冤罪
ロロの店から都の街へと繰り出す。気分転換の散歩で噴水公園を歩いていると、クオンの声が飛んできた。
「あっ、イチヤくーん!」
クオンとシオン、それからフレイがこちらに向かってくる。クオンは一気に走ってきて、俺に飛びついた。
「あのねあのね、セレーネ様の目撃情報があったの。西の方にいたのを見た人がいたんだよ!」
追いついてきたシオンも、控えめに俺の袖を握る。
「でもね、そっちの方、人攫いがいたっていう情報もあるの。私、セレーネ様が攫われちゃったんじゃないかって、不安で……」
「セレーネ様は攫われたりなんかしませんー!」
クオンが根拠もなく強気に言い返す。俺はふたりを交互に見たのち、フレイを見上げた。
「人攫い……それは怖いな」
「ああ。なんでも、そういった輩の間では有名な『赤い首輪』って奴が、その辺にいたって情報があった」
「赤い首輪?」
俺とフレイが話す横で、クオンがもう切り替えて噴水に手を伸ばして遊んでいる。シオンも撥ねる水飛沫に笑い、ふたりで水に手を入れて遊びはじめた。
彼女らを横目に、フレイが話す。
「凄腕の人攫いらしい。本名はおろか自ら名乗る偽名すらなく、ただ赤い首輪をつけていたという情報しかないから、そういう通り名がついた」
「赤い首輪をつけてたってなんだよ……すげえ目立ちそう」
「実際はつけてなくて、単なるコードネームである可能性が高いな。ただヒントがそれしかないから、王国議会の傭兵団は、首輪と形容されそうなものを装備してる者を怪しんでる。スカーフとかマフラーとか、或いはネクタイ……」
それから、フレイの目が俺の胸元のリボンタイに留まった。天文台で初めて目を覚ましたときからつけていた、赤いリボンタイである。
「えっ? あ、これは……」
俺は別にやましいこともないのに、咄嗟に自身のリボンタイを手で隠した。フレイがまじまじと、リボンタイを覗き込む。
「そういやお前、セレーネがいなくなった三日後に現れたな?」
「いや、俺じゃな……ええと、記憶がないから絶対違うとも言い切れないけど、多分俺じゃない」
フレイが顔を近づけるのに比例して、俺は噴水の方へと仰け反る。水遊びしていたクオンとシオンも、いつの間にか俺たちの方を見上げて、三角の耳を立てて聞いていた。
フレイが牙を覗かせる。
「なるほどなー。全てのパーツが揃ったぞ、赤い首輪。お前はセレーネを誘拐して奴隷商に売り払ったあと、天文台に侵入者。従者に見つかるも、記憶喪失のふりをして乗り切った。そのまま天文台に居着いて情報を探り……」
そして彼は、クオンとシオンを指さした。
「必要な知識をひと通り盗んだのち、クオンとシオンを攫って売る気だったな!?」
「ええー!?」
そんなつもりは毛頭ない。フレイも悪い冗談のつもりのようで、ニッと笑った。
「ま、お前みたいな軟弱な奴に、人攫いなんか務まらねえけどな」
俺たちのやりとりを聞いたクオンとシオンは、きゃーっと盛り上がった。
「人攫いー! イチヤくんに攫われちゃうー!」
「やーんフレイ助けて!」
ふたりは楽しそうに笑って、俺にびしゃびしゃと水をかけてくる。
「冷たっ! やったなー。攫うぞ!」
そのときだ。俺は後ろからがしっと、両腕を固定された。
「えっ」
後ろを振り向く隙すらなかった。気がついたら俺の体はふわっと宙に浮かび、次の瞬間には噴水の中に投げ込まれていた。全身を水面に叩きつけられる。バッシャーンと派手な音と、水飛沫が飛び散った。クオンの悲鳴が聞こえる。
「きゃー! イチヤくん、大丈夫!?」
体勢を整えて、顔を上げる。水の中で四つん這いになると、水嵩は肘ほどまである。目線の先には慌てふためくクオンと、青ざめて絶句するシオンと、呆然とするフレイがいた。
