拗れ
億劫な授業が終わって放課後が訪れた瞬間、三日月さんはさっさと帰ってしまった。
結局、想いばかり積もった私は彼女に声を掛けるのを躊躇い、情けない後悔だけが残った。
(はぁ……なんて話し掛ければいいのかな? 謝るのは当たり前として、その後は? そもそも三日月さんは私に対して好意的だ。それを拒んでいるのは私……)
無限ループのようなぐるぐるとした思考を巡らせつつ、帰り支度をする。
鞄を開いた時、ノートの切れ端のような紙に気づいた。
(あっクロスワードパズル……あの後、結局解けず仕舞いで、返してしまったら負けだと言われそうで、隠れて解いていたんだった……)
と、言っても暫くは三日月さんの事で頭がいっぱいで忘れていたが……
専門的な意地悪問題は全て解いたが、まだ半分くらいしか満たない。もう半分は全て三日月さんに関する問題なのだ。
(こうしてみると私、三日月さんのことを知らないなぁ……)
友達面しておいてこのざまだ。
取り敢えず、三日月さん曰く勝負は延長らしい。いつか、このマス全てが埋まったら突き返してやろう。
「ゆゆね」
「あっ、明美さん。何か用ですか?」
意気込んでいると明美さんが声を掛けてきた。
どことなく不満そうな表情で、手には何かの紙が握り締められている。
「いや、最近霞と仲が悪いというか、なんというか……兎に角、今日の霞は一段と暗かったから何とかしてよ」
「そうしたいのは山々ですが……私……」
「ああもう! 面倒くさいな! これ受け取って!」
「なんですか? これは、住所?」
明美さんから無理矢理握らされたのは住所が書かれた紙。どうやら直筆のようで、殴り書きなのが少々荒っぽい筆跡だ。
「霞の家の住所。さっさと仲直りしてね。どうせゆゆねが奥手とか、そういうしょうもないのが原因でしょ? なら顔を合わせて話し合うのが一番だからね!」
「……そうですね。ありがとうございます」
「それじゃ! 次、霞を傷つけたらぶっ飛ばすから!」
「あはは……」
教室を出て行く明美さんに手を振って見送った。きっと部活か、先生にでも呼ばれているのだろう。
心配を掛けないように笑みを浮かべたが、ぎこちないものだったかもしれない。
「さて、私も帰ろうかな……」
私は鞄を持ち、少しだけ騒がしいクラスを後にした。
三日月さんの住所を知ったのはいいが、どうすればいいのだろう。
明美さんは顔を合わせるのが一番だと言っていたが、もし本当にそうなら学校で毎日顔を合わせている以上、疾っくの昔に問題は解決している筈だ。
私自身、気持ちの整理ができていない。結局、一番の原因はそれだろう。私の逡巡とした想いが、三日月さんや明美さんに迷惑を掛けてしまっている。
「ああ、どうしよう……」
心が深い森を彷徨っている中、朧気に買い物を済ませる。
今晩はカレーに決定だ。理由は単純で、行きつけのスーパーの広告の品がカレールーだったからである。因みに幼い博士に配慮して甘口だ。
学生鞄を手提げ、肩に食材の入ったエコバッグを掛ける。右に重心が偏っているが、まあロボットなのでへっちゃらだ。
(三日月さんの住所は……学校を挟んで、私の家とは反対側にあるんだ。ここからそう遠くない。歩いて二十分くらいかな?)
きちんと計算すれば正確な時間が簡単に導き出せそうだが、悩んでいた私はそれさえも煩わしく思った。
現在、三日月さんとの仲違いが蟠りとなり、それは私の中で大きい。それこそ心のタスクは九割ほど、割り当てられている。
ああでもないこうでもない、と首を傾げながら無意識で歩を進め、遂に三日月さんの住居らしき家が見えてきた。
「えっと……此処で合ってる、よね?」
石に掘られた表札を見る限り、此処は三日月さんの家なのだろう。明美さんから受け取った住所から見ても、それは確かだ。
しかし、これは予想外である。
学校から少し行った所の地形は丘のようになっていて、その上には小さなお城のような、豪邸が立っているとは風の噂で聞き、実際学校の屋上から見えていた。
だが、まさかその豪邸が三日月さんの家だったなんて……微塵も思っていなかった。
「すっごい大きい……」
遠目から見るのと、間近で見るのでは迫力が違う。
一体何坪あるのだろう?
大きなお屋敷は西洋造りで、あまり整備していないのか壁に蔦が這っている。庭も然りで、雑草が荒れ放題だ。どうやら手入れできていないらしく、小学生の間ではお化け屋敷と噂されてそうだ。
「ん? ……あれ? ゆゆねちゃん?」
「あっ、み、三日月さん……」
振り返って見れば、そこには不思議そうに小首を傾げた彼女がいた。
お屋敷に圧倒されていた所為で三日月さんの接近に気づかなかった上、そもそも会おうと決心していなかったのであたふたとしてしまう。
「どうして此処に?」
「えっと……明美さんから住所を聞いて、此処に来たのは……ごめんなさい!」
三日月さんと出会ってしまった以上、引き返すことはできない。だから、私は本心を紡ごうと唇をぎゅっと結んで、ゆっくりと解いた。
「今日は昼食の誘いを断りました! だけど、決して三日月さんが嫌いになった訳じゃなくて! 私は三日月さんと――」
「あはは! もういいよ。分かってるから……私の方こそごめんね。ゆゆねちゃんの事情を考えずに、何度も襲っちゃって……」
私の言葉を遮って、三日月さんは微笑んだ。
その笑みを見ていると拍子抜けしてしまい、強張った身体から力が抜けていくのを感じる。結局、私だけが重く受け止めていたのだろうか? いや、でも……
熟考していると、ふと三日月さんがぶら下げたエコバッグに目がいった。
「そのお弁当は? 三人前くらいありますよね?」
「私の晩御飯だよ。いつもはもっと食べるんだけど、今日は食欲がなくて……なんだか恥ずかしいなって……」
もじもじと恥ずかしそうに鞄を背中に隠す三日月さん。
「……そうだ。お詫びに晩御飯でも作ります」
「え? いいの? でも流石に悪いよ」
「いえ、食欲がないのは私の所為ですよね? なら私の料理で食欲を湧かせてあげます」
彼女の食欲減退の原因は私に違いない。
丁度買い物帰りという事もあり、食材を持っていた私はお詫びを兼ねて三日月さんに料理を振る舞うことにした。
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