外伝 英雄の堕落 ~side オルト~
「ふぅ……」
「どうした? 初めての戦場で緊張しているのか?」
ため息をつくオルトをオーガスタスが気遣った。
彼らは、帝都より遠く北の地にある、旧都エルドリアの郊外にいた。
情報によると、そこにはヨトゥン教団のアジトの一つがあるとされ、オーガスタスは騎士団を連れてその掃討に来ていた。
「はは、まさか。どちらかというと、
やや含みを持たせて言った。
この一ヶ月、オルトはジークに代わって、オーガスタスの息子として過ごした。
唯一、ジークと異なる髪色を変え、ジークの残した私物からジークの振る舞いを徹底的にトレースした。
そうして掴んだ暮らしは、これまでの人生では想像も付かないほど豪勢であったが、同時に大貴族の息子として施される厳しい教育もついて回った。
地下で幽閉されていたオルトにとって、その豪華な暮らしは新鮮であったが、貴族としての義務を果たす日々は気疲れを起こす物であった。
「すぐに慣れてもらわねば困る。お前は既にジークとなったのだ。わずかでも違和感を与えてはならぬ」
「ええ、もちろん分かっていますよ」
オルトはその言葉に反吐が出そうになる。
跡取りに保険を掛けるなどという勝手な理屈で産み落としておきながら、外にその存在を知られないために不自由な生活を強いられた。
そのせいでオルトの母は病み、命を落としたというのにこの男には罪悪感の欠片もないのだ。
「それよりもオルト、あの洞窟がヨトゥン教団のアジトと目される場所だ」
オーガスタスに言われて、オルトは魔力を込めて《遠見》を行った。
視界に入るあらゆる視覚情報が鮮明になる魔法だ。
それなりに高度な魔法だが、この程度オルトには造作も無い。
「どうやら見張りは気付いていないようだ。奇襲には好機だな」
「はい。いかがしますか?」
「試しにお前が見張りを消せ。私の後継ならそれぐらい容易いだろう?」
オルトは返事代わりに魔法を発動させた。
《エクスプロージョン》――オーガスタスが得意とする大規模な爆発魔法だ。
多大な魔力を消費し、その制御も極めて困難だが、オルトはそれをあっさりと実行すると見張りを消し飛ばしてみせた。
「ジーク、素晴らしい腕前だね」
隣で朗らかな笑みを浮かべたのはクライド、ジークの幼馴染みだ。
「これぐらいは児戯だよ。父上の跡を継ぐのならこれぐらいは出来ないと」
「さすがだなあ。僕は魔法が苦手で」
「やれやれ……」
オルトはクライドを見下していた。
クライドは〝加護なし〟だ。先日、《神授の儀》を迎えたにもかかわらず、何も与えられなかった。
フローレンス男爵はそのことを隠しているが、クライドは親友の「ジーク」にだけはそれを明かしていた。
「君も練習しなよ。Cランクまでの魔法なら、加護なんて無くても誰だって習得できるんだからさ」
「そうだね。でも、僕は戦いは好きじゃないから。そういうのは君に任せて、僕はのんびりと領地経営するさ」
そういう野心の無さが、オルトを苛立たせる原因だった。
オルトは必ず加護を《炎帝》から継ぐと信じて、これまでの人生をあらゆる学問と魔法の習得に捧げた。
いざ、加護を得た時にジークを圧倒し、自分こそが真の跡取りになるために。
そうした努力を重ねただけに、クライドの能天気さが許せなかった。
「それじゃ、生き別れた妹はどうするんだ? もしかしたら、まだ生きているかもしれない。探しに行かないのか?」
「リヴィエラが生きてると信じるほど、僕は能天気じゃないさ。それにリヴィエラは今でも僕の胸の中で生きている。だから、妹が救ってくれたこの命、大事にしなくちゃ」
それが能天気でなくて、何が能天気だ。オルトは心の中で悪態をついた。
ジークの残した日記から、ある程度のことは把握しているが、妹を失ったにもかかわらずのほほんとしているクライドのことだけは心の底から理解できなかった。
自分は母を失ってたまらないほどの苦痛と空虚感に苛まれたというのに、この男は自分の胸の中で生きているなどというお花畑な考えを大真面目に口にするのだ。
彼女の死が確定していない以上、無駄だとしても必死に探すのが肉親の務めだろうと考えるオルトには、その態度が腹立たしかった。
「おしゃべりはその辺りにしておけ。これから、アジトの内部へ侵入し、奴らの痕跡を全て消す。構成員、研究資料、その他、奴らに関わるものは全てこの地上に残すな」
「はい」
オーガスタスの言葉にオルトがはっきりと返事をした。
「全て消す……か。僕はやりすぎだと思うな」
また、クライドが何か言っていると、オルトは心の中でため息をついた。
「君もそう思わないか? 彼らは元々〝加護なし〟だ。そんな彼らを追い詰めたのは、加護を絶対視する僕らのせいだ。だから、彼らにだってやり直す機会を与えるべきだと思う」
