孤独な蝶は、かつての花園を。
王宮に着いた私たちは、煌びやかな王宮の門を通らず、裏側から王宮に入った。
心做しか、裏の入口に咲いていた紫色の花は元気を取り戻しているかのように見えた。
王宮の中にある、月の間。その前にある豪華な襖。そこに菊さんたち三人が待ち構えていた。
「はは。仲良さそうで何よりだよ。月夜様は中で待ってるから、早く行ってあげな」
菊さんはそう、歯を見せて笑う。鈴さんや琴さんも菊さんの言葉に頷いた。そして、その豪華な襖を開ける。
「おかえり。旅は楽しかったか?」
月夜様は優しく微笑みながら、そう尋ねた。
私たちは月の間に入ったが、あの三人の姿がなかった。部屋には私と燈火さんと月夜様の三人。
私と燈火さんはどこか気まずそうにしているのに対して、月夜様はその笑みを壊さない。
「まあ、座れ」
月夜様は目の前にある座布団を指した。私たちは恐る恐るその座布団に座った。
一体、何の話をするのだろう。そう思い、固唾を呑む。
「まず兄上は我から話を聞き、星蘭は兄上から話を聞いたな?」
私は月夜様のその問いに頷く。
「驚く、よな。当たり前だ。我もお主らの立場であればそんな顔をするだろうしな。だが、まずはこれを言わせてくれ。また会えて良かった」
月夜様は私たちをどこか懐かしむように見つめて微笑む。月夜様は私たちと、厳密に言うと私たちの魂と最後に会ったのはずっとずっと昔のことなのだ。
この三人の魂の関係がどのようなものなのか知らないけど、きっと切ることのできない縁が、そこにあるのだろう。
「まあ、でも星蘭が違う世界で転生をしているとは思いもしなかった。だから我が呼び出した。国王に話し込んでな」
「え?」
「何、そんな難しいことでもない。ちょちょいのちょいだ」
月夜様はそう笑って話す。
そういうことではなくて。転生どうのこうのは置いといて、世界をまたいで呼び出すことなんてできるのだろうか。
「本当は百年程前に呼んだはずだったのだが、人違いだったのだ。しかし、その者はとても面白い文化を持つ国から来たものでな。この世界に取り入れるために一番手っ取り早い結婚をした」
「……それって、まさか」
「ああ。この前お主に見せた日記の持ち主、勇だよ。魂の叫びが似ていて、特に確かめもせずに呼んでしまったのだ。すぐに記憶を消して帰してやろうかと思ったのだが、面白かったから留めてやった。だからこの桜華国は日本語を母国語とし、日本のような文化を持っている。我は珍しいものが好きだったから、このような文化を大変気に入ったのだ」
月夜様はそう嬉しそうに話した。
勇さんのことを愛した、とかではなくただ単にその人物、知っていた文化を気に入ったから隣にいさせた。とは言ってるものの、そう嬉しそうに話す様子から、勇さんを愛していたことを、薄々とだか感じさせた。
桜華国が日本と似てたのは、そういう意味があったのか。
でも、桜華国出身でないリュカ様も日本語を使っていたような?
