8

 予測した日から四日。ずっと一人になるタイミングを探っていたのだが、全くと言ってもいい程常に音霧の誰かがそばに居て一人になれない。何故。


 一人になるために何度か逃走を図ったのだが、いつも柊木さんに阻止されているのだ。


 どうすれば逃走出来るだろうかと考えながら帰路につく。


 でも、音霧の皆さんと一緒にいるこの毎日も悪くないかも……なんて思ってみたりもした。絶対有り得ないんだけど。


 何度も言うが私は人を信じられない人間なのだ。さらに言えば私はエートスなのだから。


「ふぁ……」


 欠伸が止まらない。そろそろ限界が近いようだから寮に戻ったらお昼寝しようと決めたその時。


「……藍、ちょっと触れていいか?」

「はい……?」


 柊木さんの言わんことが理解出来ない。


「手、出せ。」

「……はい。」


 私が出した手を握った柊木さんはそのまま目を閉じて数秒固まる。私は私で慣れない人の温もりに戸惑う。


 すっと目を開けた柊木さんは一言忠告した。


「……お前、今日は机の引き出し開けるなよ。」


「はい……?」

「なんでもねえ。さ、帰るぞ。」


 皆さんは今の柊木さんの奇行に疑問も抱かずにスルーしているようだけど……ええと? 誰も疑問に思わないのね? こんなに頭の上にハテナが浮かんでいるのは私だけ?



 この時の忠告を覚えていれば、また何か違った未来になっていたのだろうか。







 お昼寝から目覚めたその時、ちょうどいいタイミングで私の部屋の扉がノックされる。欠伸を一つ零し目を擦って目を覚ましてから部屋の扉を開ける。するとそこには山吹さんが。


「花蘇芳さん、今よろしいですか?」

「いいですよ。どうされましたか?」

「好きな動物はなんですか?」


 いきなりどうしたんだろう。さっきの柊木さんといい、今の山吹さんといい、言動が唐突でよく分からない。しかし質問には答える。


「……猫、ですかね?」


 あまり動物の好き嫌いを考えたことはなかったが、一番最初に頭に浮かんだのは猫だった。多分好きだから出てきたのだと思う。


「ありがとうございます。」


 それでは、と階段を下りていく。……本当なんだったのだろう。


「……ま、いいか。」


 ふわ、とまた欠伸を一つ零し、部屋に戻る。今の時間ってそういえば何時……


「十七時半。」


 一時間程眠れたようだった。ほんの少しスッキリしたようなしないような。


「今日の授業の復習でもするか……」


 特にすることがないし。机に向かって座り、教科書を取り出す。


 そういえばこの机も備え付けのものだけど、物は入っていないんだよね? だとしたら新しいノートを机の中に入れておこうかな。前住んでいた家から持ってきた鞄の中に仕舞っておいた新しいノートを取り出す。


 すっと開いた引き出しは空だった。よし、ここに置いておこう。


「他も入ってないよね……?」


 前の人の物が入っていたらどうしようなどと有り得ないことを考えながら引き出しを上から順に開けていく。


 これで最後。引き出しを開けると、何故かそこにはハサミが置いてあった。


「ひっ……!」


 勢いよく引き出しを閉めて後ずさる。乱暴に閉めてしまったのでバンッと音がしてしまった。しかしそんなことに気を配れない程狼狽し、そのまま壁に背中がぶつかるまで後退する。なんであんなものがここにあるの。それがここにあると知ってしまった私はもうあの机に座ることも出来ない。どうしよう、どうしよう。怖い、怖い、怖い……。


「い、痛い……」


 左肩が痛み始めた気がする。実際はもう塞がっている傷跡がズキズキと痛むような気がするので右手で強く抑える。いつもそうしている通りに。気休めにしかならないが、何もしないよりかはいいだろう。


 ああ、『あの人』の顔を思い出してしまう。あの人の狂気に満ちた顔を。


「痛い……ごめんなさい……」


 その場に蹲り痛みをやり過ごす。呼吸が荒くなってくる。ああ、駄目だ、駄目だ。これくらいのことでここまで取り乱すなんて。駄目だ、駄目だ。しっかりしろ。


「……花蘇芳、花蘇芳、大丈夫か。」

「痛い……やめて……ま、き……」


 そこで意識は途切れた。






椿side


 ふっと力が抜け、前に倒れそうになった花蘇芳を寸でのところで受け止める。蹲った状態のまま意識を失ったようだ。これはこのままベッドに寝せるべきか……。


「……軽。」


 そう考えた俺は花蘇芳をそっと抱き上げてみたが、予想よりも遥かに軽くて驚く。しかしあのぐらいしか食べないのだから当たり前といえばそうか。……後で山吹に言っておこう。少しずつでいいから花蘇芳の食べる量を増やした方がいいと。


 ベッドに花蘇芳を寝せて毛布をかける。眉間に皺を寄せながら寝ている花蘇芳はどこか苦しそうだ。


「……そういえば、花蘇芳は灰色だったんだな。」


 じっと見つめた訳では無いのではっきりと断言は出来ないが、多分花蘇芳は今灰色の目だった。そうか、花蘇芳は灰色なのか。脳内に一瞬あの子が浮かぶが、それを打ち消す。あの子は黒髪ではないのだから。


 それにしても……


「……隠さなくてもいいのにな、俺達には。」


 花蘇芳が黒のカラコンをしているのは音霧全員が分かっていた。何故なら……


「……俺達は、皆目の色が違うんだからな。」


 ぽつり、誰に聞かれるでもなく消えていった。本当は花蘇芳に聞いて欲しかったが、自己紹介をした日にこの話をしようとしたら顔を青ざめさせていた。だから無理に話さない方がいいと俺達は判断した。だが早いうちに俺達も同じなのだと伝えたいところだ。


 ぎこちない動きで花蘇芳の黒髪を梳くと、さらりと指から零れ落ちる。丁寧に手入れがされているのが分かった。


ブブッ


 誰かからメールが来た。ゴソゴソとポケットを漁り携帯を取り出す。


「……柊木か。」


『藍の部屋にある机の一番下の引き出しに入っているものを、藍に見られないように隠しておけ。』


「……引き出し、か。」


 俺がここに来たきっかけというのも、何か叩きつける音がしたからなのだが、この文章とこの状況からして花蘇芳は引き出しを思いっきり閉めたのだろう。


 はて、何が入っているのやら。一番下の引き出しを開けてみると、


「……。」


 ハサミが一つそこには置いてあった。これを見て花蘇芳は取り乱していたのか。ふむ。柊木も今日は机の引き出しを開けるなと言っていたし、これこそが花蘇芳が倒れた原因か。


「……俺の部屋に置いておくか。」


 花蘇芳の目につかない場所の方がいいだろうとそれを取り出して一旦花蘇芳の部屋を出る。そして自分の部屋の引き出しにそれを仕舞う。


「……あとは……」


 山吹にだけは花蘇芳が倒れたことを言っておこう。寮長だからな。酸漿と桃に言えば煩いだろうし。ということで今の時間一階にいるだろう山吹の元へと足を運ぶ。

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