「それは……立派な考えだね」
実にご立派なことだ。
彼自身が〝加護なし〟であることから、クライドは深く〝加護なし〟達に同情していた。
しかし、オルトはその言葉にわずかたりとも同意していなかった。
所詮〝加護なし〟など、女神に見放された社会のクズだ。現にヨトゥン教団はおぞましい人体実験を繰り返しているという。
そんな存在に同情する余地など欠片もないのだ。
「そうだろう? やはりジークなら理解してくれると思ってたよ」
そんなオルトの内心を察しもせず、クライドは頬をほころばせた。
その甘さと能天気さを前に、オルトは笑いをこらえるのに必死だった。
もっとも、甘ちゃんなのはクライドだけではない。
今回の作戦には加護を得たばかりの貴族子弟が多く参加している。
〝加護なし〟相手であれば、訓練に丁度いいだろうという理由から、多くの貴族家が自分の子を志願させたのだ。
クライドが参加しているのも、そうした事情からだが、オルトからすれば馬鹿馬鹿しい話だ。
相手は様々な非道を行う狂信者だ。加えて彼らは独自の魔導研究によって、加護を介さずに魔法を発動させる。
そんな相手が跋扈する戦場に、そのようなおめでたい心持ちで参加するなど愚かにも程がある。
オルトはクライドを始めとした貴族達に、心底呆れながらアジトへと歩みを進めるのであった。
*
「なんだ……これ……」
オルト達がアジト内の教団員を排除して回る内に、クライドはある悲惨な光景を目の当たりにした。
「噂は本当のようだな。ヨトゥン教団は幼い子を非道な人体実験に用いると」
目の前に転がっていたのは無数の子ども達の死体だった。
その多くは、手足や瞳が欠損しており、この部屋で凄惨な拷問が行われていたことが窺える。
「そ……んな……」
部屋の隅で、クライドが膝を折って茫然自失となっていた。
その目の前には、無残に切り落とされた少女のものと思しき手足が落ちている。
「クライド、一体どうしたんだ……?」
「これ……」
クライドが右腕を抱えて見せた。そこには、赤い宝石の腕飾りがくくりつけられていた。
「それが一体どうしたんだ?」
「どうしたって、君が妹に贈ってくれただろう? 君が作った世界に一つしか無い腕飾りだ」
オルトに心当たりがないのは当然だ。それは幼いジークがリヴィエラのために作った腕飾りなのだから。
リヴィエラは腕飾りを大事にして、肌身離さず身に付けていた。あの、崖から転落した日も。
「それがここにあるってことは……」
「多分、リヴィエラ……だ。あの日、崖から落ちた日、リヴィエラは死んでなかった。密かに生き延びて、ヨトゥン教団に攫われていたんだ」
絞り出すような声でクライドが言う。
「何が胸の中で生きている……だ!! 僕は一体、何をやっていたんだ。真剣に妹を探そうともせず、そのせいでリヴィエラは凄惨な拷問を受けて、無残に殺された……!!」
己の無力さと能天気さを呪いながら、クライドは血がにじむほどに強く拳を握った。
「そんな……自分を責める必要なんてないよ」
そんなクライドを慰めるように、オルトが肩を叩いた。
「確かに僕らは無力だった。リヴィエラに対して、何もしてあげられなかった」
しかし、その優しい口調とは裏腹に、オルトは歪な笑みを浮かべていた。
「だけど、そこですることは自分を責めることなのだろうか?」
「どういうこと……?」
「これからリヴィエラにどう報いるか。それが重要じゃないのか? 彼女をこんな目に遭わせたのは誰だ? 他ならぬヨトゥン教団だ」
「…………そう、だな」
クライドがゆっくりと立ち上がると、その全身から、淡い魔力の光が溢れ始めた。
「クライド、まさか……」
神々しいほどの力の奔流がクライドに集まっていく。
「そうか、加護に目覚めたんだな」
それこそが、〝加護なし〟であるクライドに、女神より力が授けられた瞬間であった。
「僕はこの力で、必ずヨトゥン教徒を根絶やしにする。妹にそうしたように。奴らには必ず報いを受けさせる」
「ふふ……僕も手伝うよ、親友として。必ずリヴィエラの敵をとろう」
オルトは心を震わせていた。
「親友」に同情したわけではない。哀れんだわけでも、友情を感じたわけでもない。
ただ感動していたのだ。
あれほどに生ぬるい同情心を教団員に向けていたクライドが、いざ身内が殺されたと知ると、あっさりと憎悪に染まってしまった。
自分にとって唾棄すべき偽善者であったクライドの堕落に、オルトは心の高揚感が抑えきれなかった。
「楽しいなあ。外の世界は……」
クライドに聞こえないように、オルトはぼそりと呟くのであった。
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