第6話 下着と胸と魔女王の生贄

「あの、レンちゃん。監査官さんは何か言ってましたか?」

「いや、何も出なかったから、特に何もなく帰ったよ」

「そうなんですか? ふふん」


 私は片耳を軽く跳ねて、尻尾を怪しく揺らします。

 このあからさまな態度に、レンちゃんは片眉をピクリと上げます。



「どっかにまだ隠してるんだね?」

「にゃふふふ、何のことでしょう? ま、机やクローゼットをいくら探しても……あ!? クローゼット!? レンちゃん、クローゼットと言いましたか!?」

「……うん、言ったよ。だから、すまないとね」

「そんなっ!?」


 私はベッドから飛び跳ねて、部屋の隅にあるクローゼットへ向かい、下段にある棚を開きます。

「あ、あ、こんなのって……下着類が荒らされてる!! レンちゃん、監査官って……」

「言いにくいけど……男性だった」

「っ! ……手袋は?」

「素手」


 この返しにショックを受けて、私はクローゼットに爪を立てながらずりずりと床へ身体を倒していきます。


「そ、そんな~、全部洗い直しじゃないですか~。まぁ、手袋をしてても洗い直しですが。それよりも、下着を見られたのが恥ずかしい。もう、デリカシーの欠片もありませんね! はぁ~、今日のお風呂どうしよう? 下着の替えがないと……」

「私のをあげるよ。もちろん、使ってない下ろし立てのものを」

「え、いいんですか? ありがとうございます。でも、レンちゃんと私とじゃサイズが」



 身長はレンちゃんが10cmほど高く、胴回りは私の方が太……少しだけ違います。

 胸は私の方が二回りくらい太ってます! 二回りくらい太ってます!


 このようにサイズに開きがあるのですが、レンちゃんは笑顔で大丈夫だよと答えを返してきました。


「あはは、下着といってもお洒落用じゃないから。はい、これ」

 手渡されたのは上下とも灰色で、布端に黒のラインが入った地味なもの。

 私はその下着の正体を口にします。


「スポブラですか」

「うん、これなら普通の下着より伸縮性に富んでいるから多少サイズが違っても大丈夫だよ」

「たしかにそうですね。では、頂きます。このお礼は必ず」

「フフフ、気にしないでいいから」


 レンちゃんは柔らかな笑みを漏らしました。

 その美しさにちょっぴり心が熱を帯びます。


「う~む、レンちゃんの可愛さに乙女心が刺激されますねぇ~」

「それは嬉しいねぇ。でも、残念だけど私は同性には興味ないんだ」

「ニャフフ。ならば、私が新しい一面を引きずりだしてやりましょう」

「遠慮しとくよ」

「それは残念。美人さんと仲良くなり損ねました。美人さんと言えば、この下着……」



 私はじっと灰色で地味なスポブラスポパンを見つめます。


「ん、ミコン? どうしたの?」

「いえ、せっかくレンちゃんは美人さんなんですから下着もこだわるべきではないかと。たしか、お洒落な下着ってそんなに持ってませんよね? 私も以前はそうでしたが、この町に来てからかなりこだわるようになりましたけど。村とは違い、デザインが豊富なんで」


「あはは、魔導学園都市アダラは王都にも負けないくらい都会だからね。でも、私はデザインよりも動きやすさを重視してしまう傾向にあるかな。剣士としては動きやすい方がいいから。そういった下着もこの町だと豊富だから助かってるよ」


「そうですか。なんだかもったいない感じもしますが……では、先にお風呂に行ってきます。もう、お風呂は閉められてるけど、この時間帯ならまだ運動部のシャワールームが開いているでしょうし。サンドイッチはその後に」

