第119話 杯に満たされる悪意
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トールの言葉に、エステルの頭が真っ白になった。
ドラゴンといえば、世界最強の生物だ。神代戦争を生き延びた個体が多く、中には神々のしもべとなり、悪魔を葬ったドラゴンもいるという噂だ。
近代になってドラゴンと戦ったことのある冒険者もいるが、九割は生きて帰ってはこなかった。世界を股にかけるSランク冒険者ですら、撤退戦が関の山だったという話である。
そんなドラゴンの〝気に触る〟なら理解出来るが、〝気に入られる〟となると、エステルの理解力では追いつかない。
反面、これまでの経験から「ああ、トールならやりそうだな」と納得してしまってもいた。
「……ということは、だ。私たちはドラゴンに食べられないのだな?」
「そうみたい」
「それは良かったのだ! もう絶対に食べられると思ったのだ……」
エステルはドラゴンとトールの関係を脳の片隅に追いやり、危機の打開を喜んだ。
「それじゃあペルシーモも手に入れたことだし、すぐに下山するのだ」
「うーん」
「トール?」
「うん、ちょっと待ってね」
そう言うと、トールがドラゴンの下へと小走りで近づいていった。
(い……嫌な予感がするのだ)
せっかく命が助かったのだ。ドラゴンの気が変わらないうちに、さっさとフィンリスまで戻りたかった。そんなエステルの心配を知ってか知らずか、トールがドラゴンになにかを語りかけている。
「……だから、ちょっと……に……せてくれる?」
「ブロロ!」
「大丈夫、すぐそこだから」
「ブロロロロ」
ドラゴンの喉が低く鳴る。その音にエステルは震え上がった。
もしかして怒っているのではないか?
(やめろトール。もうドラゴンに拘わっちゃだめなのだ!)
相手は悪魔をも殺せる力を秘めた生物だ。命が惜しいなら、決して安易に声をかけてはいけないし、近づいてもいけない。
エステルの精神が限界を迎えようとした、その時だった。
「エステル、フィンリスに帰ろう!」
「――かか、帰るのだ! 私はフィンリスに帰るのだ。絶対に帰るのだ!!」
「うんうん」
満面の笑みを浮かべて差し伸べられたトールの手を、エステルは強く掴んだ。
「それじゃあ、フィンリスまでお願いね!」
「……うんっ?」
トールの言葉は、エステルではない。ドラゴンに向けられたものだった。
(あっ、死んだのだ……)
これから降りかかる災難が予想出来たエステルは、自らの心の死を覚悟したのだった。
○
フィンリスから遠く離れた高台で、黒い服の女性――アミィは儀式魔術を執り行っていた。
現在目の前には、数千の魂が詰まった器が鎮座している。この魂を贄として、アミィはこれから破滅の光を呼び寄せる。フィンリスの街に、神の王が封印されしあの場所に、破滅の光を降ろすのだ。
その時、意思とは無関係に左手がビクビクと動き出した。
乗っ取った体の持ち主――ルカが抵抗しているのだ。
「チッ。鬱陶しいですねー。神の代理人とやらは、ずいぶんと往生際が悪いですねー」
アミィが他人の体を乗っ取る時、元々そこにあった魂は精神の深い場所で封印する。
本来ならば、人間の魂など砕いてしまう方が楽で良い。しかし魂を握りつぶすと、途端に肉体が死んでしまうのだ。かつての同胞、フィリップのように。
(正確には、肉体が腐り落ちる前にアミィが排除したのだが)
そのため、肉体の持ち主の魂は封印するしかないのだが、ルカの魂はアミィの封印をものともしなかった。
初めのうちは、おとなしかった。だが徐々に魂が力をつけ、時々このようにアミィの束縛を離れて肉体を動かし出すまでになっていた。
それもこれも、ルカがフォルセルス教の司祭だからだ。
アミィが心棒する神の王は、フォルセルス含む現神六柱と敵対関係にある。そのため、非常に相性が悪いのだ。
「そういえばー、昔乗っ取った神官も、こんなふうに抵抗してましたねー」
珍しいことに、アミィは百年も前のことを思い出した。
普段は使った人間のことなどころっと忘れてしまうのだが、最も危険な人間トールがペルシーモの採取に出たという情報を聞いたせいで、古い記憶がよみがえったのだ。
「あの肉体は、ちっとも使えませんでしたねー。そのくせ、魂はやたらと頑丈でしたー」
このルカの魂も、あの女と同じく頑丈で、ちっとも諦めない。おまけに今回の魂は、以前に比べて神の恩寵をより強く受けている。
一介の神官がソロ活動でCランク冒険者に昇級し、さらに〝血濡れ〟の二つ名を頂いた経歴は伊達ではない。
「面倒くさいですねー」
今は少しでもマナを温存しておきたいのだが、仕方がない。
アミィはひとつため息をつき、魂の束縛魔術を強化する。はじめはビクビクと暴れ回っていた手が、徐々におとなしくなっていった。これでまたしばらくは、ルカが表に出てくることはない。
「……さて、気を取り直してやりますかー」
そうつぶやいて、儀式魔術を再開する。
そのまま一夜明け、昼になってもアミィの詠唱は続いた。先日グラーフに殴られた怪我が、ズキズキと痛む。しかしそれを打ち消すように、集中力が高まっていく。
フィンリスには、街の構造を利用した強力な魔術が展開されている。神を封印するための、神が施した結界だ。下水道や円形の城壁、表通りや裏通りなど、すべてが結界を発生させるための装置なのだ。
これを破壊しつくせば、結界は維持出来なくなる。
――いずれ、神の封印が解かれる日が来る。
とはいえアミィにとって街の破壊は、使用したくない奥の手だった。それは破壊による結界解除が、正当な手順による手法よりも、膨大な労力と時間がかかるためだ。
しかし現在、アミィの前には神の加護を受けたトールがいる。
様子見をしていては結界解除より先に、フィリップと同じ末路を辿る可能性が非常に高い。
もはや、なりふり構ってはいられない。
必死に術式を組み立て続けた二日目の夕刻。アミィは儀式魔術の活性化に成功したのだった。
魂の器が熱を帯び、今や遅しと魔術の発動を待ちわびている。
「……ふぅ。やっとここまで来ましたか」
一息ついて、アミィはフィンリスを見据えた。
最後の呪文(ワード)を口にすれば、未曾有の災禍がフィンリスを襲うだろう。数日後にはあの場所は『かつてフィンリスだった平地』と呼ばれることになるはずだ。
ここまで、かなりの無茶をしたようだ。体中を疲労が支配している。しかしあと一日もすれば、トールが必ずこの地に戻ってくる。その前に少しでも前進しておかなければ、状況が容易くひっくり返る。どれほど疲れようと、アミィには休んでいる暇などない。
「滅んだフィンリスを見て、あの人間がどんな顔をするか、いまから楽しみですねー」
アミィが最後の呪文を口にしようとした、その時だった。ふと、夕日色に染まる空の向こうに飛翔する何かを発見した。
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