ひとりぼっちの僕と、ポンコツな魔女の誕生日

 今日が誕生日だと気づいたのは、朝起きてからだった。



「…………」



 眠たい目を擦りながら、エドワード・ヴォルスラムはベッドから起き上がる。


 銀狼族ぎんろうぞくの集落を飛び出してから数ヶ月が経過し、雪が解けて春を迎えた。その春も通り過ぎ、今や新緑が芽吹く爽やかな季節となった。

 この時期になると野生動物も活発化して、木の実もたくさん収穫できた。それに伴って誕生日でもあるので、母が手製の焼き菓子を振る舞ってくれて、父が狩った鹿肉や猪肉を食べるのが恒例行事だった。その瞬間が、今思えばとても幸せなことだったのだと実感する。


 もうあの頃に戻ることは出来ないのだ。



「着替えなきゃ……」



 エドワードにあてがわれた部屋は、部屋と呼んでもいいのだろうか。


 元々はどこかの国の図書館だったらしく、エドワードの使用している部屋は司書が住み込みで生活をしていた部屋らしい。背の高い本棚には数多くの蔵書が詰め込まれているものの、エドワードには読めない文字がたくさん並んでいて眠くなってしまう。開こうともしないので本には埃が積もっていた。

 大きなベッドを1人で占領する生活は憧れがあったものだが、これほど寂しいものだとは想定外である。1人で眠る夜は冷たくて、どうしてもよく眠れない。目を閉じれば家族が同じ銀狼族の仲間に殺された瞬間を夢に見てしまう。


 脳裏をよぎる真っ赤な世界を振り切って、エドワードは部屋の隅に置かれた小さな衣装箪笥の扉を開けた。大きさの割に中身はそれほど詰まっておらず、ハンガーに引っかかった状態の同じような衣類が並んでいるだけだ。



「洗濯物もしなきゃかな。今日は天気がいいし」



 適当な洋服に袖を通したところで、部屋の外から何か音が聞こえてきた。



 ――ドガアアアアアアアアアアアンンン!!



 明らかに爆発音である。


 あまりの音の大きさに、エドワードは思わず飛び上がってしまう。

 縮み上がった心臓を押さえて、まずは部屋の状態を確認。爆発音は聞こえたもののエドワードの自室に変化はなく、とりあえず無事であることに安堵した。


 当然のことながら、エドワードはこの図書館でひとりぼっちの生活をしている訳ではない。この図書館を先に占領していた、奇妙な魔女との共同生活を送っているのだ。



「またあの人は……」



 呆れたように呟くエドワードは、急いで洋服を着てから部屋を飛び出すのだった。



 ☆



 図書館の壁がぶち抜かれていた。


 比喩ではない、外から砲撃を受けたのかと錯覚するほどの巨大な穴がエドワードご対面を果たしていたのだ。存在していたはずの本棚は吹き飛び、足元には書籍と一緒に瓦礫も散乱している。

 一体何をしたらこんな巨大な穴を開けることが出来るようになるのか。銀狼族がエドワードを嗅ぎつけて追いかけてきて、図書館を襲撃したってここまでの被害には繋がらない。もはや災害である。


 その大穴を作り出した原因は、広げた魔導書と睨めっこをしながら首を傾げていた。



「……おかしい、小さな炎を生み出す魔法が何で爆発するんだ?」



 魔導書をくるくると回転させながら原因を探るのは、銀髪碧眼の女性である。


 透き通るような銀色の髪は床に広がるほどの長さがあり、透き通るような青い瞳は疑問に満ち溢れている状況である。人形の如く整った顔立ちに感情が乗せられることはなく、ただただ壁に大きな穴を開けたことに対する原因究明を急いでいるようだった。

 浮世離れした美しさを持つ女性だが、葬式を想起させる黒色のドレスのみを身につけていた。装飾品の類は一切なく、図書館という公共の場所はおろか普段使いとして適していない格好と言えよう。


 呆然と壁の穴と魔導書を読み込む銀髪碧眼の女性を眺めるエドワードの存在に気付いたのか、彼女はふと振り返ると無表情のまま挨拶してきた。



「おはよう、獣の子」



 それに対するエドワードの解答は、至って簡単だった。



「おはよう、魔女様」



 ――この銀髪碧眼の女性は、ユフィーリア・エイクトベルと言った。


 エドワードより前にこの図書館に住んでいた魔女で、最近では魔法の練習に励んでいるのかよく爆発を起こすのだ。おかげで爆発音にそこそこ慣れてしまっている節がある。

 幼いエドワードを匿い、また追い出す気配はない。それどころかいつ食事をしているのか、いつ寝ているのかさえ不明だ。割と多くの謎に包まれており、感情を表に出すことさえない無表情でどこか怖い印象を受けるばかりだ。


