私らしい
歳をとりたいと激しく望んでいたことを思い出してしまった。
十代のころ、とにかくはやく歳をとりたいと切実に感じた。
二十歳になる手前の十九歳だと急に大人になることがいやになった。だって、就職先とか、あんまりないんだもん。本当に甘ったれかもしれないけど、考えると、すごく恐くなった。十九歳って、きっと、大人の人はもう経験しちゃってると思うけど、いろいろと不安があるものなのよ。大学はいる人とかはいいわよね。大学ってはいっちゃったら、もうそのあと数年は安泰だし。けど、私の場合は、お仕事しなくちゃいけないの。だって、大学いくっていうの、あんまりピンってこないんだもん。
ただね、大学いっても、どこにいっても、最終的にはお仕事するわけじゃない。けど、二十歳で仕事、妙に責任とか、めんどうなことがいっぱい目の前に聳え立って、うーん、って思う。
そんな風にしても人間ってね、仕事しちゃうのよ。
仕事は好きなものだけ。なんじゃないのよ。やれっていわれたら、人間はね、やるものなのよ。で、それが毎日、淡々と続くわけ。
はじめての環境に、どきどきの不安とわくわくの期待。まぁ、はじめちゃうと、あっけにとれるくらい淡々としているのよね。びっくりすることもあるけど。それだって、一年か、二年で慣れちゃうのよ。実際、私は、一年間ぽけっとしていて慣れちゃった。
でね、そのまま今年で三十を迎えることになった。
お局様というがいい! 今は負け犬?
私は、周りの皆が、「次の土台だから」とかいって、さっさとやめちゃってキャリアウーマンになってばりばり働いたり、「田中くんと結婚するんで、寿退社」とかいう素敵な奥様になっている子とかも違うわけ。
なんで、あんた、いるのっていうかんじ。
毎日、仕事をして、一応いますよっていうのね。
私は、三十になることが楽しみだった。女で、三十になることが楽しみというと、ばかみたいかといわれるかもしれないけど。とにかく楽しみだった。
「私、はやく三十になりたいの」
「なんで」
ビールを男前に飲むキャリアウーマンの幹江が尋ねた。
「だって、たのしそうじゃない」
なにが、どうして。というのはないけど。
「ゆりは、そういうの無邪気に考えてそう」
と鳥の皮をつついている奥様の紗枝。
「ばかね、ゆり」
幹江は、子供に言い聞かせるようにやんわりと言う。こうすると教師みたい。
「三十歳なんて、一番中途半端でやりずらいのよ。いい? 二十歳のときは、失敗しても許されるわよ。けど、三十になるとさ、丁度中間管理職ってやつよ。一番つらいわ」
「そうね。三十になると、周りの人はみんな「オバサン」っていうのよね。失礼しちゃう。こんなにも女ぽいのに」
紗枝が熱燗をすする。
私たちは、同期。といってもぽけっとしている私を残して、仕事を変えた幹江、さっさと寿退社してしまった紗枝。彼女たちは私とはまったく違う目標に向けて邁進している。
私たちは、時々、食事を一緒にする。
二十歳のときに見つけてからずっと通っている店。
そこで幹江が仕事一筋でいきると宣言し、紗枝が結婚すると報告してくれた、また私が時々失恋したときに使う《無花果》という酒場。カウンター席とお座敷が四つある。私たちは、いつもカウンターに座る。
「女っていうだけで、あのスケベオヤジ、尻さわってくるのよ」
「セクハラ」
「最悪なのは私の年齢を知ると舌打ちなんざしてきたのよ」
「訴えろ」
私たちの愚痴なんていつも自分たち以外のものに向けられる。
私は、この二人のようになれない。
幹江は、とっても勉強ができて、語学はすごい。けど、入社当時はそういう能力が認められなくて仕事はコピーとかお茶汲みばかりでプライドはズタボロになった。なんで男のほうに仕事がいくのって。幹江は頭が痛い、気は重いで、ウツになりかけて、とうとう仕事を変えて、今は楽しんでいる。
紗枝は、可愛らしいお嬢様系で田中君と結婚したあと、なんと、その田中君は浮気して、それが紗枝の友達のせいで、すったもんだの殺し合いともいえる戦いをしたらしい。一時は離婚寸前だったとき一歳になる娘を田中君が誘拐しようとしたのに、包丁をもって……結局田中君が謝って仲直りしたらしい。
こうすると、なんてパワフルなんだろうと感心する。
私は、そういうパワフルさとは無縁だ。本当に毎日、淡々と仕事をして、寝て、起きて、時々、本屋さんやショッピングで服を買って、髪を切ったり、あと、DVDをレンタルして貸し出し期限を遅れて、やばいって思うぐらい。
三十歳になることは、楽しみだった。
二十歳になるときは、ああ、こわいなっと思う心とかあったけど、それを通り過ぎてなにもかわらないとわかると、次の節目である三十歳が楽しみになった。三十歳ってなんだか大人ぽい。
けど、幹江のいったように、中途半端で大変かもしれない。(私に、大変さがあるのかわからないけど)
紗枝のいうように、おばさんといわれるのかもしれない。(陰口では既にそう言われてるけどね)
うん。けど、やっぱりいいかもしれないとおもう。
私は、意味もなくそう思った。
「三十になったら、みんなでケーキかわない?」
「やーよ。子供みたい」
「えー、いいじゃない。私はやりたいわ」
こうやって、歳をとっていくのは悪くない。
こうやって、やっぱりなんにもかわりなくて、別にドラマチックでも、パワフルでなくてもいいから生きていきたい。
私は、こうやって、三十になって次の四十になることを楽しみにできると思う。
おばさんっていうのも、案外と素敵なものかもしれないじゃない。
この考えをいうと、あんたらしいと言われた。
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