第61話 水鏡先生 Ⅱ
ここは荊州の襄陽郊外にある諸葛孔明の居館。
その敷地は広く、母屋や離れ、厩舎などの建物が並んでいる。
「まず茶でも嗜みましょう」
俺は離れにある書斎へと通されて、これから孔明と話さなくてはならない。
これは自分の意思ではないが、孔明の醸し出す雰囲気は有無をいわせなかった。
「この茶ははるか遠くから伝来したといいます。私も孔明という名を広く知られるような人物になりたいものです」
孔明がボソッと口にした言葉からはこのままでは終わらない、何かを成し遂げたいという野望が感じられる。
(安心して、孔明殿は間違いなく海外にもその名を知られるから)
俺は心の中で呟く。
ただし、声に出すとややこしいことになるのでそこは我慢した。
「ところで風魯大将軍、今は世が乱れている。ただしこの状態が永遠には続かない。誰がこの乱世を終わらせるとお考えか」
(き、来た・・・!)
俺はその質問を受けてから必死に呆れさせるような答えを探す。
(うーん、一番天下を取れなそうな人・・・、誰だ?)
俺が会ったことのある人物の中で誰かいないか記憶をたどると、
あの人物が思いつく。
「曹操のところの司馬懿なんか天下を取りそうですね」
「な・・・、な・・・っ!!」
俺の答えにいつも顔色を変えない孔明も絶句してしまう。
(どうだ、あまりに変な答えに呆れたか!)
俺は帰る支度を始めたが、孔明は俺の計画と違ってなぜか引き留めてきた。
「風魯大将軍、私は感銘を受けました。できれば、もっと話を伺いたい」
「ええっ」
俺は彼の言葉に困惑する。
(どうしよう、孔明殿が感銘を受けてしまった。もう訳が分からない・・・!)
これは後で知った話だが、孔明は自分にはない考えに驚くと同時に、曹操配下の中で若年である司馬懿なら他の重鎮の死後に曹家の実権を握れるのではないか、という彼にとっての納得があって感銘を受けたのだという。
どうやら彼は新しい意見に出会うことで感動するタイプらしい。
「お帰りになる前にもう一つだけ。私はこれまでどの武将にも属さずに勉学に励んできた。それは仕官したい思う人物に出会えなかったからである。顔が広い風魯大将軍にお尋ねしたい、この孔明は誰に仕官するといいと思うか」
今度の俺は孔明の質問に対して正直に答えた。
最後の質問だと約束してきたので、変に答える必要がなかったからだ。
「もちろん曹操や孫権も優秀な武将ですが、その名を残したいのであれば劉備殿に仕えるべきじゃないかな」
「え、劉備ってあの劉表を頼っている・・・」
「そうそう。劉備殿に仕えて活躍すればその名を知らしめることができると思う。あ、でも自分から行かない方がいいかも。劉備殿は現状関羽殿と張飛殿の二人がいるだけで満足しているみたいだから」
「え、それではどうやって仕官すれば・・・」
「大丈夫、劉備殿と孔明殿には縁があるから。絶対にそう。だからどこかで訪ねてくると思う」
俺は知る限りの知識を教えてあげた。
ただ、俺も三顧の礼という言葉は聞いたことがあるだけで詳しく知らないのでそれ以上は言えなかったが。
「はい、今日はありがとうございました。また会える日を楽しみにしています」
こうして風魯は諸葛孔明の居館がある荊州襄陽郊外、
その時すでに夕暮れ時を迎えており、宿に泊まった上で翌朝には江南に帰る気満々でいた風魯だが、一番の目的であったはずの劉備との面会はすっかり忘れていたのである。
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