐらいだ。納得した結果にならないと、その正義感はどこまでも彼女を推していく。

 よって、彼女の次の言葉はこれだ。

「記憶を消す力があるというの?それが悪用されたらどうする?」

「目的間違えたんじゃないか?子供を助けたいだけだろ?」

「そう。では洸太こうた君の話に戻る。怖いのはこれからだ。洸太君の家を見つけたけれど。彼の隣人も、通っていた学校の先生や学友も、誰も彼を覚えていないの。まるで最初から存在しなかった人間のようだ」

「ほ~これはフルコースだな」

「フルコース?とは?」

 彼女のその表情豊かな顔は本当にいくら見ても飽きない。何故かというと、昔アイドルやっていた頃は氷山美人がウリだった。公の場で彼女の表情変化を見るのはなかなか出来ないものだった。最後の引退コンサートであっても、涙ひとつ流さなかった。

 でも流されたものもある。それは無数の無駄になった金と悲鳴というBGMだけだった。それについてはまた今度話そう。

 とにかくそんな氷女が、この場で一般女子のように疑惑したり驚いたりすると、やっぱり新鮮感というものが湧いてくる。その新鮮感に免じて、もうちょっと情報をシェアしよう。

「仮にね。お前に忘れたいことがあるとすると、とある魔法みたいな方法で全部の記憶を消してしまった。でもそれで本当に終わりか?違うだろ。その記憶を知る誰かによってもう一度喚起させることができる。その人は記憶の目撃者かもしれない、参加者かもしれない、たまたま話を聞いた余所の人かもしれない。そういった人たちが居る限り、記憶をなかったことにするのは出来ない。だからフルコースっていうのは、本人だけじゃなく、関連の全ての人の記憶を弄って、その人間に関する記憶を社会から完全に削除することだ」

「そんな大規模な……可能なの?」

「さあ。俺に知るのはそこまでだ。あんな危険なやつと接触するのは勘弁だからな。詳しく知りたければ、おてんば嬢ちゃんに聞け。ヤツは何か掴めたようだ」

「人に変なあだ名を付けないで。千坂せんざかは一応警官です。彼女の寛大さが故、君がここにいられるでしょう。少し敬意を払って」

「ふん。そんなことは知らん。とにかく。知ってることは全部教えてやったから、今日はこの辺で。おやすみ」

「そうね。もう遅いし」

 やっと終わりか?と思いきや、彼女が当たり前のように話を進める。

「明日6時、例のカフェーで3人で話し合おう。お好きなケーキを用意して待つから」

「ちょっ!いきなり何勝手に決めてんだぁ?ケーキ好きじゃないし!」

「安心しなさい。私が担保するから、捕まる心配はないよ。おまけにケーキ無料だよ~おごるわよ~」

「いらねえって!」

 どれだけケーキに執念あるんだ、ちなみに俺は好きじゃないから。

 俺の抗議にもなれない声を無視し、彼女は真っ直ぐにドアに向かう。

 クラブのみんなは横目で彼女の去りを密かに見送り、それからホッとする。表情も動きも滑らかになってきて、正に愁眉を開いたということだ。彼らは再びその終わりなき「研究」に没頭する。

 俺の場合、実を言うと大した損はないけど、家から出て行くのが本当に嫌いで、楽しみになれそうな展開も全く見えない。

 明日は流れ的にはこうだな。おてんばお嬢様から事情を聞き、人探しを始める。それからあの言葉を喋れないガキの悲しい悲しい過去を知り、同情して助ける。

 すっぽかしたらどうなるか?もっと痛い目に合うだろう。

 嘆きの果て、俺は観念した。

 とりあえず鍵を掛けておこう。

「こういう女いる?勝手に人のうちに潜り込んで……勝手に人のミルクを飲んだりして……さらに勝手に俺の明日のスケジュールまで決めて……そして勝手に行っちまう」

 ドアに近づきなからぶつぶつ言っていた独り言を、クラブのみんなは誰も気にしてなかった。それはそれでちょっぴり悲しい。

 重い体を引きずってやっとドアのところに辿り着くと、え!これ……紙切れ?俺へのメッセージか?

 まったくこの女、ロマンチックなヤツもやるもんだ。

 開いてみたら、牛乳を拭いた跡と微かな口紅しかない。

 ゴミなの!?

 それになぜ紙で拭くの?ティッシュに恨みでもあるの?しかもゴミを玄関に捨てるなんて、まさに最低女だな。

 鍵を鍵穴に挿して回すと、潤滑剤入れ過ぎのような感じで、鍵を掛けた実感は無かった。事実もそうだ。その鋼製の錠が扉から外れ、勢いよく地面に落ち、大きな尖った音を2回立った。これだけ広い部屋だ。凄まじい反響がクラブの奴らの注意を引いた。

 彼らは一斉にこっちに目を向け、溜め息を漏らす。

「また鍵を変えるんですか。今度は思い切ってダイヤモンド製にします?」

 来栖君は無力そうに言った。

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