第21話 堕天使ルシファーはサタンの如く
その日の五島列島海域には、強風波浪高波警報が発令されていた。
山中と健人は船のエンジンルームに潜み、「光進丸」の出方を窺っていた。
前日、山中には、いつも「金塊」を取引する佐世保在住の中国組織の関係者から、今日、取引を行う旨、連絡が入っていた。
山中は覚悟を決めていた。
「やはり、金塊の密輸もこの日を指定して来た。
それは、ある意味、今日、この日、闇の取引には絶好日和である証であり、ならば、必ず、「光進丸」は動くと」と踏んでいた。
そして、山中は自身の取引の実行を了解していた。
中国組織の横の結び付きの強さを充分に了知していた山中は、自分が金塊の密輸を下手な理由で断ることによって、中国側に無用な憶測を与えることは避けたかったのだ。
そして、この絶好日和の機会を逸することを懸念し、いつもどおり、怪しまれぬよう、金塊の受取ミッションを承諾していた。
山中は金塊が取引される「海蛍」の国境に向かうつもりは毛頭なかった。
山中は健人のため、北野を追いかけるつもりでいた。
山中は、中国組織に殺されることを承知しながら、舵を握り締めていた。
午後4時頃、北野は事務所を出て、光進丸に乗船した。
いつもどおりの時刻であった。
光進丸は福江港の内海まで高波模様の海上を南西方向に出港して行った。
山中と健人も操舵室に入り、船を南西方向に走らせた。
山中は、北野に追跡が気付かれぬよう、北野がシケの中、10ノットで進むのに対し、山中は6ノットで船を進めた。
海上はうねりがあり、この間隔で行けば、前から後ろは全く見えなかった。
また、山中は北野が行う取引場所もおおよそ検討が付いていた。
シケの中、縦浮を潮に上手く乗せるためには、男女群島の沖合、南西60km辺りの国境海域辺りに位置する猫島(小島)の北西側の水域しかないと知っていた。
その水域は対馬海流のど真ん中であり、シケの日でも、潮の流れに乗せやすく、船の停船位置さえ間違わなければ、向こう側から流れてくる縦浮は、自ずと視界に入って来ることを
北野はやはり男子群島の南側から進路を北西に変えた。
山中は、「やっぱ、猫島やな。」と呟いた。
北野は、いつもどおり、猫島沖、国境海域まで500m辺りに停船した。
山中の船は、北野の光進丸から猫島寄り2km地点に停船し、漁火を切った。
時刻は午後7時を周った頃であった。
健人は操舵室の左手に赤い点々が微かに見えるのに気付いた。
そして山中に言った。
「あれが、金塊取引の『海蛍』の海面ですか?」と
山中は何も言わなかった。
山中が金塊を受取る海域、『海蛍』は、猫島より南西側に10km離れたところに位置していた。
健人は察した、
「この爺さん、格好を付けるつもりだ!」と
北野の船が国境に近づくように、ゆっくりと船を走らせ出した。
山中も同じように船を進めた。
北野は国境前、200m地点に停船し、操舵室から出て、北西側を双眼鏡で覗き込んでいた。
やがて、あの黄色い点がうねりに乗って現れて来た。
山中が健人に言った。
「早よ、銃を握れ!チャンスは一回個っきりじゃぞ!」と
健人は竿ケースから散弾銃を取り出し、スラッグ弾を装填した。
黄色い点は次第に縦浮の姿を現し出した。
山中が船を進め出した。
そして、光進丸に縦浮がぶつかるよう船上に乗り上げた。
北野は釣鍵で浮き下の真鯛を引き上げると、生簀に向い、現金を腹に詰め込まれた真鯛を救い、縦浮に結束し、海に投げ込んだ。
その瞬間、山中は大きなうねりに乗り、全速力で光進丸に突き進んだ。
北野が操舵室に入り、合図の漁火を点火しようとしていた。
光進丸の斜め右背後のうねりから山中の船が姿を見せた。
山中は健人に叫んだ、
「2回目を狙え!」と
北野は漁火を1回点火した。
北野はまだ背後に迫る山中の船に気付いてなかった。
山中は叫んだ!
