第3話 教団の闇
地上を目指してしばらく歩いていると、不気味な装飾の施された扉を見付けた。
俺はそれを見て思わず足を止める。
「この扉は確か……」
その扉には見覚えがあった。
折れた天秤呑み込む邪竜の姿があしらわれたシンボルが刻まれ、前面には血のような液体が飛び散っている。
「教団が〝実験道具〟を管理するための部屋だったな」
悪趣味なアジトの中でも一際、血なまぐさい雰囲気を漂わせるこの扉には教団の管理する〝実験道具〟が収められている。
扉に近寄るだけで凄まじい腐臭のようなものが漂い、正直、今にも吐き出しそうになる。
「早く立ち去るべきなんだろうけどな……」
中の光景を思い出して、俺は二の足を踏む。
今ここで、見なかったことにすれば俺はこの先の光景を見ないで済む。
「俺が幸せに生きるためには、こんな所を覗く必要は無い」
ここで俺がやることは、教団の魔の手から逃れ、父に見付からずにここを抜け出すことだ。
わざわざ、教団の闇に触れるメリットはない。実際、ジークはこの扉の奥にあるおぞましい光景を目の当たりにして、人間の愚かしさに絶望を抱いた。
だから、ここに立ち寄る意味はない。
「いや……」
しかし、俺は扉から離れることが出来なかった。
ここで見ぬ振りをすれば、俺はこの中で起きた出来事が忘れられず、一生気に病むことになるだろう。
俺は意を決すると、扉の方へと向かった。
*
「やめ……やめて、ください……これ以上、私から何も奪わないで……」
扉の向こうには、おびただしい数の物言わぬ肉の塊が散乱していた。
そしてその中で、一人の少女が怯えきった表情を浮かべていた。
「黙れ!! 相手はあの《炎帝》だ。直に俺は殺される。なら、そうなる前に良い思いしたって良いじゃねえか!!」
下卑た表情を浮かべたヨトゥン教団が少女に近付いていく。
どうやら少女を襲おうとしているようだ。
「それにお前の加護は俺が頂いたんだ。なら、お前の全身くまなく俺のモノにしてやるのが礼儀ってもんだろ? お残しは許されねえんだよ……!!」
その目を血走らせ、異様に興奮した様子で少女の腕を無理やりに掴む。
「いや、いやぁあああ!!!! もう何もしないで!!!!」
よほど酷い目に遭わされたのか、少女は半ば発狂していた。
悲痛な叫びをまき散らしながら、激しい抵抗を見せるが、骨と皮ばかりの細腕では、振り払うことは出来ない。
やがて、少女は男に組み伏せられてしまった。
「……間に合ったか」
だが、絶好のタイミングと言えなくもない。なにせ、ゲームでジークが踏み入った時には、既に手遅れであった。
この部屋で行われていた出来事はさすがにはっきりと画面には映されなかった。
しかし、その情景はしっかりと描写されていた。
「っ……」
真っ黒な画面を背景に、淡々とテキストで描写された内容が鮮明に思い出される。
原作では、うつろな表情を浮かべて事切れた少女に、目の前の男は飽きることなく欲望を叩き付けていた。
その様子を見たジークは酷い吐き気を催した。どうしてこんな罪も無い少女が、この様な目に遭うのだと怒りに震え、同時に己の無力さに打ちひしがれた。
《魔王の核》を埋め込まれたジークは、それが適合するまで長い間、苦しみに喘ぎ続けた。
そのせいで少女の発見が遅れてしまったからだ。
「だが、今は違う。俺は間に合った。あの男を止める力だってある」
ゲームでは胸糞の悪い光景だったが、俺の目の前ではそんなことはさせない。
「助けて!! 誰か助けてぇええええええ!!!!」
少女が助けを求めて必死に叫んだ。
「けっ。いくら助けを呼ぼうが、こんなところに助けなんて来るもんかよ」
「いいや。ここに一人だけいるよ」
白い炎が舞った。
あの非道な父親のそれとは違う、純白の炎だ。
俺は白炎を鞭のように操ると、男の腕を一瞬で焼き払った。
「ぎゃぁああああ!?!?!? 腕が……俺の腕がぁあああああ!!!!」
もがき苦しむ男の腹部に蹴りを見舞い壁に叩き付けると、俺は少女の元へと駆け寄った。
「い、一体……何が……? 何が起こってるの!?」
突然の状況が飲み込めず、少女は錯乱していた。
無理もない。彼女の目には、あるべき瞳がなかった。
「あ、あなたは誰……? 誰なの? あなたも私から奪いに来たの!?」
少女は安堵せず、新たな脅威である俺を警戒していた。
「何度見ても酷いな……」
彼女の肉体は悲惨な有様だった。
瞳だけではない。手足は欠け、残った方の手足も爪が丹念に剥がされており、肌はボロボロの傷だらけ。
元は長く美しかったであろう白の髪の毛もボサボサだ。
「クソッ……どうしてこんなことが出来る……」
彼女の体からはあらゆるものが奪われていた。
腕、脚、瞳、尊厳、何もかもがだ。
それがヨトゥン教徒のやり口だ。
徹底して子どもに苦痛と恐怖を与え、女神は決して自分を救ってくれないのだと脳に刷り込ませる。
そして、信仰心と共に加護が弱まった隙に、その加護を奪い去るのだ。
「俺はヨトゥン教徒じゃない。君を助けに来たんだ……」
少女に手を差し伸べる。
「助け……?」
「ああ。君は必ず俺が助ける。だからついてきて――」
「そうはさせるかよぉおお!!!!」
その直後、背後から男の声が響くのと同時に、禍々しい紫色の爆発が起こった。
振り返った先には、焼き尽くしたはずの右腕を見せびらかすように男が立ちはだかっていた。
