第31話 写真


 免許証用の写真を撮った。

 もちろんスマートフォンのアプリを使って、自分で。

 免許はカクヨムを始めた年に更新したはずなので、あれからもう5年経ったのかと思うといささか感慨深いものがある。

 前回の更新時、初めてスマートフォンで証明写真を撮ったのだが、その時よりかなり手軽に撮れたのは、間違っても私が手慣れたせいではない。スマートフォンとアプリの進化のおかげである。何せ使うのはあれ以来、5年ぶりなのだから。

 前回の残りと覚しき写真用紙があったのでそれでプリントしてみた所、これがまあ見事にぼけぼけ。どうやらこういうものにも賞味期限切れがあるらしいことに気付いて、妙に感心してしまう。

 わざわざ買い直すのも億劫だし、どうせまた無駄に残すだけだろうからと、コンビニでプリントしてみた。実はコンビニを使うのはこれが初めて。少しもたついてしまったが、無事にできた。

 

 普段、私はなるべく自分の顔を見ないようにしている。見ると粗が気になるし、だからといってまめな手入れなどしようと思ってもできない不精者なので、見ない方が精神衛生上いいのだ。要するに諦めの境地。そもそも老眼のド近眼であるからして、目は常にお疲れモード。

 当然、写真は好きじゃない。子供が小さいうちは学校行事やら家族でお出かけやらで撮ったり撮られたりもしたけれど、今はもうそんなこともなくなった。もちろんひとりで自撮りなんて絶対にしないので、何年か前から私が写った写真はかなり数が限られている。そういう意味では証明写真であっても貴重かもしれない。

 だからという訳でもないが、出来たてほやほやの写真を免許証の横に並べてみた。

 ひと目見て、ひょえー! となった。思っていた以上に5年分の老化は大きかったのだ。現実はかくも無残に私を裏切る。裏切られた私は、ほやほや写真を更新連絡用のお知らせの間に挟んでそっと閉じた。


 証明写真を撮って一週間かそこらが過ぎたある日のこと。

 歯医者の予約を朝一番に入れていた。せっかくなので歯医者の後、出かけついでに細々した用事を片付けることにした。あらかた用事を済ませた私は、久し振りにデパートに足を踏み入れた。今年の夏はあまりに暑すぎて、ウィンドウショッピングなどする気力もなかったのだ。

 久方ぶりの店内は、色々なお店が入れ替わったり移動したりしていた。迷子のようにふらふら歩いていたら、婦人服売り場の通路に何人かひとが集まっているのが見えた。何だろうと思いながら歩いていくと、

「よかったらいかがですか?」

 にこやかな女性に朗らかに声をかけられた。

「ええっと、何でしょう?」

 どう見ても服を売っているようには見えない。何せ長机の上にモニターが二台並んで置かれている。しかもよく見れば、少し奥まった所に撮影用の白の傘みたいなのがふたつも立てられているではないか。

「何だと思います?」

 うふふ、と含み笑いした女性に逆に問われて、「えー? 何でしょう?」と返しながらきょろきょろする。

 と、看板のようなものが目に入った。私でも知っているシニア女性向け通信販売雑誌の名が入ったそれは、やはり写真撮影の紹介のようだった。

 そういう目で見れば、モニターにもドレス姿のお姉様の麗しい姿が映し出されていて、その後ろにはタカラヅカのようなパネル写真がいくつも並べられている。

「私共、東京でフォトスタジオを開いております〇〇と申します。今回初めて、一日だけですが青い国のこちらのデパートさまにイベント出店させて頂いてます。ほとんど予約で埋まっているのですが、今のこの時間ですと枠が空いておりまして。2時間ほどかかってしまうのですが、よろしければいかがですか?」

 と言われても、ですね。そんな写真撮影なんてあなた、プリクラじゃあるまいし準備も心構えもなく撮るものではないと思うんですけど。などとは言わず、

「お値段は?」

 全くその気がないので、かえって単刀直入に尋ねられた。

「通常ですと料金はこちらで、データとプリント代は別に頂戴しています。今回はイベントということで、特別に同じ料金でデータとプリント1枚をお付けしています」

 なのでかなりお得ですよ、とにっこり。

 私からすると決して安くはなかった。いや、それ以前に、自分の顔写真にそれだけの金をかける意味も価値も見いだせない。皆さん、凄いな。と思った直後に閃いた。

「あ、もしかして終活ですか?」

 隣りに立っていた柔らかな物腰の男性がわずかに顔を歪ませたが、それも一瞬、見事な営業スマイルを浮かべると、

「そう言ってお使いくださる方もいらっしゃいますが、そもそも少し前までは、いいお家の方など毎年写真館に行って家族写真を撮っていらっしゃいましたよね。その時に撮った中からそういう写真は選ぶことが多かったと思います」

