第85話 二喬の話 Ⅱ

 駿馬に跨り一路、建業を目指す呉の柱石、周瑜。


 すっかり日も暮れたが、彼が鞭を手放すことはなく、ただ颯爽と駆けていく。


 「何、孔明が私に会いたいと?」


 その途中、周瑜を探していた早馬と出会い、その旨を伝えられた。


 (ふむふむ、この私を開戦派に引き込むつもりだな)


 彼は開戦には慎重派である。

それは周りに伝えたことこそまだないが、孔明が”周瑜は慎重派”と踏んでいてもおかしくはない話だ。


 ただ、周瑜の考え方は他の呉の慎重派とは異なる。

彼は曹操との戦自体、勝てる自信があった。

 しかし、その結果誰が一番得をするか、というのを考えると腹立たしかったのだ。


 (いくら我々が大変な思いをして軍備を整え、水上で激闘を繰り広げても、曹操の首を取るのは難しい。なぜなら孔明にとって我々が完勝しても困るからだ・・・!)


 そう、周瑜が危惧していたのは、孔明が策略で曹操をわざと逃がすのではないか、ということ。

 そして、逃げられてしまえば曹操軍を瓦解させるのは困難であり、曹操と孫権が覇を競う間に劉備と孔明が密かに力を蓄える。


 孫呉随一の天才、周瑜にはそういった結末が想像できた。


 (まあ、ただ話だけでも聞いてやるか)


 周瑜は孔明に影響を受けないのを前提としつつ、無視をするのは礼に欠けるので面会するだけしてやろう、と考えた。


 「潘璋はんしょう、ご苦労であった。孔明殿には今晩中に建業に着くからその時にでも、と伝えてくれ」


 周瑜はその早馬―潘璋にそう伝えて彼にまず先を行かせた。

その後周瑜は比較的速度を落とし、潘璋が着いて孔明に伝えた頃合いを見計らって建業にたどり着いたのである。



 「やあやあ孔明殿。初めてお目にかかります。周瑜、字を公瑾と申します」


 周瑜は孔明と面会すると、まず和やかな雰囲気を作り、話を聞いた。


 「こちらこそ初めまして。諸葛亮、字を孔明と申します」


 「唐突で恐縮ですが周瑜都督は曹操とどのように付き合おうとお考えですか」


 孔明が前置きもなくいきなり突っ込んできたので、周瑜も内心慌てた。


 (唐突も過ぎるだろう!ゆっくり答えようと考えた私が馬鹿であった!)


 ただ、ここは流石の周瑜。慌てる素振りは一切見せずに、冷静を保ったまま答えた。


 「それはもちろん、融和路線だ。そもそもこの戦力差で挑む方が馬鹿というものだ」


 周瑜は本心で戦えば勝てると思ったのにも関わらず、そう考えるのは馬鹿だ、とまで言った。

 もちろん、この路線で貫き通す作戦だ。


 「果たしてそれは本心でしょうか?」


 孔明は突然、そう言い放つ。

その眼は全てを見透かしているかのようであった。


 (ま、まさか読まれているのか!?)


 周瑜は動揺する。

なるべくそれを見せないようにしたが、観察眼に優れる孔明には通用しなかった。


 「都督は恐らく誰が一番、得をするのかというところでお悩みなのでしょう」


 「そうですね?」


 孔明はジワリジワリと、ただ着実に外堀を埋めていく。

周瑜は孔明の質問に「はい」か「いいえ」で答えなくてはならなかったが、もちろんそんなこと言えるはずもなく、


 「いや、私の本心など赤の他人である孔明殿に分かるはずがない」


 と言ってはぐらかそうとした。

だが、孔明はここを勝負所と見て畳みかける。


 「そうですか。では都督の本心で一番の悩みの種は我々が最終的にわざと曹操を逃がすことですね。合ってますか?」


 これに周瑜はもはや、ろくな返答もできない。


 「安心してください。我々は曹操を逃がしませんから。なぜなら、こちらとしてもそのようなことで変な疑いを掛けられて曹操討伐が失敗したら真っ先に首がすっ飛ぶのは私たちですから」


 孔明はこう言って周瑜に我々を信頼するよう求めた。


 「ただ、どうしても我々を信頼できずに、曹操に降ると言うのなら、いい提案があります」


 孔明はそう切り出してある二人の美人姉妹の名を挙げた。

そして、こう言ってのけたのである―


 「大喬・小喬のお二方を曹操が欲しがっていると聞きます。なので、彼女たちを渡せば、降伏の交渉は易々と進むでしょう」

 

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