「そいつの加護のおかげでなあ。どんな傷だってすぐに治っちまうんだよぉ!! ったく、俺の楽しみを邪魔しやがって」
その手には、妖しげな瘴気を放つ魔道書を抱えている。
表紙には彼らを象徴する邪竜のシンボルが刻まれていた。
どうやらあの魔道書の力を借りて闇魔法を発動させたようだ。
「テメェのその生意気なツラを吹き飛ばしてやるよ」
「はぁ……」
俺は呆れてため息を吐く。
一体、どうしてこういう奴ほどしぶといのだろうか。
ゲームをやっていた時もそうだ。この少女のように、本当に生き残って欲しかったキャラに限ってあっさりと死ぬのに、こういうどうでもいいヘイト役は無駄に長生きしては、プレイヤーを苛立たせてくるのだ。
こいつは特にそうだ。少女から奪い去った治癒の加護のおかげで、何度死にかけても蘇る。
ルート次第では、サブヒロインがこの男の毒牙に掛かる事もある。
こいつにトドメを刺しきれないことに、業を煮やしたユーザーも多いだろう。
「へへ、この魔道書には闇の
「黙ってろ」
俺は男の腹部を右腕で刺し穿った。
「かはっ……」
「その加護……返してもらうぞ」
こいつが後々まで祟るのは、その加護のせいだ。
頭を砕かれようが心臓をひねり潰されようが、完全に再生するのがこいつの持つ加護の恐ろしいところだ。
だが、俺の加護は他人の魔法を食らうだけでなく、加護を奪うことすら出来る。
この時のジークはその力に気付いていなかったが、俺は知っている。
「む、無駄……だぜ……こんな傷すぐに」
「試してみろ。お前に加護が力を貸すことは二度とない」
「な、なんだと……」
待てども待てども、男の傷口は塞がらない。
見よう見まねでやってみたが、どうやら成功したようだ。
「あれ……? な、なんでだ? なんで傷が……なんで俺の傷が塞がらねえんだよぉおおおおおおおお……!!」
「加護は俺が取り返した。あとは、このまま死ぬのを待つだけだ。治癒が発動することはない」
「加護を取り返す……だと……? バカも休み休み言え!! 俺たちは、何年も掛けて、丹念に拷問をして、ようやく加護が奪えるんだぞ!! それを……それをこんな一瞬で……!!」
男はあり得ないといった様子で、必死に自分からこぼれ落ちる血を拾い集めては、傷口に塗り込もうとする。
しかし、そんなことをしても無駄だ。加護は既に失われた。もう二度とこの男は蘇らない。
「これ以上は見ていて気持ちのいいものじゃないな」
放っておけばこの男は死ぬ。
俺は少女を連れて男に背を向けた。その瞬間――
「俺だけみすみす死んでたまるかよぉ!!」
最後の悪あがきに、男が魔道書を開いた。
自分ごと俺たちを吹き飛ばすつもりなのだろうが、そんな行動はとっくに予想済みだ。
俺は咄嗟に魔力を練り上げて魔法を発動させる。
「《エクスプロージョン》!!」
それは炎魔法の中でも最上級の破壊術だ。
父の見よう見まねだが、見事にうまく言ったようだ。
凄まじい爆発が起こり、男は跡形も無く吹き飛んだ。
すると、魔道書が宙を舞い、俺の手の中に収まった。
「これは……加護のないものでも魔法が使えるようになる、ヨトゥンの書ってやつか。この魔道書、ゲームだと敵専用装備だったんだよな」
ヨトゥン教徒の持つ魔道書はどれも強力で、序盤は特に苦しめられた。
しかし、それをこうして横取りできるとは、こんな状況で言うのもなんだがラッキーだ。
「あ、あの……」
少女が困惑したような声を発した。そうだ。あんな小者よりも、今は彼女のことだ。
……痛ましい姿だ。
ヨトゥン教徒達は確かにおぞましい迫害を受けてきた。
しかし、だからといって無関係の少女にここまで苛烈な拷問を施すなど正気の沙汰ではない。
「なんとか治癒してあげられれば……って、待てよ……」
――――――――――――――――――――
【加護解放】
《聖女の癒やし》New!!
【スキル習得】
《神聖魔法:D》New!!
――――――――――――――――――――
先ほど男から奪った加護がステータスに反映されていた。
《神聖魔法》は治癒を司る属性だ。早速、治癒の魔法を発動してみせる。
「え……嘘……?」
少女の失われた腕と瞳がみるみるうちに再生していく。
俺が扱える《神聖魔法》は初歩のものだ。
しかし、《聖女の癒やし》はは治癒の効果を格段に向上させる。
それは失われた身体の部位を再生させる事すら可能にした。
「よし、どうだ? 体の調子は?」
「え……嘘……見える……」
少女が信じられないといった様子を見せる。
「でも、どうして? その加護はあの人に……」
「俺の加護には相手の加護を奪う力があるんだ。それで、治癒を施してみた。初めてだからうまくいったか自信が無いんだが、その様子だと問題なさそうだな」
「はい。何も見えなかった目に、はっきりと光が……うぅ……」
感極まった様子で涙を流す。彼女の頬を伝う涙が、彼女の失われた瞳が完全に取り戻されたことを示していた。
「本当に辛い目に遭ったな。だけど、もう大丈夫だ。君を苦しめた奴はもういない」
俺は彼女をなだめるように、その頭を撫でる。
すると、彼女は俺の胸に顔を埋めて大声で泣き続けるのであった。
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