 ふむふむ、何だかちょっと古い小説の中のエピソードみたいだなと思いながら、いいお家のひとではない私は適当に相づちを打つ。

「それと、私共ではヘアメイクから衣装まで全て、お客様とご相談しながらお好みに沿った形でご用意させて頂いています。これが町の写真館さんですと、ヘアメイクはご自分でとなりますから、それも含めて全てプロに任せられるということで、」

 例えばこちらはオードリーヘップバーンのイメージでというリクエストで、と言いながら彼が指さしたパネルは「ティファニーで朝食を」のジャケット写真そっくりだったし、胸元が大きく開いたドレス姿の別の女性の写真は、歌手かモデルか、といった華やかさ。とても遺影用には見えない。

「そうなんです。還暦だとか喜寿といった節目に、記念として撮られる方も多いですね」

 要するに、成人式の時に振り袖を着て写真を撮る、あれと似たようなものらしかった。それで言うと、たしかに私も(残念ながら)カウントダウン状態ではある。よく見ているものだなと、やはりいいお家のひとではない私は内心舌打ちしたくなった。

 しかも、営業スマイル完璧な彼は、ひとの顔をまじまじと見た挙げ句、

「お客様ですと、かなり素敵な写真に仕上げられますよ」

 僕、ヘアメイク担当なんです、後ろの彼がカメラマンで。と断った上で、ひとの顔の化粧映えについて語り始めるではないか。

 やめてくれー! と顔から火が噴きそうになるのを堪えて、その時だけはいい家のひとみたいに見えるよう願いながら、黙って微笑んだ。

 横では女性が楽しげに、「こちらの写真の方は、そりゃあもうばっちりつけまつげ乗せてらして」とメイクの説明をしてくれるので、「私、つけまつげもエクステもしたことないんです」と笑い返す。

「それだけしっかりメイクしてもらったら、皆さん喜んでそのままで帰られるんでしょうね」

 と付け加えると、ヘアメイクの彼はにこやかに笑ったまま、

「そのままだと派手すぎるので、少し落とします」

 メイクに疎い私はそれでようやく、ああ、そうか。と気が付いた。ステージ用メイクで帰ったらそりゃあ悪目立ちするだろう。

 ちなみに写真によっては普段の顔が横に小さく添えられているものもあって、そちらと比べるといかにメイク(と写真撮影のテクニック)でひとの顔が違って見えるかがよく分かる。

 私自身、メイクこそろくにしないものの、インスタやらネットニュースなどで流れてくるメイクのビフォーアフター写真や、顔半分すっぴん半分メイクした写真などをたまに見ては、感嘆の声を挙げている。

「でも、私、実は写真って苦手でして」

 そろそろ引き上げようと、切り出した。

「この前、証明写真をスマートフォンで撮ったんですが、これがまあほんと見たらイヤになっちゃって」

 私の言葉を聞くなり、営業スマイルを浮かべながら彼はきっぱりと言い切った。

「いや、僕らでも証明写真は難しいです。一番難しいです」

「え? そうなんですか?」

「はい。証明写真はまず正面を向いていないといけませんよね。でも、ご覧の通り、こちらの写真は斜めだったり首を傾げていたりと、どれもまっすぐカメラに向きあっていません。それから証明写真は笑ってもいけない。となると、ここにある写真は全部アウトになるんです」

「ああ、確かに」

 プロがメイクを施してどれだけ美しく撮ってくれたとしても、証明写真にはできない。そう思ったら、妙に可笑しくなった。直後、

「いつもこちらのデパートにいらしてるんですか?」

 唐突に女性が尋ねてきた。私は即座に首を横に振った。

「いえ、全然。たまたま用が出来て。久し振りです」

「じゃあ、きっとこれもご縁ですね」

 満面の笑みに、「そうかもしれませんね」と頷く。

「今回はアレですけど、余命宣告受けたりしたら、すぐ考えます」

 もらったチラシを手に冗談交じりに続けると、彼女は気にする風もなく、

「何だかまたお会いできそうな気がします」

 そう言って、にこやかに笑った。



 *



 この撮影イベントのために、外商扱いの方たちに急いでチラシを送付したのだそうですが、それでも予約全部は埋まらなかったというのはやっぱり不景気なのかな、とちらりと思った私は当然のことながら外商とは無縁の人生を歩んでいます。

 外商だけでなく、プロに頼むメイクも写真も無縁です。

 一度くらい「化けらった~」とやってもいい気もしますが、ケチな私にはきっと出来ないでしょう。「化けらった~」なら、まだホラー書く方ができる気がするくらいです。いや、やっぱりそっちも無理かな。

 暑い日はこの先もまだたまにはあるようですが、ホラーが似合う夏はいつの間にか終わり。どうやら本当に秋になったようです。


 すっかりご無沙汰していました。

 皆様お元気ですか? 

 私は元気です。

 秋バテなどせず、楽しい秋をお過ごしください。













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