なにが起こったのか、まだ理解できていない。
「今、一体なにが……もごっ」
状況を確認しようとした途端、後ろ頭を押さえつけられ、水面に顔面を沈められた。数秒沈められたのち、髪を掴まれて、今度は水から引き上げられる。
むせながら目を開けると、そこにはガタイのいい赤い髪の中年が立っていた。俺の頭をがっしり掴んだその男は、険しい顔で覗き込んでくる。
「見つけたぞ、赤い首輪。白昼堂々、街中で人攫いとはいい度胸だな」
「赤い首輪……ご……誤解です、けほっ」
声を出そうとすると、口の中に入った水が喉に滑り込んでくる。しかし男は、容赦なく怒鳴りつけてくる。
「観念しろ! 貴様を捕らえ月影読みの居場所を吐かせるまでが私の仕事だ。吐くまでは生かしておいてやる」
だんだんと状況が見えてきた。この男は俺たちの冗談を聞きつけて、俺を本当の人攫いと勘違いしたのだ。後ろから腕を掴んで、噴水に向けて投げ飛ばしたのである。
あれ? 「月影読みの居場所を吐かせる?」
なにか引っかかったが、頭がガンガンして思考が回らない。
ぽかんとしていたフレイが、やっと我に返った。
「グルーダ将軍! そいつは赤い首輪ではありません」
彼の声に、中年が振り向く。
「なんだ、貴様は」
「はっ。月の都の役場、行政職員の者です」
それまでの態度とは打って変わって、フレイが礼儀正しく敬礼する。彼が胸ポケットから名刺らしきカードを差し出すと、俺を掴んでいた男は手を緩めた。おかげで俺は、再びパシャッと水面に放られた。クオンとシオンが噴水の淵に身を乗り出す。
「大丈夫!? 怪我してない?」
「ごめんね、私たちが大声出したから……」
「なんとか……」
水の中で跪く俺に、クオンが手を差し出してくる。小さな手を握り、噴水の淵に這い上がる。頭がくらくらして、水を吸った服が重くて、少しふらついた。フレイに咎められた中年は、フレイの名刺を確認しつつも、琥珀色の瞳でちらちらと俺を睨んだ。
「まあ……人攫いにしては小さいし細すぎるか。顔立ちが異国の者のようだが……」
濡れた髪から雫が滴っている。ぽたぽた落ちる水滴の行方を見つめてから、俺は男を見上げた。
この話し方、どこかで。ぐらつく頭をゆっくり回して、ハッと思い出した。
「あっ! 市場でマイトをいじめてた人だ!」
白髪のおじいさんと一緒にいた、腰にレイピアを差した男である。ワインが服にかかっただとかで、マイトに因縁をつけていた、あいつだ。
まだ噴水の水に浸かっている俺に、フレイが怪訝な顔をした。
「お前、グルーダ将軍と面識あんのか」
「将軍?」
「大地の国王国議会、ニフェ元老院議長付きの近衛騎士、グルーダ将軍」
フレイに言われ、俺は全身から水をぽたぽた落としつつ、赤毛の男を見上げた。
「元老院議長……」
思い出すのは、前に会ったとき、彼の隣りにいたおじいさん。物腰の柔らかい、黒いローブに白髪頭の人だ。
「あの人、そんな偉い人だったのか」
*
天文台に引き返して、濡れたワイシャツを脱ぐ。酷い目に遭った。少し水を飲んだが、投げられたのがやや深い水の中だったおかげで、軽い打ち身で済んだのが幸いだ。
お湯を浴びたあと談話室に行くと、薬箱を用意したクオンとシオン、それとフレイが待っていた。
クオンが早速、湿布を持ち出す。
「イチヤくんって、怪我が治ると次の怪我するよねー」
「今回はあなた方の悪ふざけのせいだぞ」
三人にまとめて文句を言う。クオンは笑って誤魔化し、シオンも苦笑いし、フレイは決まり悪そうに目を逸らした。
ソファに腰を下ろすと、クオンとシオンに左右から挟まれ、手当が始まった。打ち身とかすり傷を、ふたりがそれぞれ薬を塗っていく。