 決して悪い人ではないのだが、彼女の行動を読むことが出来ない。そこだけが難点である。



「また失敗した、直さなきゃ」



 ユフィーリアはツイと右手の指を動かす。


 その動きに合わせて床に散らばった瓦礫がひとりでに動き、次々と壁に嵌め込まれていく。あっという間に壁は修復されて、横倒しになっていた本棚も元通りの状態にしてなる。

 毎日のように魔法を失敗しているからか、修復の魔法だけは詠唱をしないでも完璧に使いこなせている様子である。この幻想的な光景は、いつ見てもエドワードには真似できないことなので尊敬できる。


 壁の修理を終えたユフィーリアは、申し訳なさそうにエドワードへ消し炭となった何かを差し出す。



「ごめん、失敗した」


「また朝ご飯を失敗したの? 俺が作るって言ったのに」


「ごめん」



 その消し炭になったものは、よく見たら目玉焼きのようである。炭化しているので判別できなかったが、おそらくそうだとしか言いようがない。

 朝食を作ろうとして爆発するのはこれで何度目だろう。魔法を使って朝食を作ろうと考えるのがそもそも間違っているような気がしてならない。


 落ち込んだ様子のユフィーリアから炭化した目玉焼きを受け取ったエドワードは、



「これはもったいないから捨てちゃおう。俺が朝ご飯を作るよ」


「ごめん」


「今日で3回目だよ、謝るの」



 とりあえず炭化した目玉焼きはゴミ箱に捨て、エドワードは使い慣れた台所に向かう。

 台所は無事だった。魔法を使ったら爆発するということを理解しているからか、必要な食材だけを運んで使ったらしい。それで爆発を引き起こした回数は、もう覚えていられないぐらい多い。


 かまどに薪と小枝を放り入れ、かまどの側に置かれた籠から山積みとなった赤黒い石を手に取る。それをかまどの縁に叩きつけてから中に放り入れると、薪や小枝を巻き込んでめらめらと炎が出てきた。

 火起こし石と呼ばれるもので、衝撃を与えると発火する不思議な魔石だった。母親の家事を手伝った時に教えてもらった知識である。


 使い慣れたフライパンを用意するエドワードに、台所を覗き込んできたユフィーリアが声をかける。



「朝食が終わったら出かける。お前も来い」


「どこに出かけるの?」


「人のいる場所」



 魔女の曖昧な回答に、エドワードは「は?」という言葉しか出てこなかった。



 ☆



「うわあ……」



 エドワードは目の前に広がる光景に目を輝かせる。


 大小様々な建物が並び、人通りも多い。たくさんの馬車が行き交い、大勢の人間を目的地まで運んでいく。

 大通りは洋服屋や雑貨屋などの店舗が並んだ商店街となっており、窓の向こう側に飾られた玩具やお菓子を眺めてエドワードと同い年ぐらいの子供たちが「いいなぁ」とか「美味しそう」とか呟く。実際、売られている商品はどれもこれもピカピカで輝いており、エドワードが見たことのない綺麗なものばかりだった。


 感情の読めない青い瞳で行き交う人々を眺めるユフィーリアは、



「レティシア王国に来たことはない?」


「ここは遠いから」


「そう」



 このレティシア王国に到着するまでの時間も早かった。

 エドワードとユフィーリアが暮らす図書館からこの国までだいぶ離れていると思うのだが、ユフィーリアがエドワードを抱えて右手を掲げた瞬間に景色が切り替わってこの国の真ん中に移動したのだ。魔法を使った料理は失敗する割に、他の魔法の成功率は高いらしい。


 エドワードはユフィーリアの背中を追いかけて、



「ねえ、魔女様」


「何?」


「その格好は止めない?」



 ユフィーリアの格好は伸ばしっぱなしにした銀髪と黒色のドレスのみである。ボロボロの裾から覗く足に靴の存在はなく、裸足の状態でペタペタと地面を踏みしめていたのだ。髪も地面に届いてしまっているので引きずっており、背中を追いかけるエドワードが髪を抱えている状況である。