「我があまりにも日本という国を気に入ったからな。歴史もちょちょいと変えさせてもらった。この世界の人間の言語を日本語としたのだ。国によって言葉が違ったら面倒だろう」
そんなことできるんだ。そもそも、そんなことしていいんだ。
私は少し呆れたように月夜様を見る。
でも、こうやって他の世界の人から日本のことを気に入ったということを聞けて、少し嬉しくなった。
「月夜。少し質問があるのですが、良いですか?」
「うむ。我が答えられる範囲であれば」
燈火さんはいつになく真剣な顔で月夜様を見る。
何を聞くつもりなんだろうか。
「なぜ、星蘭をここに呼んだのですか?」
「それか。答えは難しいものではない。かつて何度も聞いてきた魂の叫びが、また聞こえてきたからだ」
私はその言葉に息を呑んだ。
確かに、私は元の世界で酷い扱いを受けてきた。子は、愛されるもの。なのに私は愛されなかった。母からもらった言葉は、お前を産まなければという言葉しか覚えていない。
私は何も考えず、感情を押し殺していた。そう、していたはずだったが、魂はずっと助けを求めていたのだ。遠く離れた世界にいる人へと。
「助けて欲しい。愛して欲しい。孤独な私の隣に、誰かいて欲しい。そんな強い意思が我の元に届いたからな。本当にその魂があの黒蝶なのか、呼ぶ時にちゃんと確かめてここへ呼んだのだ。あの時はとんがっていた兄上にも協力してもらって、我の目が届きやすい場所へ留まってもらった」
燈火さんは月夜様の言葉を聞いて睨むように月夜様を見ていた。多分、とんがっていたという言葉に反応したのだろう。言葉通り、とんがっていたではないか。
「それで、月姫。あなたの本当の目的は一体何ですか?」
「……我は、ただお主らに平和に生きて欲しい。そう願っているだけだよ」
「それはそれは。優しいお姫様なことですね」
燈火さんは少し皮肉ってそう言う。だが、その燈火さんの言葉にも月夜様は少し眉を下げて微笑んだ。
「本当のことだ。二人、互いにそばにいるのは一人しかいないのに一緒にいられないなど、こんなにも酷いことはない。そして、二人共に死ぬなんて惜しいにも程がある」
月夜様は丸窓から見える綺麗な月を眺めた。深く濃い青色が広がる夜空に浮かぶ黄金色の月は、とても美しい。
「だからな、我は今度は二人死ぬまで一緒にいれられるようにして欲しいのだ。そしたらまさか創造神様は我の兄だし、破壊神様はこの世界にはいないし、驚きの連発だった」
月夜様はそう話しながら笑う。
死ぬまで二人で。それは、かつての私が望んだことだった。平和に、ただ美しい世界を大事な人と共にいれられたのなら。どれ程尊いものだろうか。
「なあ、リュカ殿」
月夜様はそう目線を少し斜め上に上げてうっすらと微笑む。
私と燈火さんは急いで振り返った。
そこには髪が乱れた姿のリュカ様が息を切らしてそこに立っていた。
「……胡散臭い笑顔を向けないでくれるかな。ほんとうざぁい」
リュカ様は柱にもたれかかり、腕を組んで月夜様を睨む。
「リュカ殿も、お主らに縁があるのだ。あまり良くない縁だがな」
「俺は二度と会いたくなかったけどねぇ。この場にいる全員に」
「あの、なぜリュカ様がここに?」
「我が呼んだ」
「本当に面倒臭かった。……この姫様の話が本当なら、星蘭が黒蝶になる前のこと。俺は神と呼ばれた少女を地下に閉じ込めた」
私がその言葉に目を見張った。黒蝶が、世界が世界を滅ぼす存在と成り果てた原因は、この人だったのだ。
地下に閉じ込め、黒蝶から希望を奪い去った人。
私の手には汗が滲み、背に冷たい汗が流れる。
「そんな怖い顔しないでよぉ。もう何もしないからさぁ。この姫様に釘刺されてさ。手、出せないんだよねぇ」
リュカ様はそう手をヒラヒラとさせた。
そうは言ってもさっきまで私を消すとかどうのこうの言っていたではないか。説得力というものが全くない。
「まぁ、悪いとは思ってるよ。でもまさか既に二回世界滅ぼしてたんだねぇ。ふふ、ご苦労様」
その言葉に私の左側の温度が一気に下がった。隣にいる燈火さんがリュカ様を見つめる視線がとても痛い。
