第9話 過去
焔と別れた後。
葉月翔(はづきしょう)は、無言で大学の敷地内を歩いていた。
既に構内では授業が行われているが、授業に参加している暇など無い。
今するべき事は……
「……奴を」
翔は、呟いた。
「……」
目を閉じる。
この『大学』に、どうやら弱いながらも『妖怪』が潜んでいる、という事に気づいたのは、入学してから割とすぐの事だった。
だが、『力』も無く、人間をほんの僅かに驚かせるだけの『妖怪』だ、放置しておいても問題は無いだろう。そう思っていた。
それが……
それが、突如として『力』を付け、人を襲い始めた。
「……」
その理由を、翔は知っている。
だからこそ……
だからこそ、自分が責任を取らねばならない。
もう二度と……
「……僕のせいで、誰かが傷つくのは見たく無いんだ」
翔は、呟いた。
葉月翔(はづきしょう)。
二十一歳。
この大学に通うようになったのは一年ほど前。二年前までは別な大学に通っていたが、当時通っていた大学で事故が発生し、キャンパスが崩壊し、通えなくなった。
だが……
それは……
それは……
「……」
翔は目を閉じる。
それは、『事故』などでは無い。
それは、『妖怪』の仕業だった。
翔は、その『妖怪』を倒そうとした。
だけど……
だけど……
「……」
翔は、拳を握りしめた。
自分には、出来なかった。
否。
最終的に、倒す事は出来た。だけど……
だけど……
その時、翔の大学での友人が、犠牲となった。『霊能力』など全く無い、ごく普通の人間だったけれど、自分の『力』の事を知っても、決して……
決して、自分を避けたり、気味悪がったりしない、唯一の……
唯一の、心許せる『親友』だった。
だが……
だが、殺されてしまった。
「……」
翔は、自分を責めた。自分がもっと強ければ、自分にもっと、『力』があれば。
そうすれば、『大切なもの』を失わずに済んだのに。
だから翔は、キャンパスがその『妖怪』によって壊れた事をきっかけに、大学を中退した。
そして……
そして翔は、実家に戻ったのだ。
翔の家は、平安時代から続く由緒ある『陰陽師』の家系だった。
翔はそこで、一年間、現当主である父から、術の手ほどきを受けた。
その『修行』は、『過酷』の一言だった。
強力な術を何発も全身に受け、気を抜けば簡単に死んでしまうような『呪い』すらも、何度も何度も弾いた。それでも父は容赦無く、次々と新しい術を自分にかけた、解除の方法も、防ぐ方法も教えてはくれなかった、全ては自分でその身に受け、自分で身につけろ、という事だったのだろう。
そうして……一年が経過した頃。
ようやく翔は、父から全ての『修行』を終えた事を伝えられた。
そして……
そして翔は、大学へと復学した。
だけど……
だけど……
そこで翔は、決して親しい友人を作ろうとはしなかった。もともと好きだったアニメや漫画やゲームに、より一層深く没頭し、決して他人とは関わらない。
そして、もういなくなってしまった『親友』を想って、命日には彼が好きだったアニメソングを歌っていた。ストリートミュージシャンを気取っているのは、ああしておけば、何処で歌っていても不自然では無いからだ、実際に金などとろうとは思わない。
そうだ。
これで良い。
自分の人生は、これで良いのだ。
大切な人間は、作らない。
そして……
一人で、『妖怪』を倒しながら……
『親友』を想って歌い、そして……
そして、好きなアニメやゲームに囲まれて生きる。
例え……
例え『妖怪』に殺されたとしても、誰も……
誰も、自分の事など気にも止めないだろう、父とも、『修行』を終えて家を出てからは連絡を取っていない、『跡を継げ』という事は時々言われるけれど、そんな気にはならなかった。最近では父も諦めているのか、もう何も言ってこない。
そうだ。
これで良いんだ。
自分は……
自分は、一人で良い。
一人で……
そんな風に考えながら、翔は足を止める。
そして……
ゆっくりと、目を開けた。
ず……
ず……
ず……と。
周囲が揺れる。
翔は顔を上げる。
この大学の敷地の端の方。
そこに生えた、一本の樹。この大学が建てられた時、記念として植えられた樹なのだが、今の理事長は、生徒数の数を増やすために多くの生徒達を入学させるため、この樹を全て切るつもりでいるらしい。
それだけならば、どうと言う事は無かっただろう。
だけど……
だけど……
樹に宿った弱い『樹霊』。
本来ならば、大した『力』の無い『妖怪』だったはず。
だけど……
翔のせいで……
「……こいつの『力』が……」
翔は呻いた。
だからこそ。
自分で、こいつは倒さねばならないのだ。
翔は、懐に手を突っ込む。
目の前の大きな樹が、ざわざわと……
威嚇する様に、枝葉を揺らしていた。
そして。
翔は、懐から取り出した拳銃を……
その『妖怪』に向ける。
轟音が、轟く。
翔の周囲のアスファルトを突き破り、樹の根が何本も飛び出して来る。
その先端は、どれもこれもが槍の様な形状だったり、鈍器の様な形状だったり、或いはナイフの様な形状だったりと様々だが、いずれもが、真っ直ぐに翔に向けられていた。
それらが一気に、翔に襲いかかる。
翔は、一番近くに迫って来た樹の根に向けて、銃を発砲する。
発砲音が轟く、さすがに、一般の学生もいる大学の構内でこんな物を撃つのは危険だけれど、どうせここはキャンパスからも離れているから問題無いだろう。
銃弾を受けた根の一本の先端が、真っ赤な樹液をぶちまけながらどさ、とアスファルトの上に落ちる。
だけど……
すぐに二本目の根が迫って来る、こちらは鈍器の様な形状の根だ。
ぶんっ、と振り下ろされたその根が、翔の銃を握りしめる右手首を殴打する。
「ぐっ……」
木刀ででも殴られた様な痛みと衝撃に、翔は思わず呻いていた。
手から力が抜け、銃が地面の上に落ちる。だけど……
翔は動じない、ジャケットの左右にあるポケットから、一枚の紙を取り出す。
スーパーのレシートの様な形の細長い紙、だけど……
そこに書かれているのは、翔の家に伝わる陰陽道の『呪』だ。
そして。
翔はその札を、ぶんっ、と手近の根に向けて投げつける。
投げつけた札は、そいつに向けて飛んで行きながら、空中で光に包まれ、そして……
次の瞬間、その札は、人の頭ほどの火炎球に変じた。
火炎球は、樹の根の一本に直撃し、爆発と炎を周囲にまき散らす。
近くの根が、炎から逃れる様に、元のアスファルトの地面の中に潜ったり、僅かに引いた様になる。そして……
「……」
翔は正面を見る。
そこにあるのは、見た目だけは、ごく普通の樹にしか見えない。
だけど……
紛れも無く、これらの根を操っている……
『妖怪』の、本体。
翔は、もう一枚の札を取り出す。そして……
ぶんっ、と。
その札を、『本体』に向けて投げつけた。
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