第107話:「騎兵:1」
ヴィルヘルムの作戦は、共和国軍が追撃を断念するまでひたすら、反撃と後退をくり返す、というものだった。
立ちはだかる公国軍と戦っていては、帝国軍本隊を捕捉することはできない。
しかし、突撃して一気に突破しようと試みれば、敵の後方には常に待ち伏せの部隊があって、反撃によって少なくない被害を受けることになる。
共和国軍にとっては、ジレンマだっただろう。
帝国軍を逆包囲して圧倒し、撃滅するチャンスであったのに、3万程度しかいない殿(しんがり)の部隊によってそのチャンスを失おうとしているのだ。
ノルトハーフェン公国軍と同じように、アントン大将の部隊も、うまく撤退戦を行っている様子だった。
アントンは短い説明だけでヴィルヘルムの作戦の内容を完全に理解しており、それを完璧に実行して見せている。
また、その指揮下にある、皇帝親衛隊から分派されて来た1万5千の兵力も、さすがに親衛隊所属だけあって精鋭で、アントンの指揮に問題なく従うことができていた。
共和国軍の追撃の速度は、目に見えて鈍っていた。
戦果を得ようと焦れば手痛い打撃を被ることになるからだ。
もし、絶対確実に、帝国軍の殿(しんがり)を撃破し、帝国軍本隊を捕捉・殲滅(せんめつ)しなければならないというのであれば、きっと、共和国軍は損害を無視して、遮二無二(しゃにむに)突撃を敢行(かんこう)してきただろう。
共和国軍全体で保たれている高い士気は、間違いなくそうするだろうという確信をエドゥアルドに抱かせるほどのものだ。
だが、今の共和国軍の兵士が命がけにならなければならないかというと、全然、そんなことはないのだ。
もし、ラパン・トルチェの会戦に共和国軍が敗北すれば、連合軍によって、アルエット共和国の首都・オルタンシアは蹂躙(じゅうりん)されるという危険があった。
帝国軍はソヴァジヌですでに大規模な略奪行為を行っていたし、それは、共和国軍の将兵にとって容易に想像することのできる[危機]であった。
しかし、すでに会戦の決着はついていた。
帝国軍は少なくない損害を出して撤退を開始しており、バ・メール王国軍も敗走しているから、共和国の首都・オルタンシアが戦火に焼かれる心配はない。
兵士たちは、自分の家族や友人たちが被害に遭(あ)う心配を、もう、しなくていいのだ。
そんな状況で、無理に追撃すれば余計な損害がかさむだけ。
そうなると、戦果よりも、命の方が惜(お)しくなってくる。
それが、人情というものだった。
特に、アルエット共和国軍は、徴兵制によって作られた軍隊だから、その傾向が強いようだった。
彼らの根っこは、[国家の防衛のため]に徴兵されなければ、ごく平穏な生活をしていたはずの一般人であるからだ。
(あれが、共和制の軍隊というものか)
エドゥアルドは、予定されていた地点で再び防衛態勢を整えながら、少し、アルエット共和国軍という、帝国にとって未知の存在を理解することができたような心地がしていた。
ラパン・トルチェの会戦において、また、この戦役全体において、共和国軍は高い士気を見せた。
彼らは1度壊走した部隊であっても、ほとんど逃亡兵を生じさせないまま戦力を再建し、そして、練度で勝る連合軍の将兵からの猛攻にも耐え抜いて、反撃に転じた。
徴兵制の兵士は、弱い。
それがこれまでの常識であったが、しかし、アルエット共和国軍は、その常識を打ち破った、新しい軍隊だった。
その根源は、「この戦争は、自分のものなのだ」という意識にある。
共和国軍の兵士たちは、その根っこは、民衆だ。
戦士ではない。
しかし、そんな民衆であっても、自分の家族や友人、恋人を守るため、そして、自分たちが王侯貴族などの特権階級から獲得(かくとく)した権利を守るためであるのなら、武器を手に戦うことができるのだ。
誰よりも勇敢な戦士のように、共和国軍の兵士たちは戦うことができる。
なぜなら、その戦いは、王侯貴族などの一部の特権階級による[強制]ではなく、[自分たちのための戦い]だからだ。
だが、その[魔法]も、戦わなければならないという危機感が薄まれば、解けてしまう。
その変化は、エドゥアルドの目には、鮮やかに、はっきりと見えていた。
その証拠に、アントン大将が率いている部隊は、整然と後退してくる。
共和国軍の兵士たちは追撃を完全にあきらめたわけではなく、ジリジリと追ってきてはいるものの、我先にと突っ込んで帝国軍の待ち伏せに遭(あ)ってはたまらないと、少し前までに見せていたような勢いは失っている。
このまま、ヴィルヘルムの作戦に従って撤退を続けていれば、なんとかなるかもしれない。
エドゥアルドだけでなく、殿(しんがり)の任務についている将兵の誰もが、そんなふうに楽観的に考えることができるようになり始めていた。
だが、そう簡単にはいかないようだった。
エドゥアルドたちが隊列を整え終え、マスケット銃への再装填も完了したころ、左翼側にいた部隊でどよめきが起こった。
動揺しているようだった。
「敵襲! 左翼方面より、敵騎兵集団! 」
なにが起こっているのかを確認するための伝令をエドゥアルドが出す前に、左翼側の部隊に配置されていた士官が馬に乗って走ってきて、左翼方向を指さしながら大声で叫ぶ。
そして、その直後。
左翼方向から、無数の馬蹄(ばてい)の地響きが轟(とどろ)いてくる。
あらわれたのは、共和国軍の騎兵集団だった。
その数、ざっと数千はいる。
その矛先は、どうやら、エドゥアルドたちではない様子だった。
共和国軍の騎兵集団の中で、突撃を命じるラッパが勇ましく吹き鳴らされる。
すると、騎兵たちは馬を走らせる速度をあげ、一斉に喚声(かんせい)をあげて、突撃を開始した。
彼らが向かって行った先。
そこには、現在後退中の、アントン大将の部隊があった。
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