「今じゃ!漁火を狙え!」と
北野は2回目を点火した。
山中が健人を睨んで叫んだ。
「何故、撃たんのやぁー!」と
その瞬間であった。
「ズンっ」という発射音が海鳴りを消し分け、一瞬、響いた。
すると、光進丸の操舵室の右手窓硝子が、白い結晶の粉のように破裂した。
健人の放ったスラッグ弾は北野の右側頭部を捕らえた。
山中は健人に言った。
「あんた、俺の魂胆、知っとったんやね。」と
健人はそんなことはどうでも良いよう、山中に言った。
「早く船を光進丸に寄せてくれ!」と
山中は大声で、
「あんた、ホンマに肝が座っとるわ!、益々、気に入ったたい!」と言いながら、船を光進丸に寄せた。
健人は散弾銃を握ったまま、光進丸に飛び移り、山中に大声で言った。
「早く、『海蛍』に向かって!」と
山中は右手で敬礼しながら、舵を左手に切り、『海蛍』の海域に船を向かわせた。
山中はこう思っていた。
「やっぱ、ワシが知らん、凄か!男は居るもんや。」と
健人は光進丸の操舵室に乗り込んだ。
そこには、首無し死体が舵を握ったままであり、
左側の窓硝子には、脳味噌のような血糊がべっとりと付着しており、
その下には、最早、原形を留めない、かつて人間の頭であったような遺物がぐしゃぐしゃに散乱していた。
健人は、操舵室から生簀に行き、北野が受け取ったであろうと思われる真鯛を引き上げ、
その口から中を除き込み、白い粉のビニール袋を確認すると、
また、その妊婦のような腹をした真鯛の死体を生簀に戻した。
そして、健人は再び、操舵室に入ると、舵を握った首無し死体を抱え、操舵室左出口から、海に投げ捨てた。
そして、健人は舵を握り、船のエンジンをかけ、福江港に向かった。
大シケの海に投げ捨てられた首無し死体は、
対馬海流の真上を、恰も流木の如く、上手くうなりを越えながら、どす黒い重油のような海原を漂い始めていた。
午後11時頃、光進丸は福江港に帰港した。
健人は散弾銃にスラッグ弾を装填し直し、エンジンを切り、漁火を消し、エンジン室に潜んだ。
その頃、英一は北野の事務所で詩織の葬式の日程を父太郎とスマホで話していた。
太郎が英一に行った。
「明日、何時には病院に行けるかな?」
英一は答えた。
「朝一の高速船で帰るから、熊本の病院には昼前には行けるよ。」と
太郎は言った。
「それじゃ、通夜は明後日、葬式はその次の日で設定しておくよ。」と
英一は言った。
「ありがとう。研究課題が明日まで提出しないと幹事長に怒鳴られるからな…
それで、詩織はいつ亡くなったんだい?」
太郎は言った。
「先程だよ。午後7時に亡くなった。
お前は間に合わないので、詩織の両親とワシら夫婦が看取ってあげたわ。
苦しまずに亡くなったよ。」
英一は言った。
「すまない。」と
すると太郎が笑いながら言った。
「仕方がない。一年目で幹事長のご機嫌損ねたら、次は無いのはよく分かる。
詩織の両親にもワシから説明しておいたよ。」と
英一は言った。
「そっか、それじゃ、佐野家とも、腐れ縁なしだね。」と
太郎は電話口で大きく頷き、
「次はもっと、丈夫な女を見つけろ」と
英一は、笑いながら、
「心配するなよ。もう見つけてるよ。」と言い、電話を切った。
実は詩織の死に際は、壮絶なものであった。
ヘ○イン、MDMA、覚せい剤の乱用により、
癌末期の神経細胞への侵食による激痛を緩和するための鎮痛剤が全く効かず、
詩織は、激痛に耐えかね悪魔に取り憑かれたようにのたうち回り、
詩織の身体を、医者、看護師2人で押さえ、
その背後では、詩織の両親が「詩織、早く楽になってくれ…」と泣きながら、最期を看取っていたのであった。
城下夫妻は、病室には入らず、太郎は早々と部下に葬儀屋とのやり取りを始めるよう指示を行っていた。
20歳で拉致され、ヘ○インとMDMAで監禁調教され、セックス依存症を患い、
自我とは異なる様々な変質的な性行為を貪り続け、