隣で何やら物騒な言葉がぶつぶつと聞こえたのは、きっと幻聴だ。そういうことにしておこう。
「自分でやってきたものが、巡り巡ってこの姫様の思うがままだったとは。やられたねぇ」
「我に勝とうだなんて思うだけ無駄だ」
月夜様は勝ち誇ったような顔で胸を張る。それを見たリュカ様は歯を食いしばって、悔しそうな顔をする。
どういう状況だ。私が混乱してきた。
一度深呼吸しよう。吸って、吐いて。吸って、吐いて。ふぅ。
「なぜこの男を呼んだのかというと、我がこの男と結婚するからだ」
「は?」
月夜様の急な告白に私たち三人は揃って変な声を出す。
一番驚いていたのは、リュカ様。そういえば婚約破棄したとか言ってたっけ。
「婚約破棄したのだがな。これでは両国にとって損しかない。我はこの二人が幸せに生きるために生きていたいから、腹を括って結婚してやるのさ」
「はぁ? 二人のために俺が腹を括るって? 冗談じゃない。俺は反対する」
「なら、お主の国を滅ぼしても文句はないな。皇王様に謝るのだ。国が滅びたのば自分のせいだとな」
「このっ……!」
リュカ様はずかずかと月の間に入り込み、月夜様の側へ行ってガミガミと文句を言い始めた。月夜様はそれを冷静かつ煽りながら返す。
何だかんだ、仲良しそうに見えるのは私だけだろうか。
言い合いをしていた月夜様は一瞬私を見て微笑んだ。私はそんな月夜様をただ見つめる。
「そうだ、星蘭。この王宮の温室へ行ってくると良い。兄上と共にな」
月夜様はそれだけ言うとまたリュカ様と言い合いを始めてしまった。
私はしばらく燈火さんと見つめ合っていたが、お互いに短い溜息をつき、立ち上がった。
「温室へ案内しましょう。一度行ったことはありますけどね」
私たちは騒がしい月の間を出て、すぐ目の前にある階段を下りる。裏口から王宮を出て、すぐ左にある大きなドーム型の建物。それが温室だ。
「あの温室は私が子供の頃に作り始めたものなんです。なぜか、無性に花が見たくて。国王に、生まれて初めて頭を下げて温室を建ててもらったんですよ」
「自分で……?」
「ええ。見覚えがないのに、心が見たいと願っている花を植えたんです。星蘭がいない間、王宮に来ては必ずここへ立ち寄って、いつかの記憶に浸っていたんです。思い出せない程、遠い過去の」
燈火さんはそう言いながら温室の大きな扉を開けた。温室内は温かく、花の匂いが体を包み込んだ。
色鮮やかに咲く花々は、力強く咲いている。
燈火さんはそのフードを取って、大きく息を吸い込んだ。顔が見えない程フードを被っているから息がしにくいのだろうか。
「こうカラフルな花が並んでいると、星蘭の黒髪が映えますね。綺麗だ」
燈火さんはどこか懐かしむように微笑んでいた。私は今まで醜いとしか思っていなかった自分の髪に触れる。
この世界にはいない、たった一つの黒い存在。燈火さんのように目を引く綺麗な色でもない。
それでも、燈火さんにそう言ってもらえたことで、私の心はそれだけで満足してしまった。現金な人間なことだ。
「燈火さんも、白くて綺麗ですよ。絵画みたいです」
燈火さんは私の言葉に目を丸くさせた。
何かおかしなことを言ってしまったのだろうか。
「そう、ですか。白髪を持っていて良かったと、そう思える日が来るなんて思いもしませんでした。ありがとう、星蘭」
「い、いえいえ。礼を言われることなんて何もしてませんよ」
「……きっと、私は星蘭とこの景色を見たくてこの温室を作ったのでしょうね。かつての私が、そうしたかったように」
燈火さんはそっと、大事に花に触れた。風がそっと吹いて温室に咲く花が一斉に揺れる。
思い出せないし、その記憶がある実感もない。
けれど、いつの日か、誰かとこう花々が咲き誇る色鮮やかな世界を見ていた気がすると、そう感じた。
どこからか訪れた色鮮やかな蝶が、一輪の花で美しい模様の羽を休める。その花は、美しい橙色をしていた。
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