「うん、わかった。取っておくよ。はい、タオルも」


「ありがとうございます。ではでは……」



 私は新品のタオルをレンちゃんから受け取ります。そして運動部のシャワールームに向かおうとしたのですが、ここでスポブラの大きさが気になってしまいました。

 スポブラをぺちぺち叩き、両手でグイっと伸ばします。


「ふむふむ、いくら伸縮性に富んでいても、レンちゃんはぺったんこだから私の胸にはきついかも―――――はっ!?」


 背筋に氷のような冷たさが走りました。

 そっと、後ろを振り向くと、レンちゃんがと~っても柔らかな笑みを浮かべています。


「フフフフフ、ミコン。大丈夫、私はあまりそういうことは気にしないよ。気にしないけど……友人同士とはいえ失礼な言葉は許せないなぁ~」

「あの、その、ご、ごめんなさ~い!」


 いつも優しく、とってもイケメンなレンちゃん。

 でも、レンちゃんも女の子。

 いくら友達でも思いやりや気遣いは必要なのです。




 ここから少しだけ時間を巻き戻し――学園長室・ミコン説教終わり直後



「ううう、失礼しました……」

 ミコンはわざとらしい涙声を出しつつ頭を下げて学園長室から出て行った。


 室内に残っているのは、学園長オウルとミコンの後見人である老魔導師ヴィエドマ。そして、賢者セラウィク。


 真っ黒なローブを纏ったオウルは巨大な漆黒の執務机の椅子に座り、ため息にも似た声を落とす。

「はぁ、あの様子だと全く反省していませんね」


 この声を、執務机の前に置かれた巨大な漆黒のソファに座る、白い魔導服に身を包む老魔導師ヴィエドマが受け取る。

 彼は銀髪の混じる長い白髪はくはつを軽く振り、オウルへ深い年輪が刻まれた顔を向けて、白銀の瞳に彼女の姿を映す。


「ふふふ、なかなか元気な子じゃろう。彼女の祖母であるネベロングもミコンの行動に鎖をつけようと苦労していたそうだ」



 彼の声は、同じくソファに座る青の導師服を纏ったセラウィクへと繋がり、オウルへと帰る。

「あはは、ネベロング様が手に焼くとはかなりのものですね。でも、そのおかげで彼らが使う魔法の一端が見れた」

「ええ、ミコンを学園へ向かえるにあたって、彼女の古代魔法の観察許可をもらっていますから。それを拝見できたとはいえ……まさか、あれほどの破壊呪文を」


「あはは、たしかに今回のは少し……まぁ、私のせいなんだけど」

「いえいえ、セラウィク様へ古代魔法を見せるという要望に応えたとはいえ、自分がまともに制御もできない。どんな魔法かもわからない魔法を使うなんて、まったく……」



 ここで彼女は一拍置いて、深緑の瞳を冷たく凍らせる。

「この調子ではにえを守る使命どころか、私がにえになってしまいそうですよ……」

「オウル、声に出すな。誰が聞いているともわからん」

「ヴィエドマ……そうでしたね。失言でした」

「ああ、気をつけなさい」


 ヴィエドマはオウルから視線を外し、白銀の瞳に悲しみと決意を織り交ぜながらミコンが立ち去った扉を見つめ、心の中に覚悟を広げる。

(ニャントワンキルの魔女王へ捧げるためのにえの少女ミコン。その日が来るまで普通の少女として扱ってほしいとネベロングや彼女の両親から頼まれたが……これはこれで残酷じゃな)


 無音を生み続ける年老いた魔法使いにセラウィクはちらりと視線を振るが、彼もまた無音を伴侶に置く。オウルもまた……。

 二人はヴィエドマの想いを知り、言葉などで場を穢すことを避けた。



 その心遣いに気づき、ヴィエドマは自ら無を帰し、音を生む。

「これはもう、彼女が生まれる前からの決定事項。たとえ、億万人から罵られようと、その億万人を守るために必要なこと。振り返るなど卑怯。立ち止まるなど愚か。後悔するなど卑劣千万。じゃが……」


 彼はセラウィクへ顔を向けた。

「彼女の兄・ブラドーとそのパートナー……ミコンの武術の師匠である柚迩ゆにが活躍しているそうで」

「ええ、彼らは全く別の道を求めて旅をしています。そのため私たちと巡り合うことも多く、敵対することもしばしば……」


 ここでセラウィクは大仰に肩を竦め、軽く両手を上げる。

「ふふ、だからといって積極的に指名手配にするというわけにもいきません。二人はもう一つの可能性を探しているだけ。妹と弟子のために……本来ならば、全てを諦めた私たちの方が牢獄に行くべきでしょう」

「セラウィク殿」


 ヴィエドマは口調こそ柔らかいものの、そこに内包する思いには非難の思いがあった。

 それに、セラウィクは謝罪を返す。

「己を省みるのは卑劣千万でしたね。歩みを止める気がないのならば、汚泥を正面からかぶるべき。そうあるべき……」



 彼はそう呟き、ソファから立つ。

「私も失礼しますよ。去る前に、ヴィエドマ様、オウルさん」

「なんじゃ?」

「なんでしょう?」


「今回の出来事をネベロング様にお知らせするのでしょう? そうすると、おそらく誰かがこちらへ?」

「なんじゃ、そのことか。先程話題に出た柚迩ゆに辺りがこちらへ来るじゃろうな。ネベロング以外でミコンが怖がりそうなのはあの子ぐらいじゃし」

「フフ、本当に怖いお説教というわけですね。それともう一つ」


「おや、まだあるのか?」

「ええ……『図書館』が不穏な動きを見せています」


「図書館が? しかし、あやつらは少なくともこちらが事を為すまで不干渉を決め込んだはずじゃが」

「彼らの意志は統一されていません。そのため、跳ねっかえりの『司書』がちょっかいを掛けてくるかもしれません」


「そうか、気をつけておこう」



「ええ、では失礼します。ヴィエドマ様、オウルさん」

「気をつけてな。ガウラン陛下には政務を怠らぬようにと」

「私の方からも。酒量はあまり増やさないようにと」


「ふふふ、お二人に掛かれば陛下も立場がないですね。伝えておきます」


 

 パタン、と、小さな音を残してセラウィクは立ち去った。



――学園・長廊下


 石製の廊下。風の流れに消えぬ魔法の炎が暗闇を払う。

 その廊下を歩みつつ、セラウィクはミコンのことを考えていた。

 ミコンの結界のことを……。



(あの時、彼女の力は及ばず、私は魔力を彼女の結界へ注ごうとした。だが、その瞬間、彼女からは不可思議な力が湧き立ち、結界の密度を高め、見事、あの破壊から乗り切った。あの力は――ニャントワンキルの魔女王の力)


 セラウィクは立ち止まり、夜空を見上げ、べにの溶け込む紫の瞳で遥か先を見通す。

(さすがはニャントワンキルの魔女王の血を色濃く受け継ぐ少女。生贄にするなどもったいない。ふふ、世界など放っておけばいい――そう、世界を無視して、彼女を救わないと……)

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