俺はされるがままになりつつ、町で出会ったあの男を思い起こした。
「あの人……グルーダっていったか。マイトが『偉い人』だと言ってはいたけど、元老院議長の近衛騎士だったのか。なんか強そう」
頭からっぽの感想を洩らすと、隣でクオンが、ね、と驚いた顔で同意した。
「てことは、この前会ったおじいちゃんは元老院議長だったんだね。すっごいや」
あの日グルーダと共にいたニフェ老人は、どこか切れ者のオーラがあった。彼から滲み出す地位の現れだったのかもしれない。
フレイが脚を組む。
「ニフェ様は、月の民も地の民も、平民も貴族も、誰もが分け隔てなく共に手を取り合う社会を目指しておられる。市民からの支持率の高さは半端ねえぞ」
「そうなんだ! じゃあ俺も応援したい」
あの優しそうなおじいさんが、この世界をいい方向へ導いてくれるのだ。フレイが呆れ顔になる。
「お前、マジでなんも知らねえんだな。記憶喪失でも、自分のこと以外の記憶はあるんじゃなかったのか? ニフェ様は流石に一般常識だろ」
「すみません、政治に疎いもので」
「月影読みは王国議会に席があるんだが……仮にも代理のお前が政治に疎いの、まずいだろ」
そもそも俺はこの世界の生まれかどうかすら、怪しい。だがそれを話してもややこしくなるので、言わないでおいた。
無知な俺を哀れんでから、フレイは世間話のように言った。
「ニフェ様はたしか、四十年くらい前に当時三歳だったご令息を眠りの病で亡くしてるんだよ」
「えっ、そうなの?」
クオンが顔を上げ、シオンもフレイを振り向いた。フレイが虚空を見上げる。
「当時はまだ、眠りの病の認知度は低かった。月の都の風情に憧れて移住を考えた大地の民は、今では考えられないくらい多かったらしい。お若い頃のニフェ様も、家族で移り住むつもりだった若者のひとりだったんだと」
聞いていたシオンが、寂しそうに言う。
「それで……息子さん、死んじゃったの?」
「ああ。ご令息を亡くされたニフェ様は、ご令息の眠る美しき月の都の大地を、今後も守り抜くと誓った。それが、我が子への償いだ、ってな」
幼い子供を連れて、新たな土地への移住する。きっと、これから始まる真新しい日々へ、期待に胸を膨らませたことだろう。しかしその期待は呆気なく砕かれ、愛する我が子を奪われた。そんな絶望を味わったからこそ、ニフェ議長は強い意志を持ったのだ。
手当が終わった。俺は洗濯済みの乾いたワイシャツに腕を通す。
「そんな事情ありきなら、ますます支持されるのが分かる」
シオンが俺に、リボンタイを差し出してきた。
「今日はそのニフェ様、グルーダさんと一緒じゃなかったね」
「そういえばそうだな。月の都で仕事だったのかな」
言いながら、リボンタイを受け取る。その赤い色を見るなり、俺の頭にグルーダの言葉が蘇った。
「『月影読みの居場所を吐かせる』……赤い首輪に」
ちらっとフレイを見上げ、俺は確認した。
「って、言ってたよな? あの人」
「あ? そうだったか?」
現場がごたごたしていたせいで、フレイも、クオンとシオンもちゃんと覚えていない様子だ。でも、俺はたしかにそう聞いた。
グルーダが今日、月の都にいたのは、赤い首輪を捕らえるため。そして……。
「赤い首輪が、セレーネの居場所を知ってる……その赤い首輪は、人攫い……」
そしてセレーネが最後に目撃された場所は、まさに赤い首輪出没の証言があった場所だった。
しんと、部屋が静まり返る。空気が凍ったような静寂は、随分長く続いたように感じた。
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