最愛の健人にも抱いて貰えず、最期は癌の激痛を真面に喰らい、
壮絶な死に様により、この世を去った…旧姓「佐野詩織」…、
彼女ほど、悲運な女性は、神もそう多くは、お造りにはならないであろう…
英一は仕切りに時計を気にし、北野の帰りを今か今かと待ち侘びていたが、既に時計の針は次の日を指し始めた。
痺れを切らした英一は、光進丸が帰港する港に向かった。
すると英一の眼下に停留している光進丸が見えてきた。
英一は辺りを見回しながら光進丸に近づき、
「おい、北野、居るのか?」と小声で呼んだ。
船内から、「えぇ。」と言う声が聞こえた。
英一は「なんだよ、遅いじゃないか!」とボヤきながら、
光進丸に乗り移り、生簀の真鯛を見ながら、操舵室に居ると思われる北野に対して、
「この腹を膨らませて、浮かんでる奴だよな~」とにやつきながら話しかけた。
その時、英一の右側頭部に冷たい鉄のような、2つの穴の空いたような感触が「ヒタッ」と伝わった。
そして、「城下英一、今から付き合ってもらう」と男の声が囁いた。
英一はその男の顔も見上げることができず、生簀に浮かんだ腹の膨れた真鯛を見ながら、
「北野はどうした?」とその男に問うた。
英一に銃口を突き付けた健人はこう言った。
「フカの餌になっちまったよ。」と
英一は慌てながら言った。
「お前は、俺が城下英一と知っててやっているのか?」と
健人は言った。
「あぁ、テレビよりも、さらに、不細工な面してるなぁ~、英一さんは!」と
英一は諦めたように言った。
「俺を殺すつもりか?」と
健人は言った。
「いや、殺さない。」と
そして、こう言った。
「先ずは、詩織と同じぐらい、苦しみを味わって貰うよ」と
英一は、その男が詩織の最愛者であると察したように叫び出した。
「頼む!金は幾らでも出す。助けてくれ!」と
健人は言った。
「詩織はまだ生きているのか?」と
英一は黙りした。
「バンっ」
一発のスラッグ弾が英一の右耳を吹き飛ばした。
「うぎゃ~」と英一は悲鳴を上げ、生簀に落ち込んだ。
生簀の水は、死んだ真鯛の腐れた血と、
英一の右側頭部から流れ出す血とが混じり、
赤色とも紫色とも言えぬ、なんとも濁った色合いが、
ゆらりゆらりと、街灯の薄灯に照らし出されていた。
「分かった、もう撃たないでくれ!詩織は先程、亡くなった、癌で……」と英一が言いかけた、
その時、
「ビシャー」と生簀の水が、岩が落ち込んだように飛び跳ねた。
健人がもう一発、生簀の中にスラッグ弾を発射したのだ。
英一は、ビク!!とし、口を閉じ、薄明かりで見える健人の顔を怖々と見上げた。
英一から見える健人の表情、その眼は、まさに悪魔のように見えた。
正にその時の健人の表情は、恰も堕天使ルシファーが主を裏切り、
地獄に堕ち、サタンと化した魔王の表情であった。
健人は英一にこう言った。
「生きているかどうかを聞いただけだ!
それ以外は必要ない。」と
そして、健人は徐に生簀の蓋を閉めた。
自身の血と死んだ真鯛の臭い血の匂いに満ちた真っ暗な生簀の中で、
英一は魔王サンタらしくない、情けない命乞いを叫び続けた。
「おい!どこに連れて行くんだヨゥ~、北野と同じ、鮫の餌にするつもりか~、助けてくれよ~、助けてくれ~」と
健人は船のエンジンをかけると、山中に電話した。
「獲物は捕らえたよ。そちらはどうだい?」と
山中は「こちらも取引成功たい!」と応じ、
そして、「男女(群島)の黒島の沖合におるけん!」と健人に伝えた。
健人は、「了解!」とだけ言い、電話を切ると、船を走らせた。
闇夜のシケの海原を、ただ一艘の船が突き進んでいる。
その操舵室の舵を握る男の目からは涙が流れていた、
前など見ても見えないほど、涙が流れ出していた。
健人は誓った。
「詩織、お前の願いは、最期の願いだけは、俺が叶えてあげる!」と
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