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 武器屋はちょうど開いたばかりで、まだ客の姿はなかった。イルギネスが入っていくと、箒で床を掃いていた女が顔を上げた。ゆるく波打つ肩ほどまでの赤毛の髪を、上半分だけ頭の後ろで留めている。店主の娘だ。何度か見たことがある。歳は、今年二十四の自分とそう変わらないだろう。あるいは少し下か。挨拶程度にしか言葉を交わしたことはないが、意志の強そうな赤銅色の瞳が印象的だ。

「あら、こんにちわ。何か御用?」

「ちょっと剣の状態が良くなくてな。親爺さんは?」

「今は出かけてるわ。見せて?」

「え?」

「あなたの剣よ」女は当たり前のように言った。彼女に分かることなのだろうかと、イルギネスはいささか不安に思いながらも、言われた通り剣を机に置いた。

「まあ」

 鞘から引き抜くなり、彼女は呆れた声を出す。

「ちょっと。酷い状態ね。ちゃんと手入れしてるの?」

 いきなり言われ、イルギネスは内心カチンときた。だが、反論できる材料はなかった。

「剣の腕は、剣に出るのよ。こんな扱いで、どんな剣士さまなんだか」

 かなり頭にくるが、全くその通りなので何も言えず、彼は憮然とした。ここのところ、剣の手入れをすっかり怠っていたことは事実だ。それにしても──普段、女性からチヤホヤされることに慣れている彼にとって、自分を最初から批判する女などいないに等しい。これは遭遇したことのない事態だった。

「こんなになるまで放っておくなんて、剣が可哀想じゃない。──ねえ、聞いてる?」

「随分偉そうだな」ついに、口をついて出た。

「どうせ俺は、どうしようもない腑抜け野郎さ。剣の手入れもせず、鍛錬もサボって、酒と女に頼って忘れようとしても、結局拭えない。どうしろってんだ」

 後半はほとんど勢いだった。大して知りもしない人間相手に、何を喋ってるのか自分でもよく分からない。ただ、急に我慢ならなくなった。だが、そのまま続けたら、一年近く抑えてきた何かが蓋を開きそうになるのを感じて、彼は黙った。

「──いや、関係ない話だ。すまん」

 うなだれた銀髪の青年を、女は少し困ったような顔で見上げた。そして、

「怒らせるつもりはなかったの。ごめんなさい。でも本当は、違うでしょ?」

 彼女は言った。

「本当に腑抜け野郎だったら、こんなにボロボロになる程、剣を使いこまないわ」

 イルギネスの剣の刃を見つめ、そっと手を添える。それから持ち主を眺めて、「でも」と首を傾げた。

「前に見た時は、もっとちゃんと手入れが行き届いていたけどね」

「知っているのか」

「メンテナンスで出してたでしょ? 父が扱っているのを見たわ」

「それにしても、一本ずつなんて、覚えてないだろう」

 すると、彼女はくすりと笑った。

「だって、とても綺麗だったから。きっと、すごく愛されている剣なんだなって、いつも思っていたの」

 その言葉は、イルギネスの胸を突いた。弟のテオディアスが憧れていた剣だから、手入れを欠かしたことがなかったのだ。彼女が──弟以外の誰かがそんなふうに見ていたなんて、考えたことがなかった。身体の弱い九歳下の弟は、強い兄を誇りにしていて、自分もいつか、兄と同じような剣を持つ日を夢見ていた。しかし──彼はため息をついた。

「もう、いないんだ」

「──え?」

 不思議そうな目に、イルギネスは自分が思わず何を口走ったのか、初めて気づいた。

「いや」話を逸らそうとしたが、彼女の瞳は自分をしっかり捉えていて、どうにもかわせそうにない。

「……弟が、剣に憧れてたんだが。もう、いないんだ」

 それだけ言った。の意味を察して、彼女の顔が曇った。

「そう」

 なんとなく黙って、二人して剣を見つめた。

「それならなおさら、きちんとしてあげないと」

 ちょっとの沈黙のあと、彼女は母親みたいな口調で言った。

「自分がいなくなったからって、憧れの剣が、こんなになってるのを知ったら、弟さんも悲しむでしょ」

 イルギネスは驚いた。見れば辛いばかりで、そんなことは思いもしなかった。

「──そうか」

「そうよ。とても立派な剣なのに」

 言われてみれば至極、腑に落ちる考え方だった。そうだ。今のこの剣をテオディアスが見たら、どんな顔をするだろう。しかし同時に、ささくれ立った自分の心の一部が『何言ってるんだ、もうあいつはいないじゃないか』と、小さく毒づいた。だけど、それをわざわざ口に出して異を唱える気は、なぜだか起こらなかった。

「忘れていた」

 彼はちょっと笑った。彼女も笑顔を返した。可憐というより、凛とした、力強い花のような笑顔だった。

「私はディア。この剣は預かっておくわ。明日のお昼すぎにでも、もう一度来られる?」

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