2 田中と伊藤
私は人より秀でたものはなかった。
特に美人だったわけでもないし、頭が良かったわけでもない。友達もそんなに多くなかった方だし、至って普通の女子高生でしかないと自分では思っていた。
人と少し違っていたのはニンニクや刺激調味料が好きだった事。
いつでもチューブニンニクや七味や一味を常備していたし、弁当だろうが購買だろうが、寄り道先のファミレスだろうがラーメン屋だろうが基本マシマシで食していたほどだ。
それ故に鞄の中には他者を不快にさせないように歯磨きセットとフリスクを常備していた。
その日も購買で買った唐揚げパンにニンニクを付け加えたものを昼食とし、友人達とに苦笑いされながらものんびりとした時間を過ごしていた。
昼休みが終わる十分前ほどからやけに校舎が騒がしくなっていた事には気づいていたが、特に問題はなかろうかと私達はルーティンの如く手洗い場で歯を磨く。和気藹々と話をしながら教室に戻ろうとすると、男女共に人気者の渡瀬藍がユラユラと体を揺らさしてそこにいたのである。
「渡瀬さん、どしたの? 怪我?」
「保健室いく?」
よくよく見れば制服のところどころに血のようなものが付着しているし、下品な話、女子の日だとしてもそこまで着衣に付着している事はないと思う。制服が若干乱れているところを見ると、彼女の友人達と何かをやらかして怪我をしたと考えるのが妥当だろう。
人気者の渡瀬さんにもそんな一面があるのだなと思いつつも介抱をするために手を伸ばしてみれば、彼女はその手を取るどころか力いっぱい私の右手に噛みついてきたのである。
「ッ──!?」
「ちょっ、渡瀬さん!?」
ブチリと彼女の犬歯が私の皮膚を突き破る音と共に、今まで生きてきた中で一番になるであろう酷い痛みがはしる。そのまま肉が食い千切られてしまうのではないかと考えながら必死に手を振り払い、共にいた友人の一人も加勢して肉がえぐれる前に彼女から離れることができた。
しかしながら渡瀬さんはまた私を襲おうと血まみれになった口を大きく開けて近づいてくるではないか。
「わ、私! 先生呼んでくる!」
「はっ!? 一人だけ逃げないでよ!」
「呼んでくるからトイレにでも篭ってな!!」
襲いくる渡瀬さんを交わし、背中に走り去る友人を私ともう一人の友人・伊藤は見送る。そして傷口を抑えながら後方に位置する個室トイレに滑り込み鍵を閉めた。
「渡瀬さん!? いきなり噛むのはないと思うよ!? 田中が何かした!?」
痛みで声の出ない私の代わりに伊藤が渡瀬さんに叫び問うも返事はなく、代わりに激しく扉が叩かれる。唸りような声や伊藤の声に合わせ放たれる奇声から渡瀬さんがいつもと違い異常行動をしているのがいやでもわかった。
「──田中、大丈夫? 手、貸して」
「──ッ」
噛まれた右手を伊藤に差し出せば彼女は怪訝な顔をしながらそこにハンカチを当ててくれて、先生がくるまでここで待とうと言った。私は腕の痛みに耐えながら頷き、痛みと噛まれた恐怖を思い出し思わず涙を流したのである。
それから数分も経たないうちにトイレの外から多数の悲鳴が聞こえ、生徒達の逃げ惑う足音も聞こえてくる。私たちは扉の外で何が起こっているのかわからない恐怖も抱きながら、互いに肩を寄せ合っていた。
噛まれてからどれ程時間が経ったかはわからないが、恐怖の中では数分が数十分にも感じられた程だ。早く誰か来てくれと願っていても一向にくる気配はなく、ただどこかでまた悲鳴が上がる。まだ扉の前にいるであろう渡瀬さんは、いまだに発狂したかのように扉を叩きつけていた。
「ッ──、ァ」
ドクンと一度私の心臓が力強く脈うち、身体中に痛みがはしる。
「田中!? 大丈夫? しっかりして!」
伊藤が私を背中をさするが、そんなことで消える痛みではなかった。
心臓はドクドクと早く脈打ち、身体中の節々が熱を持ったように痛み出す。ガンガンと頭を打ちつけられるような痛みも始まり、目の前がチカチカと点滅しだす。
私の体に何が起こっているのか分からないが、良くないことだけは伊藤は理解したのだろう。
意を決したような顔をした伊藤は先生を呼びにいくと私に告げ、そっとトイレの鍵へ手を向けた。
「イ、伊藤……」
行かないで。
そう言葉を発したと私は思った。
思い込んでしまった。
しかし私は言葉を発したわけでなく、私の意に反して伊藤の肩に齧りついていた。
ブチブチと皮膚を破る音と口内に広がる鉄の味。満腹まで食べたはずだというのに、血の味に刺激され腹が減ったような変な感覚が私の脳を支配する。
伊藤の叫び声を上げているというのに私のその行動を止めることなく、一箇所二箇所と伊藤の体にかぶりつき肉を引き裂いた。
どうしてこんな事をしているのだろう。
何故私はこの行動をやめられないのだろう。
今の私は異常だと理解しているに、何かに支配されてるかのようにやめられない。
頬を血に濡らし、彼女の喉を食いちぎり、全身が血に塗れても私は彼女を喰らい続けた。
それからどれくらいの時間が経ったのだろうか。
伊藤が原型をとどめなくなった頃、私の体はようやく私の思うがままに動くようになった。
友人を食い殺したばかりだというのに、不思議と罪悪感はない。まるで何かに操られているように、コレは襲い食らうものだと脳が認識している。
そんなはずないのに、あっていいはずないのに。
「……イ藤、ゴメン」
彼女の亡骸に黙祷し、私は未だ扉を叩き続ける渡瀬さんと対峙すべく鍵を開ける。
しかしながら彼女は私に噛みついた時とは違い、こちらに襲い掛かろうとしてこない。むしろ私の姿を確認するとくるりと背を向け、ゆっくりと移動を始めたのだ。
私は遠ざかっていく彼女に対して敵対心を持つこともなく、ただ目の前にある鏡に釘付けになってしまっていた。
鏡に映る私は伊藤の血を浴びて皮膚の色が赤黒く変わり、髪もカピカピになってしまっている。白目も血走ったように変わり、まるで私を襲った渡瀬さんのようであった。
「──ダカ、ラ?」
口から出る言葉もどこかおぼつかなく、思考されてもことがスラスラと出てくることもない。
私はきっと彼女に仲間だと思われたのだろう。だから襲われなかった。襲うのは、普通に生きている人だけなのだろう。
そんな映画に出てくるような、漫画に出るような存在に私はなってしまったのだと思う。
「──顔、洗オ」
何故か思考はちゃんとしているが、この先どうなるのか分からない。
それ故に私は、ひとまず顔と髪を洗った。
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