 通行人は綺麗な洋服に身を包み、この場の雰囲気に相応しい格好をしている。浮いているのはユフィーリアだけだ。同行者としてエドワードも浮いているように見られてしまう。


 奇異な視線を周囲から投げかけられていることにようやく気づいたユフィーリアは、



「髪を持たせたままにするのは、迷惑がかかるか」



 ユフィーリアが取り出したものは、雪の結晶が刻まれた煙管である。

 この場で喫煙を始めるのかと思えば、彼女はさながら魔法の杖のように煙管を一振りした。それだけで魔法が発動し、彼女の綺麗な銀髪が三つ編みに編まれていく。童話のお姫様がしていたような髪型を、雪の結晶の形をした髪飾りが彩りを添えていた。


 綺麗にまとめられたおかげでエドワードが髪を抱える必要性はなくなったが、それでも葬式を想起させる真っ黒なドレスと裸足の状態はそのままだ。奇異な視線が収まることはない。



「せめて靴を履いてよ、あと黒いドレスも止めて」


「注文が多いな」



 エドワードの要求に、ユフィーリアは「仕方がない」と肩を竦めて雪の結晶が刻まれた煙管を一振りした。


 装飾のない黒色のドレスが濃紺のドレスに変わり、足元も裸足の状態から黒い革製の靴で覆われる。ドレスの生地には銀糸が織り交ぜられているからか星空のように煌めいており、括れた腰を強調するかのように胴着が巻かれる。

 先程まで陰鬱とした空気を纏っていたはずの魔女が、さながらおとぎ話のお姫様に早変わりである。通行人も魔法による鮮やかな変身を目の当たりにして驚きを露わにしていた。子供たちも大興奮である。


 ユフィーリアは自分の格好を一通り確認すると、ニコリともしないまま首を傾げた。



「どう?」


「え、あ、うん。綺麗だよ」


「そう」



 エドワードの月並みな感想を受けたユフィーリアは、



「じゃあお前も綺麗になってもらわないとな」


「え?」


「目的地はそこだ」



 ユフィーリアが示した場所は、子供服専門店である。しかも高級感漂う店だった。

 試しに展示されている洋服の値段を確認してみると、想定よりも桁が多い。主に古着を着回していたり、母親手製の服だったり、被服費にお金をかけてこない生活をしていたので場違い感が半端ではなかった。


 値段を見て固まるエドワードの首根っこを引っ掴んだユフィーリアは、問答無用で子供服専門店の扉を開く。



「この中から好きなのを選べ」


「無理だよ!!」


「何で?」


「だって高いもん!!」



 首根っこを引っ掴まれて店内に引き摺り込まれたエドワードは、怯えた目で店内を見渡す。


 利用客はエドワードと違って仕立ての良さそうな衣服をまとった子供たちで、両親が熱心に商品を試着させている。店員は大人たちにニコニコと媚びへつらっており、エドワードのような庶民が洋服を買うような場所ではない。

 こんなところで洋服を買うような金銭的余裕などエドワードにはなく、ユフィーリアも基本的に図書館から出るような印象がないので資金力があるのか不明である。彼女に関して何にも分かっていない。


 ところがエドワードの抵抗虚しく、ユフィーリアは近くにいた店員を平然と呼び止める。



「この子供に似合いそうな洋服を片っ端から試着させてほしい。着られたものは全て購入する」


「かしこまりました」


「ちょ、おい人の話は聞け!! おいこら!!」



 ジタバタと暴れるエドワードは哀れ店員に試着室へ連行され、着せ替え人形にさせられるのだった。



 ☆



 疲労感が半端ではない。



「つ、疲れた……」



 数十着にも及ぶ高級な衣類を代わる代わる着せられて、その全てを購入するという暴挙に出たユフィーリアは、エドワードの首根っこを再び掴んで近くの喫茶店に入った。

 喫茶店の商品も目を見張るほどの高額な商品がずらりと並んでおり、水を頼むだけでもお金を取られるという高級店仕様となっていた。ケーキなどの甘いお菓子は強請るにしても高額で、エドワードではとてもではないが出せる金額ではない。


 燦々と陽の光で満たされるテラスの椅子に座るユフィーリアは、



「注文いいか?」


「はい、ただいま」


「も、もう止めよう、もう止めようって」



 エドワードの制止も聞かず、ユフィーリアは注文用紙を片手に寄ってきた店員へ普通に注文をしてしまう。



「この店で1番高い商品を持ってきてくれ、飲み物は果物のジュースを。あと最近話題になってる泥水みたいな色の飲み物」


珈琲コーヒーでよろしかったでしょうか?」


「ああ、それ。そんな名前だったような気がする」



 店員は注文用紙に鉛筆で商品名を書き込んでいくと、恭しく頭を下げてから店奥に引っ込んだ。


 もう訳が分からない、この魔女が何をしたいのか理解できなかった。

 急に高級な子供服専門店に放り込まれたと思ったら着せ替え人形にされるし、喫茶店に連れ込まれたと思えば「高い商品を持ってこい」と意味不明な注文をする始末だ。目まぐるしく状況が変わっていくから頭がついていけない。


 ややあって注文を聞いてきた店員が、銀色のお盆に商品を載せてやってくる。



「こちらフルーツケーキになります」



 エドワードの前に置かれたものは、白い皿に載せられた真っ白いクリームで覆われたケーキである。四角の形をした台座の上に蜜がかけられた果物が隙間なく敷き詰められ、甘い匂いが鼻孔を掠める。

 砂糖や果物は高級品であり、取り扱いもあまりない。ましてケーキなんて夢のまた夢のような商品である。エドワードだって食べたことのないものが平然と目の前に置かれ、どうすれば正解なのか分からない。


 テーブルを挟んだ向かい側で陶器のカップに注がれた焦茶色の液体――珈琲を表情ひとつ変えずに啜るユフィーリアに、エドワードはケーキの皿を押し出しながら言う。



「いらない」


「何故?」


「もらう理由がない」



 ユフィーリアは僅かに首を傾けると、



「今日はお前の誕生日だろう。図書館の絵本で、誕生日はプレゼントを贈ってケーキを食べるとあった」


「え……」


「絵本の子供はとても喜んでいたのに、お前は喜ばないな。私は何か間違ったことをしたか?」



 そこで、エドワードはようやく理解する。


 今日が誕生日のエドワードを、ユフィーリアは彼女なりにお祝いしているつもりなのだ。何も言ってくれないから、何か裏があるのではないかと勘違いしてしまった。

 目の前に置かれたケーキは誕生日ケーキで、山のように積まれた子供服専門店の紙袋はエドワードの誕生日プレゼントのつもりなのだろう。誕生日をお祝いするという経験がないのか、全て絵本から仕入れた拙い知識を元にした結果がこれだ。



「私は自分の誕生日を覚えていないから、祝われたこともない。自分が何歳なのかも分からない。だから誕生日を祝ってみたかったけれど、この方法が間違いなら正してほしい」


「何で、俺の誕生日を知ってるの? 教えていないのに」


「1週間前ぐらいからソワソワしていたから、何かと思って魔法を使った。痕跡は分からないと思う」



 エドワードは頭を抱えた。自分の行動のせいで彼女に余計なことを考えさせてしまったようだ。


 それでも、嬉しいことに間違いはない。

 誕生日を知らない彼女なりに色々と模索してくれたのだ。大切なことは誕生日を『祝いたい』という気持ちである。


 皿の側に添えられた銀製の肉叉フォークを手に取ったエドワードは、



「そういうのはさ、普通に笑顔で『誕生日おめでとう』って言ってくれればいいんだよ。気持ちが大事なんだから」


「気持ち」


「うん、気持ち」


「そう」



 ユフィーリアはそう言って、



「誕生日おめでとう、エドワード。お前の未来が幸福でありますように」



 綺麗に微笑んだ。


 いつもは表情すら変えず、ただ能面のような無表情を貫いている彼女が優雅に微笑んだのだ。それはそれは綺麗な微笑である。

 まるで絵の中にいるお姫様のような神々しく美しい笑顔を前に、エドワードは息を呑む。普段は滅多に笑わない彼女の珍しい表情に、心臓が早鐘を打つ。


 湧き上がる感情を飲み込むようにケーキへ肉叉をブッ刺したエドワードは、



「魔女様、笑ってる方が綺麗だよ」


「よく分からない」



 視線を外した途端に彼女の顔から笑顔は消えてしまったが、確かに見たあの綺麗な微笑は甘いケーキと一緒にエドワードの記憶へと刻み込まれた。



 ☆



「すいませーん、この店で1番高い商品くださーい!!」



 あれから随分と長い時間が経過した。


 エドワードも大人になって色々と覚え、学び、経験を重ねた。同じくユフィーリアも魔法の反復練習のおかげで、今や星の数ほど存在する魔法を手足の如く操る魔法の大天才である。あの頃から2人はだいぶ成長した。

 感情を表に出すことが出来なかったユフィーリアも、今ではすっかりよく笑って泣いて吐血するようになった。笑い方も優雅に微笑むこともあれば、涙と涎と鼻水を噴出して下品に笑うことだってある。昔のユフィーリアからでは考えられない成長である。


 メニューすら開かず例によって「この店で1番高い商品!!」と注文したユフィーリアは、とても楽しそうな笑顔をエドワードに見せる。



「今年はどんなものが出てくるんだろうな」


「3年連続でプリンパフェだから今年も同じじゃないのぉ?」


「同じだったらつまんねえな、2番目に高い商品にすればよかったか」



 ユフィーリアは「まあいいや」とメニューをテーブルの隅に置き、



「今年は耳飾りにしたけど、アタシが作った方が早くねえか?」


「いいのぉ、これでぇ。いい色じゃんねぇ」


「まあお前が言うならいいけど」



 今年の誕生日プレゼントで贈ってもらったのは、小さな青い宝石がついた耳飾りである。男性向けの意匠なのでエドワードもつけやすく、一目で気に入ったのだ。

 お値段はまあなかなか高かったのだが、そこはそれ、誕生日特権である。今日は誕生日だから多少の我儘ぐらい許してもらおう。


 ユフィーリアはニヤリと笑うと、



「まあ、帰ってからもお楽しみはあるけどな」


「何するつもりぃ?」


「お前が驚くようなことを色々と」


「あんまり驚かされちゃうと心臓がもたないんだけどぉ」


「大丈夫だって、雷は使ってねえから」



 ケラケラと楽しそうにユフィーリアが笑うと、店員が注文通りに店で1番高い商品を銀色のお盆に載せて持ってくる。


 やたら背の高い硝子製の器にはスポンジやクリーム、アイスなどが何層にもなって詰め込まれていた。それだけではなく花瓶を想起させる硝子製の器から飛び出すように盛られた生クリームには苺のソースがふんだんにかけられ、さらに真っ赤な苺がこれでもかと飾られている。

 見事な苺のパフェだった。今年の高額商品が更新された。値段は想像したくない。


 ユフィーリアは紙に包まれた長いスプーンをエドワードに手渡し、



「誕生日おめでとう、エド」


「ありがとぉ、ユーリ」



 長い匙を受け取るエドワードは、早速とばかりに甘い生クリームを口に運ぶ。砂糖がふんだんに使われたクリームは甘く、苺のソースによる酸味との相性が抜群だ。

 テーブルを挟んだ対面に座るユフィーリアは、相変わらず珈琲を啜っている。砂糖も牛乳も入れていない、ただ苦いだけの液体を表情ひとつ変えずに啜っている姿は様になる。


 陶器製のカップを持つ指先――左手の薬指には、青と黒のグラデーションが綺麗な指輪が嵌まっている。



(――本当は)



 本当は、その指に与えられた役目がほしかった。


 幼い頃からずっと側にいて、背中を追いかけて、長い時間を経て隣に並んで。何度離れて素知らぬ顔で帰ってきても、普通に出迎えてくれて。

 そんな美しくも優しい魔女に、エドワードが淡い気持ちを抱かない訳がなかった。視線で追いかけ、言葉や行動に惹かれていくのも時間の問題だった。


 それでも、その薬指の役目は異世界からやってきた後輩に奪われてしまったのだが。



(でもいいもんねぇ)



 エドワードは胸中でほくそ笑む。


 本当にほしかった魔女の左手薬指を奪ってくれた少年には、絶対に手に入らないものをエドワードは持っている。

 この綺麗な魔女と過ごした過去と、彼女からの絶大な信頼。あの少年は寵愛を受けているからこそ下手に問題行動に巻き込まないが、信頼を寄せるエドワードに遠慮はない。そこだけは自信を持って「勝った」と言える。


 魔女の右腕は、誰にも渡さない。



「ユーリぃ」


「ん?」



 珈琲を啜っていたユフィーリアの右手を取り、エドワードは笑う。



「これからも右腕でいさせてねぇ」


「当たり前だろ、頼りにしてる」



 誕生日を迎えるたび、彼女と過ごす時間が長くなるたびに、この立場を実感する。

 彼女の旦那様になることは永遠に叶わないが、彼女に頼られる相棒にはなれることを。


 誰にも明かさない黒い感情を、エドワードは甘い生クリームと共に飲み込むのだった。

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